マット・マーフィー
マット・マーフィー | |
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プロフィール | |
リングネーム | マット・マーフィー |
ニックネーム |
オール・ザット(All That) ザ・ミサイル |
身長 | 180cm |
体重 | 96kg |
誕生日 | 1979年1月18日(45歳) |
出身地 | アメリカ合衆国ミズーリ州カホカ |
トレーナー |
ハーリー・レイス 本田多聞 |
デビュー | 1999年 |
引退 | 2002年 |
マット・マーフィー(Matt Murphy、1979年1月18日 - )は、アメリカ合衆国出身のプロレスラー、プロレス番組プロデューサーである。ミズーリ州カホカ出身。身長180センチメートル、体重96キログラム。プロレスラーとしては1999年9月24日デビュー、2002年12月8日引退。 アメリカではWLW(ワールド・リーグ・レスリング)、日本ではプロレスリング・ノアなどに参戦した。
ハーリー・レイス・レスリング・アカデミーの1期生で、WLW初期の主要メンバーである。
略歴
[編集]ハーリー・レイス・レスリング・アカデミーでプロレスの訓練をし、旗揚げ間もないレイス主宰のWLWに入門、1999年9月24日ノースカロライナ州トーマスビル大会でプロ・デビュー。当時は"ザ・ミサイル"の異名を持った[1][2]。
その後、WWE(ワールド・レスリング・エンターテイメント)にも出場を経験。その他、米国各地のインディー大会に出場した[1]。
その後、"オール・ザット"の異名を名乗り、スーパースター・スティーブとタッグチームを結成。WWEに登場し、海援隊やジャスティン・クレディブル等と抗争する[2]。
2001年6月、プロレスリング・ノアへ初参戦・初来日。さらには、昭代GHCジュニアヘビー級王座決定トーナメントにエントリーされた[1][2]。しかし、一回戦で浅子覚に敗れ、王座奪取には至らなかった。
その後、IWA(インディペンデント・レスリング・アソシエーション)ミッドサウスにレギュラー参戦し、後にWLWに参戦するエース・スティール、C.M.パンク、B.J.ホイットマー、クリス・ヒーロー等と対戦した[2]。
レッスル・アメリカ・インディー30に選ばれるなど活躍し、再び古巣WLWで3度目の世界タッグ王座に君臨していたが、2002年12月8日、自動車事故が原因で、プロレスを引退した。その後、自伝の執筆を経て、2007年にWLWのテレビ番組の責任者兼プロデューサーとしてWLWに再所属となった[2]。
タイトル歴
[編集]得意技
[編集]- BDT(バールスロー・イントゥ・スゥインギング・DDT)
- グリップス・オブ・グレートネス(ダブルアンダーフック・スープレックス・サブミッション)
- スプリングボード・エルボー・スマッシュ
入場テーマ曲
[編集]脚注
[編集]参考文献・参考サイト
[編集]- プロレスリング・ノア『Deperture 2001』公式パンフレット、2011年8月28日
- Matt Murphy: WLW Profile 2012年10月閲覧