ノート:征伐

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「征伐」表記の言い換えについて[編集]

  • 歴史学の現場では「~征伐」はかなり古い言い方だと思われます。感覚的にはチンギス・ハーンのことを「ジンギスカン」と言うくらい「古い」印象があります。その他の言い方については「役」は勢力間の一連の戦争(War)のこと、「合戦」や「戦い」は一つの戦闘(Battle)のこと、と理解しています。ところで議論が拡散してしまうかも知れないのですが、私の世代では「承久の変」として学んだものが、最近ではどうも「承久の乱」といわれているように見受けます。天皇がその形式的支配下にある幕府に対して起こしたのだから反乱ではなく、したがって「乱」を使うのは適切ではない、と習った記憶があるのですが。このあたりもし詳しい方がおられたらついでにご教示ください。Horlicks 2006年7月12日 (水) 07:32 (UTC)[返信]
  • どうやら乱は下から上への反乱、変は上から下への征伐のようです。役は対外戦争のようです。58.85.214.70
  • 我が故郷会津地方会津征伐やら会津戦争やらと戦争には縁がある土地柄なのですが、いいんじゃないですか「征伐」を使って。「征伐」と呼ばれるということは、中央政権がそれだけ必死になって軍事行動を起こさねばならないほどの強大な勢力がいた、ということを意味するわけですから、郷土の歴史としては誇らしいですね。征伐の対象にすらされずにスルーされた群馬だの栃木だの茨城だのといった地域よりこっちが上だということです。--猪山人 2006年9月7日 (木) 15:16 (UTC)[返信]
上とか下とかの問題じゃねーだろw何だその偏狭な郷土ナショナリズムは
  • 学界として「征伐」を使わなくなっているのなら、百科事典はそれに従うべきではないでしょうか。優劣の問題ではありません。 2006年9月9日 (土) 21:49 (UTC)[返信]
  • 「中立」というより辞書として「客観的」な記述を目指すのであれば,一方当事者からの視点での表記は回避すべきでしょう。政治的に不毛な議論を避けるためにもその方が良いでしょう。その意味では「~征伐」はもちろん「~攻め」「~平定」も適切な表現とは言えず,中世・近世では「~の役」(近代では「~戦争」)が適切でしょう(局地戦ならば「~の戦い」「~合戦」でしょうか?)。ちなみに「~の役」については「前九年の役」「後三年の役」「西南の役(西南戦争)」等,国内での戦争にも使います。(そのほか,「~の乱」については「壬申の乱」「応仁の乱」等,上下関係を措定できない場合も使っています。たとえば「嘉吉の変」から「嘉吉の乱」に発展したように「~乱」と「~変」は(主として期間や戦闘の)規模の違いのように思われます。)--ゆーてん 2007年1月14日 (日) 15:49 (UTC)[返信]
  • 征伐が差別用語だとおっしゃっている方がおられますが、でしたら「征夷」も差別用語なのではないですか?征夷大将軍の項目はなんと変更するのですか?それから「在日」を差別的に使用している人がいるので私はWikipediaに「在日」という項目があるのが許せないので削除していいですか?Wikipediaに何百何千の項目があるのか知りませんが、その中の差別的な用語を使っている項目名すべてで議論して項目名を変更するのですか?まるっきりおかしな百科事典になってしまいます。項目名まで中立にする必要はないと思います。--Satoshin 2008年2月8日 (金) 15:28 (UTC)[返信]
  • 征伐が差別用語とは始めて聞きました。とりあえず「征伐」と言う言葉が差別用語にあたるかは置いとくとして、小田原方が時の権力者や朝廷に逆らった上で始まった戦争なので言葉的には「征伐」でも問題はありません。歴史を扱う項目では、瑣末な言葉狩りをするより、歴史書にどう書かれたか、歴史的事実はどうだったか、後世にどう伝えられたかを重要視する方が大切ではないでしょうか。--Enter5000 2008年3月13日 (木) 05:22 (UTC)[返信]
  • 下の「「征伐」「征討」の言い換え」節にTemplate:出典の明記を添付。をコメントしてから、この問題の確認をしたのですが、おそらくノートで合意をとらずに「小田原征伐」の改名をしてしまったのが、そもそもの間違いだと思います。とはいえ、「~征伐」や「~の役」、「~攻め」のいずれの用語も歴史学で利用されているのなら、現状の記事名のままで問題ないと思います。--伏儀 2008年3月16日 (日) 13:55 (UTC)[返信]
