ライリーアンドスコット
ライリーアンドスコット(Riley & Scott)は、アメリカ合衆国のレーシングコンストラクターでレーシングチーム。主にスポーツカーレースに参戦している。1990年にボブ・ライリーとマーク・スコットにより設立された。
歴史
[編集]スポーツカーレース
[編集]ライリーアンドスコットの最初に手掛けた事業プログラムは、トランザム・シリーズに参戦する多くのレーシングチームに自社で開発したシャーシによるカスタム・カーを供給することであった。このシャーシはトランザム・シリーズで大きな成功を収めた。
間もなくライリーアンドスコットは、Mk IIIの車名で知られるようになるIMSA GT選手権のワールド・スポーツカーの開発に乗り出した。Mk IIIは1995年にデビューし、初年度は5戦に出走している。翌1996年のデイトナ24時間レースで悲願の初優勝を挙げ、フェラーリ・333SPに対抗できるライバル車としてスポーツカー・レーシング・ワールド・カップに参戦するヨーロッパのチームに納入された。
21世紀に入ると、ライリーアンドスコットはMk IIIのアーキテクチャーをベースとしたGMのシボレー・コルベット C5-Rとキャデラック・ノーススター LMPの開発を含むスポーツカー事業を拡大した。オリジナルのMk IIIも2001年にモデルチェンジし、2005年までレース参戦が継続されていた。
インディ・レーシング・リーグ
[編集]1997年に新しいインディ・レーシング・リーグ(IndyCarの旧称)の新シャーシ・ビルダーの一つに選ばれた。MkVのインディカー・シャーシはライリーアンドスコットの他の製品のような競争力はなかったので、結局2001年にMkVが替わって投入されることとなった。その年のシリーズ・チャンピオンであったバディ・レイジアーによって2000年にフェニックスでライリーアンドスコット唯一の勝利を挙げた。
売却
[編集]レイナードは1999年の業務拡大の一環として、ライリーアンドスコットを買収した[1]。しかしながら、レイナードは急速な業務拡大のつけで負債が増大して2002年に倒産した。レイナードが解体された時、ライリーアンドスコットもレイナードと一緒に解体された。共同設立者のボブ・ライリーは、レースカー製造の様々なプロジェクトを引き継ぐ、彼自身の会社であるライリー・テクノロジーズを同年に設立した。
レースカー
[編集]年 | 車両 | シリーズ | 備考 | |
---|---|---|---|---|
1991年 | ライリーアンドスコット・Mk I | トランザム・シリーズ | 車体はシボレー | |
- | ライリーアンドスコット・Mk II | ロード・カー | ハンター、カーボン・ファイバーボディワーク、ロードスター、シボレー製ビッグブロックエンジン | |
1995年 | ライリーアンドスコット・Mk III | スポーツカー世界選手権 | ||
1997年 | ライリーアンドスコット・Mk V | インディカー・シリーズ | ||
1999年 | キャデラック・ノーススター | ル・マン・プロトタイプ | ||
2000年 | ライリーアンドスコット・Mk VII | インディカー・シリーズ | ||
2001年 | ライリーアンドスコット・VIII | トランザム・シリーズ | 車体はクヴァーレ・マングスタ |
脚注
[編集]- ^ “4)四の間 レイナードはなぜ倒産したのか(再録)”. 2016年3月4日閲覧。