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マルティン・クラウゼ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マルティン・クラウゼ
基本情報
生誕 (1853-06-17) 1853年6月17日
出身地 ドイツの旗 ドイツ
死没 (1918-08-02) 1918年8月2日(65歳没)
ジャンル クラシック音楽
職業 ピアニスト
担当楽器 ピアノ

マルティン・クラウゼ(Martin Krause, 1853年6月17日 - 1918年8月2日)は、ドイツピアニスト、ピアノ教師、音楽評論家著作家

来歴

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ザクセン王国(現ザクセン州)ロプシュテットで聖歌隊指揮者・教会学校校長であった父ヨハン・カール・フリードリヒ・クラウゼの末子として生まれる。ボルナの教員養成学校で学んだ後、ライプツィヒ王立音楽学校に学び、フランツ・リストに師事する[1]。後に彼自身もライプツィヒでピアノ教師、音楽評論家としての地位を確立した。1885年には同地でフランツ・リスト協会を創立[1]。1900年よりドレスデン音楽院、1901年からミュンヘンの王立音楽学校、そして1904年からはベルリンシュテルン音楽院で教授を務めた[1]。門下生の一人クラウディオ・アラウによれば、クラウゼの印象は「凝結された体力」「ザクセン訛り」「ユーモア」「激しい気性」であったという[1]スペインかぜの犠牲となり、1918年8月2日に死去した。

著書

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  • Wagner-Kalender 1908 aus Anlass des 25. Todestages Richard Wagners.. Berlin-Charlottenburg: VIRGIL- Verlag. (1908) 

門下生

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脚注

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  1. ^ a b c d ジョーゼフ・ホロヴィッツ 著、野水瑞穂 訳「クラウゼに師事して:1913-1918年」『アラウとの対話』みすず書房、1986年3月28日、39頁。ISBN 978-4622015888