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ノート:ミッドウェー海戦/過去ログ1

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部隊表

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  • 特殊の追加

実現されなかった ミドウェー諸島攻略部隊の部隊表を加えました。 --220.147.137.17 2006年6月7日 (水) 16:03 (UTC)

参考資料は正確なものを使用するようにお願いします。攻略部隊は日本軍第二艦隊としてすでに記載済みです。--Los688 2006年6月8日 (木) 12:52 (UTC)

いや、すいません。現存資料を見比べるとかなり怪しくて別働隊が存在したと見れる要項などがちらほらと。 --220.147.137.17 2006年6月9日 (金) 09:20 (UTC)

別働隊の存在と米機動部隊の攻撃準備状況は確認できませんでしたが、攻略部隊の詳細を占領隊として追記しました。--Sabulyn 2006年6月11日 (日) 19:57 (UTC)

観点

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より記事が充実するのはありがたいのですが、「山口多聞少将の決意」といった表記に疑問を感じます。日本軍の動向を記述するのに日本よりになってしまうのは仕方が無いと言われればそれまでですが、本当にそれしかないのでしょうか。大雑把とはいえ英語版からアメリカ軍の動向を翻訳しただけに残念に思います。(中立的な観点とWikipedia:日本中心にならないようにを参考にしました)--Sabulyn 2006年8月4日 (金) 11:35 (UTC)

☆こんにちは。私的には、逆に「ニミッツ提督の決意」とあっても、何の違和感もありません。ですが、加筆ついでに変更しておきました。よろしくお願いします。 2006年8月5日 (土) 14:10 (shibuya) --以上の署名のないコメントは、219.15.54.30会話/Whois)さんが 2006年8月5日 (土) 05:09 (UTC) に投稿したものです。

修正ありがとうございます。当方が懐疑と思ったところ(5分間・山口少将)を削除させていただきましたが、偵察機の帰還箇所は残しておきました。--Sabulyn 2006年8月15日 (火) 07:30 (UTC)
観点を撤去しました。アニメ, 宇宙戦艦ヤマトの項は、該当記事にミッドウェー海戦に関連するような記述もなく、実際に原型にしたのか定かではないため削除させていただきました。--sabulyn 2006年10月20日 (金) 07:14 (UTC)

大日本帝国の呼び名および国旗について

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交戦勢力の欄に日本のことを「大日本帝国」と記述していますが、当時の正式国名は日本であり「大日本帝国」は国号のひとつにしかすぎないので「日本」と修正したいと思います。 また国旗に「旭日旗」を用いていますが大日本帝国にあるように当時の国旗も「日章旗」です。これも修正したほうがいいと思いますが他の方の意見も聞きたいと思います。なお真珠湾攻撃マリアナ沖海戦に関しても同様です--マナー向上委員会 2007年2月28日 (水) 12:49 (UTC)

私は外交関係に配慮して「日本」を支持します。国旗は「日章旗です」。日本を大日本帝国とするなら英は大英帝国、ドイツは第3帝国としなければ整合がとれません。--マナー向上委員会 2007年2月28日 (水) 12:57 (UTC)

提案内容に対する具体的な意見として受け取れないので、明確化を願います。Caspar 2007年6月5日 (火) 03:14 (UTC)
テンプレートは合意や明らかな瑕疵がない場合以外の理由で、ご自分で削除されることは、おやめください。--Harpoon マナー向上委員会 2007年3月19日 (月) 03:34 (UTC)
ちなみに本文中では「日本海軍」となっているので「大日本帝国」よりは、まだ「日本海軍」のが良いかと思います--Harpoon マナー向上委員会 2007年3月19日 (月) 03:36 (UTC)

編集者の皆様は提案に無関心のようですので提案を取り下げました。--Harpoon マナー向上委員会 2007年4月6日 (金) 15:58 (UTC)

大英帝国ではなくイギリス又はイギリス帝国と書くように、大日本帝国ではなく日本もしくは日本帝国と書くことに賛成です。「大~」が付く呼称はどの国にせよ記述の中立性に疑問を招くため、一般に避けるものだからです。交戦国を書く際はいちいち陸軍・海軍とは書かない慣例なので、日本海軍等とする必要は無いと思います。海戦のテンプレで旭日旗を使うのはこれまた慣例のようなのでどちらでも良いですが、日章旗に変更するのもありでしょう。今の妙な記述を放置するのが最も好ましくないと思います。提案を取り下げられたようなので、改めて以上提案します。Caspar 2007年6月5日 (火) 03:14 (UTC)