  • 事が歴史的事案である以上は、最大限当時の呼称を尊重すべきではないでしょうか?現在においてその「征伐」の呼称を用いる事によって著しく公共に被害を及ぼすという理由や、語意として著しく乖離するという理由がない限り、従来使われてきた用語を改変する権利は我々にはないのではないでしょうか?それこそが”現在”における一部の意見や思想が反映される事を防ぐ”中立性”といえるのではないでしょうか。今回の場合、語意からみれば他の多くの方が指摘しておりますように「征伐」という言葉が相応しくない・実態に即していないと断ずるには論拠が薄弱であり、呼称改変には適当性が認められないと思います。以上の点から反論がない場合は記事名の訂正を行い、記事内において最近での呼称を付記するという形に改めたいと思いますがどうでしょうか?--謝艾 2008年4月25日 (金) 06:05 (UTC)[返信]
その論理(当時の呼称を尊重)では、天武天皇以前は「天皇」ではなく「大王」と表記せねばならなくなりますし、死後の追号、諡号では表記できなくなります。Wikipediaの記事名の基準としてはふさわしくない論理ではないかと思うのですが。基本的には「現在の歴史学上の主流の呼称」がもっとも適切と考えます。読者の利便性を考えても、すでに使われなくなった呼称を記事名とするのは適切ではないと思います。--Horlicks 2008年4月25日 (金) 14:17 (UTC)[返信]
私の書き方に不備がありまして、「当時の呼称」というのは「歴史的に呼び習わした呼称」という意味で使わせていただきました。誤解を招いた事はお詫び申し上げます。ただ、そもそも「小田原の役」への改名は合意形成を得た上でのものでないので、まずは元の呼称である「小田原征伐」に戻して後に、公共の不利益や利便性・実態との乖離などで再度改名の必要があるか論議すべきだと思います。それに既に使われなくなったわけではなく、現在でも大多数の書物で採用されている呼称であるため、利便性を考慮するならなお更現在における少数派(この先は分かりませんが)である「小田原の役」は採用外となると思います。--謝艾 2008年4月26日 (土) 04:15 (UTC)[返信]
「いずれの用語も歴史学で利用されているのなら、現状の記事名のままで問題ない」に反対します。今の項目名に拘らず「現在の歴史学上の主流の呼称」を採用することに賛成します。--プリズム11 2010年10月4日 (月) 13:19 (UTC)[返信]
  • ご参考までに、日本史学の世界で重要な標準とされる吉川弘文館国史大辞典 (昭和時代)』(当wikipediaで現在のところ唯一事典項目になっている歴史用語「辞」典です)においては、織豊政権の統一過程は「征伐」で統一しています(「中国征伐」「甲州征伐(リダイレクト見出し)」「紀州征伐」「四国征伐」「九州征伐」「小田原征伐」)。その他、「征伐」は、「蝦夷征伐」、源頼朝の「奥州征伐」、足利義尚の「六角征伐(鈎の陣=長享・延徳の乱のリダイレクト)」、徳川家康の「会津征伐」にて使用されてます。ちなみに、「-の役」の表現は見出しレベルで「前九年の役後三年の役」「文永・弘安の役」「文禄・慶長の役」、なお、「文永・弘安の役」には『通例元寇といっているが、この時代には蒙古(異国・異賊)襲来、異国(異賊)蜂起、異国来征、蒙古(異国)合戦、さらには文永十一年蒙古合戦、弘安四年蒙古合戦などと呼ばれていた。(以上、吉川弘文館『国史大辞典』「文永・弘安の役」の項、川添昭二筆より引用)』旨の記述があり、「文禄・慶長の役」はそう呼称されるようになった過程についての詳細な言及があります。「征討」は古代の「熊襲征討説話」等の他「長州征討」で使用されています。なお、中国征伐の記事冒頭に『「中国征伐」という呼び方は日本の中央部を握った織田信長の立場からの一方的な呼称であり、妥当なものではない。なお旧陸軍参謀本部は「中国の役」と呼び、毛利家で編纂した『毛利輝元卿伝』では「中国戦役」と呼んでいる。これらの方がより適切ではなかろうか。(以上、吉川弘文館『国史大辞典』「中国征伐」の項、木村忠夫筆より引用)』との記述があります。これは、主筆者の見解に対して、編集レベルにおいて明確に当該用語の採用を否定していることを意味します。おそらく、太字の「日本の中央部を握った」をメルクマールとする編集部の姿勢かと思われますし、有力かつ多数の歴史学者が編集行為に携わる際に、その用語法が歴史学会一般に自然であると判断したものと思量されます。偶々かもしれませんが、秀吉が官位を得る前に開始した戦闘行為については、「小牧・長久手の戦い」、天正12年10月15日従五位下左近権少将叙位任官後(それ以前に叙位任官があったとする説については「豊臣秀吉」本文参照)に開始したものについては「征伐」を用いています。--Tomzo 2010年12月19日 (日) 02:39 (UTC)[返信]

