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ヤキフ・ステポヴィ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヤキフ・ステポヴィ
Яків Степанович Степовий
基本情報
出生名 ヤキフ・ヤキメンコ
Я́ків Степа́нович Яки́менко
生誕 1883年10月20日
ロシア帝国の旗 ロシア帝国 ハリコフ
死没 (1921-11-04) 1921年11月4日(38歳没)
ウクライナ・ソビエト社会主義共和国の旗 ウクライナ・ソビエト社会主義共和国 キーウ
学歴 サンクトペテルブルク音楽院卒業
ジャンル クラシック
職業 作曲家、教育者、音楽評論家
著名な家族 フェーディル・ヤキメンコロシア語版(兄)

ヤキフ・ステパノヴィチ・ステポヴィウクライナ語: Я́ків Степа́нович Степови́й[注 1]; ロシア語: Я́ков Степа́нович Степово́й, 1883年10月20日(ユリウス暦10月8日) - 1921年11月4日)は、ウクライナ作曲家、音楽教師、音楽評論家

生涯

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ステポヴィはロシア帝国ハリコフ(現在のウクライナ、ハルキウ)にヤキフ・ヤキメンコ(またはアキメンコ)として生まれた。兄のフェーディル・ヤキメンコロシア語版ウクライナ語版(フョードル・アキメンコ)も作曲家である[1]。ステポヴィは20世紀ウクライナの音楽知識人を代表する存在だった。ミコラ・リセンコの伝統に則って作曲を行い、国民楽派設立の一員となった[2]

ステポヴィはサンクトペテルブルク音楽院アレクサンドル・グラズノフニコライ・リムスキー=コルサコフに師事し、1914年に卒業している[1][3]

第二次世界大戦中は軍に徴兵され、病院列車の事務官として従軍した[3]。徴兵期間はおよそ3年間に及び、1917年4月に任を解かれた[4]。その後キエフに居を定めたステポヴィはキエフ音楽院の教員、並びに音楽評論家として働いた[2]

彼は合唱曲とピアノ曲の巨匠であり、こどものための音楽集を著している。また国立四重唱団を創設した[1]

作品

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ピアノ独奏曲

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  • カササギ[5] Сорока-ворона
  • ゴパック : おどりの歌[6] Гопак
  • 飛び行く小鷹 : ウクライナ民謡 Ой літаэ соколонько = Ой, летает соколенок[7][8]
  • ビム=ボム[5] Бим-бом
  • みつばち[9] Пчёлка
  • ゆりかごに揺れて[10]

脚注

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注釈

  1. ^ ラテン文字転写の例:Yakiv Stepovy

出典

  1. ^ a b c Savytsky, Roman. "Stepovy, Yakiv". Encyclopedia of Ukraine. 2011年4月2日閲覧
  2. ^ a b Яків Степовий – продовжувач традицій М. Лисенка (Yakiv Stepovy – continuer of Mykola Lysenko's traditions 人民党英語版のウェブサイト。 (ウクライナ語)
  3. ^ a b Yakiv Stepovyi (1883–1921) – biography on Ukrainian Art Song Project page
  4. ^ Я. С. Степовий (1883–1921 pp.) full biography at akolada.org.ua (ウクライナ語)
  5. ^ a b Milich 1987.
  6. ^ 一年生のピアノ曲集 1983, p. 39, No. 75. ゴパックおどりの歌 ― Y. ステポヴォイ.
  7. ^ Berkovich, Ой літаэ соколонько : украінська народна пісня = Ой, летает соколенок : украинская народная песня = 飛び行く小鷹 : ウクライナ民謡 / обробка Я. Степового.
  8. ^ 歌と鳥と 1993, p. 66, No. 64. 飛び行く子鷹(ウクライナ民謡) ― J. スチェポーヴィ.
  9. ^ 一年生のピアノ曲集 1983, p. 24, No. 50. みつばち ― Y. ステポヴォイ.
  10. ^ スチェパヴォイ : ゆりかごに揺れて/Rocking the Cradle”. ピティナ・ピアノ曲事典. 2023年4月28日閲覧。

参考文献

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外部リンク

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