特に反対が無いので修正します。Caspar 2007年6月14日 (木) 03:15 (UTC)
これは、ドイツ国ドイツ帝国かといった問題と似たようなものだと思います。正式名称は「ドイツ国」ですが、時期によっては「ドイツ国」よりは「ドイツ帝国」と書く(リンクを作る)方が(少なくともウィキペディアでは)普通のように思われます。さらに、時期によってはヴァイマル共和国とか第三帝国とかナチス・ドイツとか呼ばれており(通称)、ウィキペディアではそれぞれページが存在します。ナチス時代のドイツについても、当時の正式名称のドイツ国にリンクさせることよりナチス・ドイツにリンクさせ、ページ上にもそう書くことが多いのではないでしょうか。
このことから類推し、私は日本がわりと「大日本帝国」と呼ばれた時期の出来事については、正式名称がどうであるかはさておき、通り名として通りのよい(そして独立してページも作成されている)「大日本帝国」と書くので構わないのではないかと思います。日本帝国でも構いませんが、戦前の日本をさす名称としては大日本帝国の方が一般的であること(日本帝国というと、戦前の日本というよりは、中国等で現代の日本を批判していう名称がまず第一に想起されます)、また該当するページがウィキペディアでは日本帝国ではなく大日本帝国で立てられていることから、戦闘のページに限って拘って「日本帝国」とすることもないように思います(大日本帝国を日本帝国に改名すべきだ、という主張があれば、それは検討に値する妥当な主張だと思います。ただ、それについてはここでは話し合えません)。
もうひとつ、これとは別件で切り離して考えたいのですが、リンク先が日本なのか大日本帝国なのかは気にした方がよいのではないでしょうか。つまり、もし「日本」と表示させる場合でも[[大日本帝国|日本]]とした方がよいのではないか、ということです。専門的な妥当性や政治的な意義は私はわからないのですが、ただ、ウィキペディアでは日本国憲法発布までの日本については日本よりは大日本帝国にリンクさせることの方が普通なのではないかと思うからです。
旗については、アメリカ側も海軍旗等の軍旗に変更するか、日本側を国旗にするかだと思います。片方が軍旗で片方が国旗なのはやはりおかしいですよね。--ПРУСАКИН 2007年6月26日 (火) 13:05 (UTC)

日本海軍は航空母艦4隻と多数の航空機を失う大敗北を喫した。 から 日本海軍は航空母艦4隻と多数の航空機、熟練パイロットを失う大敗北を喫した。 に変えてみてはどうでしょうか。--Guwazin 2007年9月25日 (火) 19:24 (UTC)

第六艦隊からの敵情電報

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半藤一利氏「山本五十六」(p311)の下記の一節、 諸説あるようですが、真偽はどうなんでしょう?

■引用■ その同じ夜(二日夜)、クェゼリン環礁に陣した日本の第六艦隊司令部特務班は、暗号文の形式から見て、二群の米空母と哨戒機との交信と推定される通信を補足した。

翌三日(日本時間)、さらにウォッゼ、ウェーキおよびヤルート基地からの協力を得て、クェゼリンの特務班は、この電波の方位測定に成功した。 その概位は、ミッドウェー島の北北東170カイリ付近であった。そこに米空母が二群いる! 第六艦隊司令部は、このことを作戦特別緊急電報で大本営に連絡、さらに南雲機動部隊を含むMI作戦関係部隊に報告した

--61.5.245.237 2009年9月21日 (月) 14:55 (UTC)

海戦の詳細

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海戦の内容について第一航空艦隊戦闘詳報や米側にある2航戦戦闘詳報などの新資料を基に昨今判ってきた事実(南雲が空母攻撃を決断した現地時間8時半の時点で攻撃隊の発進準備は出来ておらず兵装転換も殆どしてない状態だった。3空母被弾時に艦載機は発進直前ではなかったなど)を踏まえて書き換えさせてもらいました 加賀と蒼龍も自沈処理だった事は加賀生存者の証言にもあるので自沈処理の欄に移しておきました-- テキサンゼロゼロ210.224.111.90 2010年12月24日 (金) 00:59 (UTC)

12月頃経緯に大幅に手を加えられたようですが、変更箇所には出典を明記してください。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2011年2月21日 (月) 13:27 (UTC)

内容が大分詳細に書かれてますが非常に読みづらいです。 例えば「日露戦争・日本海海戦で日本海軍がロシア帝国・バルチック艦隊を壊滅させた海軍記念日でもある5月27日[53]」ですが別に5月27日の海軍記念日が日露戦争の日本海海戦が行われた日であるというのを態々この「ミッドウェイ海戦」の項で書く必要があるのでしょうか。今まで通り「海軍記念日である5月27日」でいいのではないでしょうか。出典も載せる必要があるのでしょうか。wikiには海軍記念日の項もあるのですから転送ですませばいいのではと思います

現地時間と日本時間の両方を記入してますが日米ごとの出典が違うから載せるのは分かりますがそれなら全てを現地時間と日本時間を同時掲載しないと読み手を混乱させてしまいます

例えば「(06:16)、ミッドウェー上空の米軍戦闘機隊が接近する日本軍攻撃隊(友永隊)107機を発見。午前2時30分、日本軍攻撃隊も接触する米軍飛行艇を確認している[126]」とありますが6:16に起こった文面内容のあとに2:30の文面が続いては混乱します

これも前回までの様に現地時間に統一して書くか上記のとおり全て両時間を同時掲載するかにしたほうが読みやすいと思います。内容が詳細なのは良いのですが…

それと「午前 5時20分(02:20)、南雲長官より「敵情に変化なければ第二次攻撃は第四編成」」という所、日本時間と現地時間の表記を間違えてます。現地時間を()ですよね。

また出典表記も丁寧なのはいいですが多すぎると思います。一つの行に出典が3つもあったり(「「利根」は午前1時38分に対潜哨戒機、午前1時42分(第3索敵線)、午前2時(第4索敵線)にそれぞれ水偵が発進した[110][111][112]」など)それが1行ごとに続いていて出典も何ページに書いてあると個別に載っています。わざわざ最後に参考文献の項があるのですからページごとに出典を作るよりも参考文献の所に纏めるほうが読みやすいと思います。出典だけで531もあるのは異常です。