「「征伐」「征討」の言い換え」節にTemplate:出典の明記を添付。[編集]

「「征伐」「征討」の言い換え」節にTemplate:出典の明記を添付しました。気がついた点を説明させていただきます。

  • まず、従来は「征伐」「征討」「討伐」と呼ばれていたものが、…「~役」「~攻め」「~平定」などと言い換えられている事例が少なくないは、要出典。旧来の歴史学用語が言い換えられているなら、どのような用語が適切か論争になっているはずです。あるいは、初心者向けの用語解説などで「言い換えられている」と言う解説があると思います。それを出典として出すべきではないでしょうか。
  • 差別用語と見なされての根拠が不明。「征伐」がどのように差別的なのか、歴史学者によっていろいろ検討されているはずです。その書籍や論文を提示するべきです。また、鮮卑吐蕃など、差別的な漢語であるにも関わらず、そのまま利用されている歴史用語が存在することも留意するべきだと思います。
  • 政治的・学問的見地から不当は説明不足。「政治的」は申し訳ありませんが意味が読み取れませんでした。「学問的」は「歴史学を研究するうえで不適切な用語」と言う意味でしょうか。もう少し説明がほしいところです。

「おもな「征伐」「征討」と呼ばれる例」で列記されている用語を見ますと、有名な合戦があるようで、この言い換えの問題は重要な問題ではないかと感じました。ぜひ出典を明記していただきたく思います。--伏儀 2008年3月5日 (水) 16:45 (UTC)[返信]

ネット上の「放送禁止用語」を紹介するサイトなどでは「三韓征伐」「朝鮮征伐」などが放送禁止用語であるとなっていますが、市販の出版物ではあまり出回っていませんね。放送禁止用語については放送局や関連団体に問い合わせるべきでしょうかね。日本史の述語呼称がどう変わってきたかの出典については、市販の文献ではなく、論文などを探すしかないのかな。 2008年4月26日 (土) 08:55 (UTC)[返信]

一部が放送禁止用語になっている事実を無視して、特定の文章を削除する利用者が居るようですが、やめるように。理由があるならノートに理由を書いてください。--三階菱 2010年10月4日 (月) 11:45 (UTC)[返信]

