マヌエル・パラウ

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マヌエル・パラウ(Manuel Palau Boix、1893年1月4日 - 1967年2月18日)は、スペイン作曲家

アルファラ・デル・パトリアルカ出身。1914年からバレンシア音楽院ピアノソルフェージュ作曲を学び、1915年にはバレンシアに立ち寄ったエンリケ・グラナドスから教えを受けた。1919年に卒業し、1922年から1927年までバレンシア文化局の音楽評論家の職に就いた。その後、パリ国立高等音楽・舞踊学校に留学して和声対位法シャルル・ケクランに師事し、またモーリス・ラヴェルからも助言を受けた。

帰国後はバレンシア音楽院で後進の指導にあたり、1951年には院長に任命されるなど、バレンシア州の後の世代の作曲家に大きな影響を与えた。

文献[編集]

  • Blas Galende: Vida y obra del compositor y musicólogo Manuel Palau Boix, in: Levante, Valencia, 16. September 1948