あと「(3) ミッドウェー攻略の作戦自体を問題視する意見」が2個もあったり日本側の損失の項で内容が重複してたりしています

まだ今までの内容のほうが読みやすいと思うので編集された方は読みやすいように再編集されることを望みます

出ないのであれば元に戻す事を提案します。--220.43.176.31 2011年6月2日 (木) 09:34 (UTC)

「海軍記念日である5月27日」…了解しました。すぐに修正します。
「現地時間と日本時間の両方を記入してますが日米ごとの出典が違うから載せるのは分かりますがそれなら全てを現地時間と日本時間を同時掲載しないと読み手を混乱させてしまいます」…確かにそうですね。米軍側行動の場合、現地時間で記載されることが多いので、日本時間を入れませんでした。基本的には「3時間」ずれているので、修正しました。
「わざわざ最後に参考文献の項があるのですからページごとに出典を作るよりも参考文献の所に纏めるほうが読みやすいと思います。」…ウィキペディアの理想は一文ごとに脚注のあるスタイルです。参考文献と脚注のない記述は即在に除去されても文句は言えません。特に戦史関係は記憶違いや記載ミスが起きやすいので、チェックの意味でも、言葉を濁さないためにも、脚注を多くしています。またミッドウェー海戦は、亀井『ミッドウェー戦記』、プランゲ『ミッドウェーの奇跡』、『記録ミッドウェー』を元に、各空母の文献や体験者の著作を元に脚注を入れているため、どうしても脚注が多くなってしまいます。ご理解ください。また脚注のつけ方については良質な記事に選ばれた竹 (駆逐艦)を参考にしておりますので、ご覧ください。
「あと「(3) ミッドウェー攻略の作戦自体を問題視する意見」が2個もあったり日本側の損失の項で内容が重複してたりしています」…編集ミスでした。修正しました。--こぐ 2011年6月2日 (木) 12:09 (UTC)

:出典に関してですが1行ごとに複数の出典表示が付いていて読みにくいという意見ももっともだと思うので出典表示を一つにまとめたらどうでしょうか

例えば「友永大尉は午前4時(07:00)、南雲機動部隊に対し『カワ・カワ・カワ(第二次攻撃の要あり)』と打電して第一次攻撃隊の攻撃は不十分であることを伝えた[117][111][118]」と言うところは一つの出典に[117][111][118]の出典を併記すれば済む事です

また「利根4号機は「赤城」の南雲機動部隊司令部に対し、『敵らしきもの10隻見ゆ、ミッドウェーより方位10度、240浬 (南雲機動部隊から200浬)』と発信した[146][147][148]。約10分後に受信した南雲部隊は、午前4時45分(7:45)、魚雷から陸用爆弾への兵装転換を一時中断した[149][147][150]」と言うところも[148][150]は同じ資料で頁がとなりあっている。[146][149]にも同じ資料が掲載されている。[147]が2つ使われている。のであれば2行ひとくくりで一つの出典表示にまとめられると思います

書くにあたっての参考にされている竹 (駆逐艦)の記載も1つの行に複数の出典をたてるというような読みづらい表記はされていません。見たところ1か所だけしてあるだけです。[20][21]のように複数出典を1つの出典表示でまとめています

参考にされてるのならそういった表記も参考にされたらもっと読みやすくなると思います--114.160.46.13 2011年6月3日 (金) 02:28 (UTC)

了解しました。戦闘詳報と著作の部分を分け、最低でも二つになるようにしてみます。--こぐ 2011年6月3日 (金) 03:27 (UTC)

筑摩一号機について

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筑摩一号機の偵察行動についての論議ですが筑摩一号機が米空母の上空を通過したというのは「やっぱり勝てない太平洋戦争」などでも紹介されてますが事実誤認です

1:筑摩一号機が利根四号機が敵を発見した地点を通過したのは発見の1時間半前でその時点で米空母は近海にいないしこれ以降筑摩一号機の航路が米空母の史実での航路と重なることは無い 2:上空は雲が多く雲上偵察だったのは事実だが雲下偵察を下としても当然その分高度が下がるので見渡せる海域は狭くなり発見する可能性が上る事にはならない。

ですので筑摩一号機の非を鳴らすのはお門違いだと思います この機の搭乗員は戦後も生き残っておられます 見当違いな批判であるのに実名を出して敗因として載せるのはおかしい事なので削除しました (参考:歴史群像太平洋戦史シリーズ「4ミッドウエー海戦」「55日米空母決戦ミッドウエー」)--220.43.176.31 2011年2月20日 (日) 14:24 (UTC)

問題外の編集です。何故かというと、Wikipediaは真実を求める場ではないからです。元の記述がどこの文献に書かれているか把握した上で削除した貴方の姿勢は検証可能性中立的観点に反します。また、参考文献は脚注で示すものであり、編集の度にノートで提示するものではありません。両論を併記してください。
また、昨年秋以降、この編集のように、脚注を説明に使用する編集が複数なされているようですが、一連の編集も貴殿のものでしょうか?このような脚注の使い方は本来の使用法に沿っていないため(脚注は出典を明記するためにある)、これも問題だと考えます。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2011年2月21日 (月) 13:25 (UTC)
両論併記というと違うのかもしれませんが、「筑摩一号機が米空母の上空を通過した」が通説として流布していること自体は確固とした事実です。たとえ見当違い、明らかな事実誤認であることが確実であっても、このように「通説として流布しているという事実」はそれ自体が一つの真実であり、削除するべきではありません。それを踏まえた編集をなされるようお願いする次第です。--U8WC078ef5ch 2011年2月21日 (月) 23:21 (UTC)

