ヘルベン・カルステンス
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基本情報 | |||||||||||||||
本名 |
Gerben Karstens ヘルベン・カルステンス | ||||||||||||||
生年月日 | 1942年1月14日 | ||||||||||||||
没年月日 | 2022年10月8日(80歳没) | ||||||||||||||
国籍 | オランダ | ||||||||||||||
選手情報 | |||||||||||||||
分野 | ロードレース | ||||||||||||||
役割 | 選手 | ||||||||||||||
主要レース勝利 | |||||||||||||||
ツール・ド・フランス 区間通算6勝 ブエルタ・ア・エスパーニャ 区間通算14勝 ジロ・デ・イタリア 区間通算1勝 東京オリンピックTTT 1964 パリ〜ツール 1965 | |||||||||||||||
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最終更新日 2010年12月16日 |
ヘルベン・カルステンス(Gerben Karstens、1942年1月14日 - 2022年10月8日)は、オランダ、フォールビュルフ出身の元自転車競技(ロードレース)選手。
経歴
[編集]1964年東京オリンピック・100kmチームタイムトライアルで金メダル獲得に貢献。
1965年にプロへ転向。ツール・ド・フランス区間通算6勝、ブエルタ・ア・エスパーニャ区間通算14勝の他、1965年のパリ〜ツール制覇などの実績を挙げ、主に、ワンデイレースや、ステージレースでは区間優勝争いで活躍の場を得ていた。
1974年のツール・ド・フランス第4ステージで2位ゴールを果たしたものの、同ステージ終了後のドーピング検査を受け忘れたため、所要総合時間プラス10分のペナルティを受けた。しかし翌第5ステージにおいて、5分のボーナスタイムを得たことにより、マイヨ・ジョーヌを奪取した。
1980年に現役を引退した。
2022年10月8日、死去[1]。80歳没。亡くなる数週間前に脳卒中を起こしていた[2]。
主な戦績
[編集]- 東京オリンピック
- 団体ロードレース(TTT) 優勝(+ バルト・ズット、エヴェルト・ドルマン、ヤン・ピーテルス)
1965年、プロ転向。
- ツール・ド・フランス 区間1勝(第21)
- パリ〜ツール 優勝
- ツール・ド・フランス 区間2勝(第3b、9)
- ブエルタ・ア・エスパーニャ 区間3勝(第12、15b、17)
- オランダ選手権 個人ロードレース 優勝
- ブエルタ・ア・エスパーニャ 区間4勝(第7、10b、17、18)
- グランプリ・ド・フルミー 優勝
- ミラノ〜サンレモ 2位
- ツール・ド・フランス 区間1勝(第11a)
- ブエルタ・ア・エスパーニャ 区間1勝(第1b)
- ジロ・デ・イタリア 区間1勝(第5)
- ブエルタ・ア・エスパーニャ 区間1勝(第1b)
- ロンドン6日間レース 優勝(+ レオ・デュインダム)
- ツール・ド・フランス 第5、7ステージ総合首位(マイヨ・ジョーヌ)
- ブエルタ・ア・エスパーニャ 区間1勝(第16)
- ツール・デュ・オー・バル 優勝
- ロッテルダム6日間レース 優勝(+ レオ・デュインダム)
- ツール・ド・フランス 区間2勝(第18c、22b)
- ブエルタ・ア・エスパーニャ 区間1勝(第12)
脚注
[編集]- ^ “Gerben Karstens Death: Dutch Former Cyclist Gerben Karstens is Dead - ABC News247” (英語) (2022年10月8日). 2022年10月12日閲覧。
- ^ nipponese (2022年10月8日). “カラフルで成功した元サイクリスト、Gerben Karstens (80) が亡くなりました”. Nipponese. 2024年2月5日閲覧。
外部リンク
[編集]- ヘルベン・カルステンス - サイクリングアーカイヴス
- ヘルベン・カルステンス - Olympedia