三階菱さん、要出典のテンプレを剥がして出典なしに復活させるのは止めて下さい。--プリズム11 2010年10月4日 (月) 13:42 (UTC)[返信]
長州征討の改名提案をしておいてノート:長州征討で皆さんから根拠を出せと何度も要求されたにも拘らず出さなかったところを見ると根拠はないんですよね。それともノート:長州征討で「提案に対してマジメに向き合う方が皆無で、議論の進捗が無く、ここで賛同を得るのは難しいと感じた」などと捨て台詞で責任転嫁したように、ここでも人のせいにされるのでしょうか。--プリズム11 2010年10月4日 (月) 13:54 (UTC)[返信]
責任転嫁などしていません。提案に対してマジメに向き合う方が皆無だったのは事実ですし。--三階菱 2010年10月5日 (火) 10:02 (UTC)[返信]
三階菱さんは何か勘違いされているようですが、放送禁止用語は放送局の自主規制でしかなく、法的・学術的根拠に添ったものではないので、全く関係ないです。編集できることといえば「一部放送禁止用語になっている名称もある」ということが精々でしょう。またご提示のサイト等がwikipediaのガイドラインで示されている出典の中に入るかということとは別に放送禁止用語になった根拠に信頼できる情報が示されて居なければ、出典としては問題外です。むしろ例としてあげられている「三韓征伐」は別の言葉に言い換えられてますか?三階菱さんがやっておられた書籍検索によってですが、このような結果です[1]。ネット書店における発行の新しいものからの検索はこちらです[2]。近年でも「三韓征伐」という語句を使用した書籍は少なくとも普通に発行されているようですが?--ジャムリン 2010年10月4日 (月) 16:05 (UTC)[返信]
出版と放送では規定に違いがあるのでしょう。--三階菱 2010年10月5日 (火) 10:02 (UTC)[返信]
あと三階菱さん、他の人のコメントのあとに答える形で続ける場合はインデントを変えて下さい。議論におけるルールですから。--ジャムリン 2010年10月4日 (月) 16:05 (UTC)[返信]
ノート:九州の役にて三階菱さんより改名の根拠を提示してください。なぜ今までの議論を読もうとしないのでしょうか?という発言がありました。ようやく根拠提示の大切さを理解されたようですので、こちらにも間もなく根拠の書き込みがあると思われます。--プリズム11 2010年10月9日 (土) 22:36 (UTC)[返信]
要出典テンプレートをご自身で剥がしながら、出典を提示されなかったのは三階菱さんです。[3]。新たに投稿しながら同時に要出典タグを付けることは矛盾した行為であり、そして欺瞞であると思われます。基本的に出典のない記述は削除が可能です。ガイドラインであげられている条件を充たした出典・根拠を出しさえすれば、それで済むことなのですが。初めの要出典テンプレが貼られてから、三階菱さんが条件を充たさずして剥がすまでに、既に長期に渡って出典が出されぬままになっており、三階菱さんが剥がした2010年9月10日 (金) 07:25 からも、一ヶ月以上たっています。三階菱さんは他の議論ページでも出典を出されぬことなく、議論を終了させておられますが、これ以上、出典を提示することなく、ここでの議論の終結を待たず、今までのように正規の手順も踏まずに差し戻すようでしたら、もっと広く意見を求めるべくコメント依頼を提出すべき段階かと判断させていただきます。--ジャムリン 2010年10月26日 (火) 20:11 (UTC)[返信]
『豊臣平和令と戦国社会』[1]によると例を挙げています。このような実例が存在し、またかねてから放送倫理にも触れて放送禁止語にもなっているということを指摘していますが、プリズム11氏もジャムリン氏も、自分に都合の悪い指摘は無かったことにしているのでしょうか?--三階菱 2010年10月31日 (日) 05:01 (UTC)[返信]
  1. ^ 藤木久志 東京大学出版会 1985/5 ISBN 978-4130200738
  2. --Sashimu 2010年10月31日 (日) 08:36 (UTC)[返信]