関連作品について

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1943なんてタイトルのSTGは、タイトルの時点で歴史考証の面で信用できないので削除しました。--私に撃たせたなーーーッ会話2014年8月27日 (水) 13:24 (UTC)

敗因に関する記述

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南雲中将が兵装転換を行った理由として雷装の命中率があげられる。その異論かのように以下の文章が加筆されているが、爆装から雷装に代えた問題とどう関係があるのか、説明をお願いします。この記述だけでは、過信していた記述であり、兵装転換とは関係ないように見えます。
「これとは逆に、ミッドウェー海戦以前の戦闘で見せた第一航空戦隊の驚異的な命中率は、常に冷静であるべき南雲の司令部から平常心を失わせ、自軍の問題点を省みる努力の放棄に繋がったとの意見がある。セイロン沖海戦でイギリス艦隊を仕留めた際、第一航空戦隊の命中率は80パーセントにも達したが、千早正隆によれば、南雲機動部隊の将兵はこの戦いで敵の戦闘機の妨害が無く、敵艦艇の防御砲火にも見るべきものが無かった事にあまり関心を払っておらず、敵の戦力を下算し軽侮するようになったとされる」--Jack.51会話2016年10月26日 (水) 13:58 (UTC)
Jack.51さん、こんばんは。一旦、編集を指し戻させて頂きました。指摘のあった記述について楽観へ移動すべきとの意見、それはそれで構いませんが、逆に質問ですが、「南雲長官の判断には、陸用爆弾による爆撃より雷撃のほうが命中率がはるかに優れていたこともあげられる」は出典にある記述でしょうか? 命中率の良さが兵装転換の判断に繋がったと記してあったのでしょうか。
それともう一点。Jack.51さんが「2016年10月25日 (火) 09:12時点における版 」にて追記した「山口の進言そのものが存在しなかったという指摘もある」の意見は「歴史群像太平洋戦史シリーズ ミッドウェー」のどこに記述されているでしょう? 同著の137ページに「意見具申を行っている」と進言があった事は認める記述は認められますが。--114.146.60.154 2016年10月26日 (水) 14:50 (UTC)
追記です。編集を取り消した理由について。ノートで問題提起された、所定の文章の楽観への移動の他にも、削除なとの理由の不明な編集があったため一度取り消しをさせて頂いた次第です。僭越ながら、ノートで問題提起するのは編集前に行うようにしましょう。--114.146.60.154 2016年10月26日 (水) 14:56 (UTC)
まず、命中に関しては、戦史叢書のミッドウェー海戦で、兵装転換に関する説明の中で言及された命中率です。記述通りの記述があるわけではありませんが、ウィキペディアの自分の言葉で書くから見ても、文意として問題ないと思います。「歴史群像太平洋戦史シリーズ ミッドウェー」の記述は私の加筆ではないで知りませんが、「進言がなかった」という一文は、文言としてわかりやすくしたつもりだけで、攻撃隊が発進できない状態と同義とは思いますが(状況を見ていた山口少将が無理難題を進言した可能性を除けば)、問題があると思うなら除去して問題ありません。
それから、「ただちに攻撃隊発進の要ありと認む」の文面は戦後長く関係者の証言に支持されてきたものです。田村氏だけの異論はあくまで異論として扱われるべきものです。Wikipedia:中立的な観点を読んでください。また、記述の細部に関心を払われているようですが、以下の記述は索敵に関して言及されたものなのでしょうか。索敵に関するプランゲ記述に具体的な反論があるのですか?
「千早はプランゲの著書の日本語訳を担当した際、「プランケの著書はインド洋で行われた機動部隊の作戦の記述が簡略過ぎて要点を捕えていない」と、訳者あとがきにてプランケの認識の見落としを解説し、後にプランケの著書の編集者が「プランケの原稿を千早に見せておけばプランケの著書をパーフェクトにすることができた」と反省の弁を述べている」--Jack.51会話2016年10月26日 (水) 15:45 (UTC)
「記述通りの記述があるわけではありませんが」つまり南雲中将が兵装転換を行った理由として雷装の命中率をあげたのはJack.51さんの意見であると言う事でしょうか。それでは駄目です。文意云々ではありません。Wikipediaの世界ではWikipedia:独自研究は載せない#資料にあるとおり、「情報源によって直接的かつ明示的に支持されない観点を推し進めようとした場合」は独自研究とみなされます。「進言がなかった」と言う文言も同様です。というか私から指摘した通り、著書内ではっきりと進言の存在自体は肯定しています。どこをどうとっても「攻撃隊が発進できない状態と同義」ではありません。取りあえずここは同意を得たので削除のままとさせていただきます。
