マリー・ダヴェーヌ
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マリー・ダヴェーヌ Marie d'Avesnes | |
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出生 |
1280年 フランス王国、ヴァランシエンヌ |
死去 |
1354年 フランス王国 |
配偶者 | ブルボン公ルイ1世 |
子女 | 本文参照 |
家名 | アヴェーヌ家 |
父親 | エノー伯・ホラント伯ジャン2世 |
母親 | フィリッパ・フォン・ルクセンブルク |
マリー・ダヴェーヌ(Marie d'Avesnes, 1280年 - 1354年)またはマリー・ド・エノー(Marie de Hainaut)は、ブルボン公ルイ1世の妃。
生涯
[編集]マリーはエノー伯・ホラント伯ジャン2世とフィリッパ・フォン・ルクセンブルクの娘で、ギヨーム1世の姉にあたる。また、姪には神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世と結婚したエノー・ホラント女伯マルガレーテ、およびイングランド王エドワード3世と結婚し、リチャード2世の父エドワード黒太子、ヘンリー4世の父でランカスター家の祖ジョン・オブ・ゴーントを含む9人の子供たちの母となったフィリッパ・オブ・エノーがいる。
1310年、クレルモン伯ロベールとベアトリス・ド・ブルボンの息子ブルボン公ルイ1世と結婚し[1]、2人の間には8子が生まれた。
子女
[編集]- ピエール1世(1311年 - 1356年) - ブルボン公。ポワティエの戦いで戦死。
- ジャンヌ(1312年 - 1402年) - 1324年にフォレ伯ギーニュ7世と結婚。
- マルグリット(1313年 - 1362年) - 1320年6月6日にジャン2世・ド・シュリーと結婚、1346年にユタン・ド・ヴェルメイユと結婚。
- マリー(1315年 - 1387年) - 1330年1月にニコシアでガリラヤ公ギー(キプロス王ユーグ4世の子)と結婚、1347年9月9日にターラント公ロベルトと結婚。
- フィリップ(1316年 - 1327年以降)
- ジャック(1318年)
- ジャック1世(1319年 - 1362年) - ラ・マルシュ伯。ブリニェの戦いで戦死。
- ベアトリス(1320年 - 1383年)[2] - 1334年にボヘミア王ヨハンと結婚。1347年頃にウード2世・ド・グランシーと結婚。
脚注
[編集]- ^ Griffiths 1993, p. 78.
- ^ Goeij, Hana de (23 November 2016). “A Breakthrough in C-Section History: Beatrice of Bourbon's Survival in 1337”. New York Times: p. A17 24 November 2016閲覧。
参考文献
[編集]- Louda, Jiří; Maclagan, Michael (1981). Lines of Succession. Little, Brown & Company
- Griffiths, Quentin (1993). “The Nesles of Picardy in the Service of the Last Capetians”. Francia 20 No. 1: 69-78.