ミールザー・ジャハーンギール・バフト
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ミールザー・ジャハーンギール・バフト Mirza | |
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ムガル帝国皇子 | |
ミールザー・ジャハーンギール・バフト(右から4番目) | |
全名 |
ミールザー・ムハンマド・ ジャハーンギール・バフト |
出生 |
1791年 |
死去 |
1821年7月18日 デリー、ニザームッディーン・ダルガー |
子女 |
ミールザー・ティムール・シャー ほか2人の娘 |
父親 | アクバル2世 |
母親 | ラヒームンニサー・ベーグム |
宗教 | イスラーム教(スンナ派) |
ミールザー・ジャハーンギール・バフト(Mirza Jahangir Bakht, 1791年 - 1821年7月18日)は、北インド、ムガル帝国の第16代皇帝アクバル2世の4男。同国第17代皇帝バハードゥル・シャー2世の弟でもある。
生涯
[編集]1791年、ムガル帝国の皇帝アクバル2世とその妃ムムターズ・マハルとの間に生まれた[1]。父から大変愛され、年長の皇子ミールザー・アブー・ザファル(のちのバハードゥル・シャー2世)を差し置いて皇太子となった。
1809年から1811年にかけて、父アクバル2世の命令に背いたことにより、アラーハーバードへと追放された[1]。
1812年、イギリスのデリー駐在官を殺害しようとしたため、再びアラーハーバードへと追放、その地に幽閉された[1]。
1821年7月18日、アラーハーバードで幽閉されたまま死去した[1]。