また「ただちに攻撃隊発進の要ありと認む」が関係者の証言に長く支持されてきたもので、「現装備のまま」と冒頭にあるのは田村氏「だけ」の異論とは誰の意見でしょう? 戦史関係者で同様の文章を用いている方を散見した事がありますが。何よりこれは異論ではありません。当事者による証言です。また、「一般的でないから」との意見はこの文章の削除理由になりません。と言うのはこの著書の引用箇所は「(現装備のままを記さないのが)一般的だが」の断りを入れた上で、「(当時飛龍の艦橋にいた田村氏の証言により)南雲長官が雷撃準備を完成するまで出撃を引き伸ばさない様促した」とする主旨が山口の意見具申の正しい意図であるのを伝える事を目的としているからです。
「索敵に関するプランゲ記述に具体的な反論があるのですか?」はい、あります。出典の著書ではっきりと千早氏がプランゲの著書の訳者のことばに「その種としては異例の長文のものを書いた」と前置きし、「重要な事はそれら一連のミスが索敵が不十分であったためもたらされたことであった」「プランゲのような歴史学者がそれを見落としていたのは、ソマービル艦隊の動きはイギリスの戦史にしか出てこないからだと思われるが、それでも重大なミスである事に変わりはない」云々云々・・・と、長々とプランゲ著「ミッドウェーの奇跡」の不備を指摘しています。千早氏が結構な紙面を割いているため、継ぎ接ぎだらけの抜粋となっている点はご容赦ください。--114.146.60.154 2016年10月26日 (水) 16:15 (UTC)
命中に関しては、情報源によって直接的かつ明示的に示されたものであることは断言しておきます。
しかし、文面はこれより多少長いので簡略化してあります。それがWikipediaに求められる記述方法であり、直接的かつ明示的に加筆する方法です。一言一句引用するというのはむしろ避けるべき方法です。ガイドラインを熟読してください。また、出典が明記された記述は、出典を読んだうえで、具体的な反論を行ってください。進言の件であなたが私の間違いを訂正したようにです。
次に、三大方針は相互に補完しあうものなので、一つの方針の文言だけで語らないでください。Wikipedia:中立的な観点に記載されているように、勢力差を明確にすることは基本な編集方法です。「直チニ攻撃隊発進ノ要アリト認ム」は、信号を受けた一航艦の参謀らの証言で戦後から長く知られています。反論が起こったという話も聞きません。田村氏の証言の出典は最近のもののようですが、いつごろから主張したものか、他に証言者はいるのか、出典はありますか?特別な情報は特別な情報として扱わなくてはいけません。
「主旨が山口の意見具申の正しい意図であるのを伝える事を目的としているからです。」との意見も特定の観点に肩入れした編集方法であり、認められません。公的記録にないようであれば、「一航艦によれば」「田村によれば」のような両論併記が限界でしょう。
また、千早氏の索敵に関する見解もしぼって簡潔にまとめて記述してください。プランゲに対する異論ならプランゲの後にまとめたほうがいいでしょう。--Jack.51会話2016年10月27日 (木) 10:04 (UTC)
「田村氏の証言の出典は最近のもののようですが、いつごろから主張したものか、他に証言者はいるのか、出典はありますか?」ありますよ。碇義朗の著書(飛龍 天に在り 航空母艦「飛龍」の生涯)や生出寿の著書(勇断提督・山口多聞)も「現装備のまま・・・」から始まる意見具申が書いてあります。ところでJack.51さん。あなたは「2016年10月24日 (月) 12:59時点における版」で下記の編集をしていますね?
【編集前】
駆逐艦野分を中継して『現装備ノママ直チニ攻撃隊ヲ発進セシムルヲ至当ト認ム』と進言した(出典・草鹿氏、橋本氏、碇氏、生出氏、森氏)。
【編集後】
駆逐艦野分を中継して「直チニ攻撃隊発進ノ要アリト認ム」と進言した(出典・草鹿氏、橋本氏、碇氏、生出氏)。
「出典が明記された記述は、出典を読んだうえで、具体的な反論を行ってください。」その言葉そっくりそのままお返しします。あなたは碇氏の出典や生出氏の出典を読まずに、これらの著書には「直チニ攻撃隊発進ノ要アリト認ム」と書いてあるとの編集を行いましたね。それとも読んでいたにも拘らず、故意に「山口の意見具申に『現装備のまま』を付けてるのは田村氏のみの異論だ」と思わせるような編集を進めたんですか? ご自分で「出典が明記された記述は、出典を読んだうえで、具体的な反論を行ってください。」と仰られたのですから、納得のゆく説明をお願いします。
「特定の観点に肩入れした編集方法であり、認められません」特定の観点に肩入れなどしていませんよ。出典にある文章を記述しただけです。正に「情報源によって直接的かつ明示的に示されたものであることは断言しておきます」です。この言葉もお返ししますが、「山口の進言そのものが存在しなかったという指摘もある」と書き込んた件といい、どうもJack.51さんは「現装備のまま」を省略しない記述はマイノリティの意見だ、「状況を見ていた山口少将が無理難題を進言した」という特定の観点に肩入れした編集方法を行っている様ですね。--114.146.60.154 2016年10月27日 (木) 11:27 (UTC)
挑発的な発言は控えてください。Wikipedia:善意にとる。こちらから、あなたの訂正に異議を申し立てなかったはずです。状況を見ていた山口少将が無理難題を進言したなんて一言も言ってません。編集に間違いがあったのはあなたも同じです。