    インデント戻します。私がいつ出典が存在しない、などと言いましたか?私は三階菱さんが出典を出していないことを指摘し、記述を加えるなら、出典を書き添えるというウィペディアでは当然のことを要請したわけですが。それを今まで無視し続けていたのは三階菱さんです。上記での「ガイドラインであげられている条件を充たした出典・根拠を出しさえすれば、それで済むことなのですが」は、それほど理解が難しい文章でしたでしょうか?--ジャムリン 2010年10月31日 (日) 08:55 (UTC)[返信]

    言いたいことはだいたいわかりました。では記載を戻します。--三階菱 2010年11月8日 (月) 07:30 (UTC)[返信]
    まったくお判りになっていないようですので、差し戻します。--ジャムリン 2010年11月8日 (月) 07:41 (UTC)[返信]
    また、「『朝鮮征伐』を後世の忌むべき差別用語とされている」という文脈ですと、「朝鮮征伐」限定の話なのか、「征伐」という言葉の全てにかかるのか不明確です。--ジャムリン 2010年11月8日 (月) 12:28 (UTC)[返信]
    そして何故上記の本を、本文ページで出典として提示しないのか、不思議でなりません。上記文章はネット検索でHITしましたが[4]、これですと、該当書を他者が論評したとも、藤木氏が別書の引用したとも取れる部位でしかありませんでした。さらにどちらにせよ、広く浸透している判断や概念というよりは、『著者』個人の考えにすぎないようにも読めます。今回について削除した記述を付け加えることの是非は、wikipediaの方針によるところの根拠たりえる出典の有無という点であると考えています。以前、議論相手の方に、提示出典にないことを有ったと、虚偽の主張をされた経験があります。三階菱さんも他のノートページで近い行為が見られたようですので、近日中に『豊臣平和令と戦国社会』を読める目途が立ちそうですし、三階菱さんの主張の根拠となる出典足りえるのか、自分でも検証してみます。--ジャムリン 2010年11月8日 (月) 13:39 (UTC)[返信]
    「朝鮮征伐」の「朝鮮」という呼び名に差別性があるわけではありませんから、「征伐」に差別性を見出すのは当然でしょう。--三階菱 2010年11月9日 (火) 09:46 (UTC)[返信]

    (インデント戻します)「朝鮮」に「征伐」が係ることで初めて差別性が生まれるとも取れますが?--ジャムリン 2010年11月9日 (火) 09:50 (UTC)[返信]

    コメント 「征伐」を差別用語であると断定することには根拠が薄く、私は抵抗を感じます。「言い換え」というのも独自研究の色が濃いのではないかと思いますが。--秋田城之介 2010年10月30日 (土) 15:35 (UTC)[返信]

    三階菱さんはまた日本語の「読解能力がない」「読解する意志がない」のどちらかであることをまた再び証明していますね。一体いつまでやるんでしょうか。コメント依頼を提出しますね。--プリズム11 2010年10月31日 (日) 05:55 (UTC)[返信]
    三階菱さんの提示した出典を検証しましたところ、藤木氏による、他著者の論作に対しての引用した上での批判部分であり、「朝鮮征伐」に限定された論であり、また言い換えの論拠に足りうる引用でもありませんでしたので、出典に添った形で訂正いたしました。--ジャムリン 2010年11月26日 (金) 05:09 (UTC)[返信]

    節==「征伐」「征討」の言い換え==が削除されていたにも拘わらず、利用者:三階菱さんが復帰させましたので、{{要出典}}を二カ所に貼りました。復帰させた人が出典を示す義務があります。よろしくお願いします。--Sashimu 2010年11月8日 (月) 10:53 (UTC)[返信]

    Sashimu氏にはお手数おかけして申し訳ありません。とはいえ、はじめの要出典が貼られてから2年半以上にわたって、出典が出されない記述です。三階菱氏が判ったといつつ、今回も不実行であったため削除いたしました。記述を復活させたければ、方針に従って出典を提示下さい。--ジャムリン 2010年11月8日 (月) 12:16 (UTC)[返信]
    不実行というか間違いです。悪い方にのみ捉えるのは恣意的。今度は感情論の削除はしないでもらいたいです。--三階菱 2010年11月16日 (火) 10:17 (UTC)[返信]
    残念ながら間違いであっても、あの時点で実行されてなかったことには違いありません。私に限っていえば、不備であっても出典が提示された後は、削除してません。三階菱氏は感情論以前に、状況を正しく認識していただきたいものです。--ジャムリン 2010年11月16日 (火) 10:49 (UTC)[返信]

