ベンジャミン・スティリングフリート

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Benjamin Stillingfleet (画)ヨハン・ゾファニー

ベンジャミン・スティリングフリート(Benjamin Stillingfleet、1702年1771年)は、イギリス植物学者、翻訳家作家である。知的な女性のシンボルになったブルー・ストッキング(日本でも、平塚らいてうらが雑誌「青鞜」を刊行した。)の由来に関連する人物である。

略歴[編集]

ノーフォークのウッドノートンの医師の息子に生まれた。祖父は主教であったが、反対された結婚をした父親に遺産は残されなかった。ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで学位を得るが、フェローにはなれず、上流階級の家庭教師として収入を得た。親戚の地主、ウィリアム・ウィンダム(William Windham)の家庭教師としてウィンダムが7歳から20歳になるまで教えた。ウィンダムの7年間のグランドツアーに伴い1742年に帰国した。この旅行中、冬のスイスで何度か他のツーリストとのパントマイム劇の脚本を書き音楽を担当し、この仲間は夏の間は、アルプス山脈の未知の氷河を調査した。イギリスに戻った後、家庭教師をやめるが、ウィンダム家から7年間、年100ポンドの年金が送られた。ウィリアム・ウィンダムは1744年にスイスの氷河の研究の功績とスティリングフリートが教えた数学の能力を認められて王立協会のフェローに選ばれた。

スティリングフリートはウィリアム・ハドソンが『イギリスの植物』("Flora Anglica")の出版を発表した時に、リンネ分類法の先駆者として称えられたことでも有名になった。

1750年代にエリザベス・モンタギュ(Elizabeth Montagu)やエリザベス・ヴィーシー(Elizabeth Vesey)らの文学サロンに招かれた、多くの人々のなかにスティリングフリートがいて、豊かでなかったスティリングフリートは正式な絹の黒い靴下を持っていなかったので毛織の青い靴下で出席していた。スティリングフリートの不在で、会話が盛り上がらなかった時に「青い靴下がいない」と記録されたことがブルー・ストッキングが知的な女性の象徴になった由来とされる。

著作[編集]

参考文献[編集]

  • Bluestocking, derivation and etymology at Dictionary.com, accessed February 2010
  • I. D. Hughes, 'Stillingfleet, Benjamin (1702–1771)', Oxford Dictionary of National Biography, Oxford University Press, Sept 2004; online edn, May 2008
  • "Stillingfleet, Benjamin". Dictionary of National Biography. London: Smith, Elder & Co. 1885–1900.
  • "Stillingfleet, Benjamin (STLT720B)". A Cambridge Alumni Database. University of Cambridge.
  • "Benjamin Stillingfleet". Notes and Queries: 224. 29 May 1948.
  • Barbara Brandon Schnorrenberg, "Montagu , Elizabeth (1718–1800)," Oxford Dictionary of National Biography. Ed. H. C. G. Matthew and Brian Harrison. Oxford: OUP, 2004. 22 April 2007.
  • The British Critic, Volume 49. (1812). F. and C. Rivington, p. 60
  • Stillingfleet, Benjamin (1811). Literary life and select works of Benjamin Stillingfleet 2. p. 651.