2015年9月8日 (火) 21:56‎ 210.153.175.226 (会話)‎ . . (247,755バイト) (+899)‎ . . (山口の意見具申を修正。また2度目の兵装転換の整理がおかしな箇所も修正。)
この編集で「直チニ攻撃隊発進ノ要アリト認ム」から書き換えられていますね。それまでの出典もそのままに、生出氏と森氏を加えられています。
ここは相手を攻撃する場所ではなく、編集に関する問題を解決する場所です。どちらが正しいかという議論ではなく、どちらも証言が存在する以上、中立性の観点から正確に勢力差を記述しなくてはなりません。他に証言者はいるのですか?--Jack.51会話2016年10月27日 (木) 12:31 (UTC)
「状況を見ていた山口少将が無理難題を進言した」これは「2016年10月26日 (水) 15:45 (UTC)」にJack.51が書き込んだ事ですよ。こんな考え、どこから出てきたのでしょうか。
「中立性の観点から正確に勢力差を記述しなくてはなりません」と言うのであれば、田村氏の証言(一次資料)、森氏、碇氏、生出氏の著書(二次資料)で充分提示しています。Wikipediaでは証言(一次資料)より研究書(二次資料)の方が重要である件は理解して頂いていると思います。
さて、こちらが出典を提示した以上、Jack.51さんにも根拠とした出典を提示して頂きます。「「ただちに攻撃隊発進の要ありと認む」が関係者の証言に長く支持されてきたもので、「現装備のまま」と冒頭にあるのは田村氏「だけ」の異論」とは誰の意見でしょう。田村氏だけの異論(異論でなく証言であると指摘済みですが)ではない事は証明されました。貴方の勢力差に関する認識が正しいとする根拠はありません。
「編集に間違いがあったのはあなたも同じです。」その編集は私によるものではありません。さて、「出典が明記された記述は、出典を読んだうえで、具体的な反論を行ってください」と人に求めながら、自分は守ろうとしない件について、納得のいく説明をお願いします。
編集の間違いであなたは誤魔化そうとしていますが、「出典が明記された記述は、出典を読んだうえで、具体的な反論を行ってください」は貴方自身が発した要求です。他人については、ノートの場で出典の内容を尋ねる行為さえ「出典を読んで具体的な反論をしろ」と高いハードルを要求しながら、Jack.51さん自身は出典が明記された記述であるにも関わらず、出典を読まずに記事の編集を行ってかまわない。こんな人が「編集に関する問題を解決する場所です」と主張して信じると思いますか? 挑発的な発言や攻撃を行っているのは、「他人にやれと言った事を、自分は守らなくて構わない」というダブルスタンダードを進めているJack.51さん自身であると自覚してください。--114.146.60.154 2016年10月27日 (木) 13:02 (UTC)
私はあなたについて反論したのは空襲の図上演習の間違いくらいでしょう。その出典も明示しています。私が出典をまず確認してと言ったのは、すでに出典が明記され、私が問題ない記述と申し上げた記述に対して明示されていないと言われたからです。その他についてはノートでの解決をはかろうとしたところ無視されたのはあなたです。それから、山口少将についても攻撃不可能説において進言があれば、無理難題言ったことになるので、進言そのものを否定した記述と勘違いと判断したのであって、逆です。また、私の編集は「飛龍の掌航海長だった田村兵曹長によれば、山口の電文は「現装備ノママ直チニ攻撃隊ヲ発進セシムルヲ至当ト認ム」であったという」であり、「だけ」とは加筆していません。「直チニ攻撃隊発進ノ要アリト認ム」は、少なくとも複数の一航艦参謀の証言がありますから現段階で多数派と判断しています。「現装備ノママ直チニ攻撃隊ヲ発進セシムルヲ至当ト認ム」が他も証言者がいるなら話は変わってくるでしょう。不快にさせたのならすべて含めて謝罪します。
私を信じる必要はありませんので、進言の箇所の改善の話し合いをお願いします。改める際は、複数の証言の出典もそろえて加筆しますので安心してください。また、二次資料と言われましたが、それは何の一次資料に対する二次資料ですか?これは文中に明示されていないことです。--Jack.51会話2016年10月27日 (木) 13:46 (UTC)
最初にお断りさせて頂きますが、本日はこれで最後の書き込みとします。2日続けて零時過ぎはきついので、勝手ながら失礼します。
「また、私の編集は「飛龍の掌航海長だった田村兵曹長によれば、山口の電文は「現装備ノママ直チニ攻撃隊ヲ発進セシムルヲ至当ト認ム」であったという」であり、「だけ」とは加筆していません」この言い訳は酷過ぎませんか? 私の文面を読めば、記事内の編集ではなく、ノートでのJack.51さんの発言について指摘した事は一目瞭然でしょう。そもそも田村氏の証言を、出典が明記されていたにも拘らず、「異論は異論として取り扱うべきだから」と繰り返し削除していたではないですか。それでは加筆ではなくても、Jack.51さんは「田村氏の証言は削除して当然の異論であった」とする出典がないにも関わらず、削除編集を行った事に代わりありません。
「進言の箇所の改善の話し合いをお願いします」 だったら「私を信じる必要はありません」などと言って投げ捨てず、その記述の編集を行っているJack.51さんが「田村氏のみの異論でないと知っていながら異論と偽って削除編集を繰り返した」のか、「田村氏のみの異論ではないと知らなかったから削除編集をした」のか、はっきりさせましょうよ。
