ハインリヒ・ユリウス・フォン・ハノーファー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ハインリヒ・ユリウス・プリンツ・フォン・ハノーファーHeinrich Julius Prinz von Hannover, 1961年4月29日 ハノーファー - )は、ドイツハノーファー王国およびブラウンシュヴァイク公国の王族の子孫。全名はハインリヒ・ユリウス・クリスティアン・オットー・フリードリヒ・フランツ・アントン・ギュンターHeinrich Julius Christian Otto Friedrich Franz Anton Günter Prinz von Hannover)。

ブラウンシュヴァイク公世子・ハノーファー王家家長エルンスト・アウグスト(4世)と、その最初の妻でシュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク公子アルブレヒトの娘であるオルトルート(1925年 - 1980年)の間の第6子、三男として生まれた。歴史家・著作家として活動している。2005年、テレビ出演した際に長兄のハノーファー王家家長エルンスト・アウグスト(5世)の放埒な生活ぶりを激しく批判し、兄弟の不和が新聞各紙に大きく報じられた。

イギリスジョージ3世の男系直系子孫であり[1]、伝統的にグレートブリテンおよびアイルランド王子を名乗るが、イギリス王室は1917年以降、ハノーファー家の成員をこの称号を名乗る有資格者から除外している。また伝統的に一族の成員に認められていたハノーファー王子(Prinz von Hannover)およびブラウンシュヴァイク=リューネブルク公(Herzog zu Braunschweig-Lüneburg)の称号を名乗るが、こちらも1918年のドイツ革命以降は法的に無意味なものとなっている。

子女[編集]

1999年6月19日にタイストゥンゲン(ドイツ領テューリンゲン州アイクスフェルト郡)において、森林学者のテューラ・フォン・ヴェスターンハーゲン(Thyra von Westernhagen, 1973年 - )と結婚し、間に2男1女の3人の子女をもうけた。

  • アルベルト・ティーロ・ルートヴィヒ・アルント(1999年 - )
  • オイゲーニア・フリーデリケ(2001年 - )
  • ユリウス・エドゥアルト・エマヌエル(2006年 - )

また独身時代に女優のデジレ・ニック(Désirée Nick, 1960年 - )と交際し、1996年に非嫡出の息子を1人もうけた。

著作[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Montgomery-Massingberd, Hugh (editor). Burke's Guide to the Royal Family, Burke's Peerage, London, 1973, pp. 289-290, 300. ISBN 0220662223

外部リンク[編集]

上位
オットー・ハインリヒ・フォン・ハノーファー
旧ハノーファー王家
イギリス王位継承順位
継承順位第413
他の英連邦王国の王位継承権も同様
下位
アルベルト・フォン・ハノーファー
旧ハノーファー王家