    (三階菱さんへ)上にも書いてありますが二カ所に{{要出典}}タグを貼りました。そのうちの一つには出典らしきものを脚注にしていますが、本のタイトルがありません。タイトルのない脚注など何の役にも立ちません。ISBN番号も間違っています。さらに、もう一つのタグを剥がしていますね。理由は何ですか。理由もなくタグを剥がしてはいけません。--Sashimu 2010年11月9日 (火) 12:20 (UTC)[返信]

    出典と称して何か書いていますが、多分「『朝鮮征伐』を後世の忌むべき差別用語とされている」旨の記載しかないんでしょうねぇ、、、--プリズム11 2010年11月9日 (火) 17:01 (UTC)[返信]
    幼稚ですねぇ。既に出典を不備なく付けましたが、いいかげん個人攻撃を止めるべきでしょう。。--三階菱 2010年11月16日 (火) 10:17 (UTC)[返信]
    またしても要出典タグの戻し忘れという不備があったので要出典タグを付け直しました。--ジャムリン 2010年11月16日 (火) 10:49 (UTC)[返信]
    私は、「あるいは政治的・学問的見地から不当」という部分については消したので、そこを不備と呼ぶのはジャムリン氏の誤りです。私のミスにしないでいただきたい。--三階菱 2010年11月19日 (金) 05:19 (UTC)[返信]

    コメント 私自身は、「征伐の大々的な言い換え」は行われていないように実感していますが、こういった議論は複数の信頼できる情報源に基づくべきだと考えられます。複数の信頼できる情報源に基づいた中立性と一般性の担保をすることなく、編集合戦に走るのはいかがかと。--貫鉄 2010年11月11日 (木) 05:21 (UTC)[返信]

    意図不明な削除について[編集]

    IP:114.48.*.*氏により、「朝鮮征伐」の言い換えの例として記述されている「秀吉の朝鮮侵略」を削除する編集が繰り返されていますが、意図が不明です。 この箇所は、「征伐」や「征討」を別の言葉に言い換えている例を列挙している部分です。 その中に「文禄・慶長の役」、「朝鮮出兵」、「秀吉の朝鮮侵略」などの言い換えのバリエーションが示されています。 ここから「秀吉の朝鮮侵略」のみを削除する、という編集には妥当な理由が見当たりません(個人的に気に入らない、個人的な政治思想や信条に反する、個人的に感情を害される、などの個人的な理由以外の、Wikipediaにおける記事編集として妥当な理由が)。 「同義語だから重複」と要約で説明されていますが、説明になっていません。言い換えのバリエーションですから、同義語であるのは当然です。同義語であることは削除の理由にはなりません。また、同義語であれば削除するのであれば、すべての言い換えを削除する必要があります。 以上より、この編集には妥当な理由がないと判断します。

    ちなみに、この編集は、まったく同じ語である「出兵」という言い換え例が二つあったので「重複」として差し戻しています(「Aの言い換えとしてB、C、Cがあります」というのは重複ですが、「Aの言い換えとしてB、C、Dがあります」のCとDは同義語だから重複です、ということにはなりません、念のため)。 ご本人からのご説明や、他の方からのご意見などを伺いたいと思いますので、よろしくお願いいたします。--Horlicks 2009年7月3日 (金) 11:25 (UTC)[返信]

    コメント依頼について報告[編集]

    ここでの三階菱さんの行為について、コメント依頼/三階菱を提出しました。皆様の参加を宜しくお願い致します。--プリズム11 2010年10月31日 (日) 06:37 (UTC)[返信]