貴方は碇氏や生出氏の著書を読んだ事があるのですか? であれば「『現装備のまま・・・』とあるのは田村氏のみの異論」との考えはどうして出てきたのですか? 碇氏や生出氏の著書を読んでいたのであれば、田村氏のみの異論でないと知ってるはずじゃないですか。出典を把握した上でその情報を削除する編集は検証可能性中立的観点に反する利用規則違反なのだから、改善云々以前にJack.51さんが編集を止めればいいんです。読んでいないのであれば、「『現装備のまま・・・』とあるのは田村氏のみの異論」と言う認識はJack.51さんの事実誤認による編集なのですから、「異論は異論として取り扱うべき」とする見解を取り下げ、やはり編集を止めれば済む話なんですよ。「利用規則に反してる。でも編集はやめない」「出典は読んでいない。でも編集はやめない」そんな無茶な利用の仕方がありますか。
「改める際は、複数の証言の出典もそろえて加筆しますので安心してください」先にお聞きしておきますが、例えば亀井宏のミッドウェー戦記のように、「現装備のまま・・・」の文言は省略されていても、記述の前後の文章を読めば「山口提督の進言は兵装転換をせずに出撃する事を促した」とする意味であった事が判る出典はこれに含めないんですよね?「南雲長官が雷撃準備を完成するまで出撃を引き伸ばさない様促した」とする森氏の出典による記述を何度も削除していたのですから、Jack.51さんは「現装備のまま・・・」を付けていない著書や証言は、「山口の提言は南雲長官が雷撃準備を完成するまで出撃を引き伸ばさない様促したと言う意味ではない」と主張できる情報だと認識しており、その情報を直接的かつ明示的に支持する出典を提示すると仰っているんですよね?(でなければ何故この文言の有無について多数派云々にここまで拘るのか説明がつきませんよね)。--114.146.60.154 2016年10月27日 (木) 15:06 (UTC)
「直ちに攻撃隊発進の要ありと認む」を、額面通りに「直ちにって言ってるんだから今直ぐって事だ。飛行甲板に艦載機が並んでて旗振ったらすぐ飛ばせるって意味だ」と言う意味へ誘ったのは大塚好古ですね。彼による「山口は攻撃隊の準備が整っていないにもかかわらず発艦させよと進言したのであって、それは無理な話だったのだ」とする文献は異端中の異端です。
山口の進言時、四空母の飛行甲板に並んでいた攻撃隊が飛び立つ直前であったかのような描写をしているのは映画、コミックなど創作物の脚色が中心で、著名なミッドウェー経験者では淵田美津男の回想録がありますが、この日淵田は盲腸の手術後であり、『運命の5分』説を唱えたことに代表されるように(ただ半藤一利によれば運命の5分説は草鹿参謀の方が先に発表したとあります)本当に赤城の飛行甲板を見に行けていたのか疑わしく、少なくとも赤城の艦橋には上がっていなかったので、山口の進言は聞いていないし、回想録でも触れていませんね。
大塚の文献はこれらミッドウェー当日の状況をあまり正しく描写したとは言えない過剰演出に対する反論にはなっているのですが、これが研究家による戦史や著書になると、山口の進言の際、四空母の飛行甲板は迎撃機の発着艦のため利用されていた経緯を説明して、進言にまつわるやり取りを解説していたりするので、研究家の通説を覆す説としては端からピントのずれた主張である点は否めませんね。一応大塚も、兵装転換について従来と異なる新説を幾つか主張し、「例え山口の進言が今すぐって意味じゃなくても出撃するにはかなりの時間がかかったんだ」と訴えもしているのですが、肝心の新説の証拠については「最近のアメリカの研究調査でわかった」と繰り返すばかりで、「それが証拠でいいなら俺でも通説覆す本を出版できるぞ?」というレベルの怪しげなシロモノです。ここの記事にも大塚の著書を出典とした記述がありますが、Wikipedia:検証可能性#情報源/ソースの「珍奇な主張には強固な情報源が必要に基づき、要高次出典のタグを付けようかな・・・と考えたりします。
山口が爆装、雷装と兵装転換を繰り返すより攻撃隊の出撃を優先させろと進言したことは、進言を受けた草鹿や源田の証言に「進言通り爆装が終了した機を出撃させる事は可能だった」と判断し、その上で上空に待機中の味方機の回収や攻撃隊に護衛を付けるなど幾つかの条件を検討した下りからも容易に読み取れます。当の大塚も、赤城艦橋の南雲司令部が山口の進言を却下した下りについては、他の戦史と同様、「不時着水機が多く出るから山口の進言は実施不可能と判断した」と記しているので、大塚の説では山口のみならず、進言を受けた南雲や草鹿や源田まで艦隊の兵装状況を把握できずに「発艦は可能なんだが不時着水機が・・・ムリ!」と悩んだ事になってしまい、南雲司令部機能不全!と、これでは大敗して当然ですね(汗)。
「直ちに攻撃隊発進の要ありと認む」、「現装備のまま直ちに攻撃隊を発進せしむるを至当と認む」
歴史研究家による資料でも「現装備のまま~」の箇所が省略される事はありますが、大塚クラスの飛んだ新説を唱えた文献でもなければ、両者の進言の意味に大した違いはありません。水掛け論はそろそろ引揚げましょう。--Inst dlib会話2016年10月28日 (金) 09:17 (UTC)

