マリー・ド・シャティヨン (1323-1363)
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マリー・ド・シャティヨン Marie de Châtillon | |
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出生 |
1323年 |
死去 |
1363年 |
配偶者 | ロレーヌ公ラウル |
ライニンゲン=ダグスブルク伯フリードリヒ7世 | |
子女 | ジャン1世 |
家名 | シャティヨン家 |
父親 | ブロワ伯ギー1世 |
母親 | マルグリット・ド・ヴァロワ |
役職 | ロレーヌ摂政(1346年 - 1361年) |
マリー・ド・シャティヨン(フランス語:Marie de Châtillon, 1323年 - 1363年)は、ロレーヌ公ラウルの妃[1]。
生涯
[編集]マリーはブロワ伯ギー1世とマルグリット・ド・ヴァロワの娘である。母マルグリットはフランス王フィリップ6世の妹にあたる。
夫の死後、フランス王ジャン2世はマルグリットの幼少の息子ジャン1世にロレーヌ公領の支配を認める特免状を与え、マルグリットはヴュルテンベルク伯エーバーハルト2世(ジャン1世の舅となる)とともに、1346年から1361年まで息子の摂政をつとめた。
参考文献
[編集]- ^ Bogdan, Henry (2007) (French). La Lorraine des Ducs. Perrin. pp. 57—58