まず、心得てほしいのは、ここは114.146.60.154さんや私の認識を討論する場所ではありません。また、編集をやめろ等の暴言は、個人攻撃に当たります。記事に関することだけを議論してください。最後の譲歩として私への疑問に答えます。納得されるか否かはあなたの自由です。これ以上言うことはありません。暴言等がこれ以降も続けられる場合は、編集の改善に協力の意思がないと判断して行動させていただきます。

  • 「そもそも田村氏の証言を、出典が明記されていたにも拘らず、「異論は異論として取り扱うべきだから」と繰り返し削除していたではないですか。」
田村氏の証言は一度も削除していません。「田村氏によれば」の方法で記載しています。
  • 「田村氏のみの異論でないと知っていながら異論と偽って削除編集を繰り返した」のか、「田村氏のみの異論ではないと知らなかったから削除編集をした」のか、はっきりさせましょうよ。
田村氏の証言に関する出典の同じページ、田村氏と同じ文に、「戦史上は「要ありと認む」とするのが一般的だが、」と記載されています。一般論に対する異論です。「だけ」と考えるのは私の自由です。編集にそれを持ち込んでもいません。他にも証言があるなら加筆すればいいだけです。ウィキペディアでは一般論は一般論として勢力差を明確にする必要があります。
  • 「南雲長官が雷撃準備を完成するまで出撃を引き伸ばさない様促した」とする森氏の出典による記述を何度も削除
そもそも、この記述は原型も今も問題があります。ノートでの解決を促したのに無視したのはあなたです。
あなたが私に不信感を抱いたように、あなたが演習の件の削除などで同じように私も不信感を抱いたということはわかってください。最後に不快な思いをさせたことは謝罪します。

では、ここから本題に入りますが、「山口提督の進言は兵装転換をせずに出撃する事を促した」ことを記述すること。これには異論はありません。現在、進言の文面の後についている草鹿参謀長の出典が内容的もふさわしいでしょう。こちらの提案としては、

  • そのまま攻撃を促す進言があったこと
  • 文面には2つの説があること
  • 一般論の文面(第三者の出典)
  • 一般論の証言者(当事者の出典)
  • 他説の文面(第三者の出典)
  • 田村氏の証言(当事者の出典)

この構成でいこうと思いますが、よろしいですか?--Jack.51会話2016年10月28日 (金) 11:08 (UTC)

(第三者の出典)は(第三者の出典と当事者の出典)でしたね--Jack.51会話2016年10月28日 (金) 11:12 (UTC)
「最後の譲歩として私への疑問に答えます」答えていません。生出氏の著書や碇氏の著書を読んだ事はあるのですか? この後もこの両氏の著書を読んだかどうかに関する説明が続くので、しつこいと思われるかもしれませんが、理由があります。それは後ほど。
「編集をやめろ」編集を止めろとは言っていません。「進言の箇所を改善したい」と言う提案に対し、もしJack.51が生出氏や碇氏の出典の存在を読んでいて、その情報を削除する編集を行うのなら、検証可能性中立的観点に反する利用規則違反にあたるから、編集を止めれば良い。生出氏や碇氏の出典を読んでいないのであれば、「『現装備のまま・・・』とあるのは田村氏のみの異論」と言う認識はを事実誤認だと認めて、「異論は異論として取り扱うべき」とする見解を取り下げ、編集を止めれば良いと言ったのです。生出氏や碇氏の出典を読んでいるのか答えて下さい。
「田村氏の証言は一度も削除していません。「田村氏によれば」の方法で記載しています」 田村氏の証言の全文を削除したと言ってないでしょう。10月26日のノートのやり取りを遡れば「南雲長官が雷装準備が完了するまで出撃を引き伸ばさないよう促している」を削除していた事を指していると判るはずです。
「田村氏と同じ文に、「戦史上は「要ありと認む」とするのが一般的だが、」と記載されています。一般論に対する異論です」 田村氏のみの異論でないと判明した途端、削除した理由を変えてませんか? 2016年10月26日 (水) 15:45 (UTC)のノートの書き込みで、Jack.51は「「ただちに攻撃隊発進の要ありと認む」の文面は戦後長く関係者の証言に支持されてきたものです。田村氏だけの異論はあくまで異論として扱われるべきもの」と削除の理由を答えています。
「ノートでの解決を促したのに無視したのはあなたです」 していません。読み飛ばしたのかもしれませんが、私はこう説明しています。編集と問題提起のタイミングについて考えの違いがあるだけです。
追記です。編集を取り消した理由について。ノートで問題提起された、所定の文章の楽観への移動の他にも、削除なとの理由の不明な編集があったため一度取り消しをさせて頂いた次第です。僭越ながら、ノートで問題提起するのは編集前に行うようにしましょう。--114.146.60.154 2016年10月26日 (水) 14:56 (UTC)
「他にも証言があるなら加筆すればいいだけです。ウィキペディアでは一般論は一般論として勢力差を明確にする必要があります」 証言の多さ=勢力差とするのはJack.51さんの勘違いです。Wikipedia:信頼できる情報源#一次資料のガイドラインにある通り、「ウィキペディアの記事は一次資料に基づくべきではなく、むしろ一次資料となる題材を注意深く扱った、信頼できる二次資料に頼るべきです」とあります。大まかな基準として、歴史ジャンルの場合だと「当事者による証言=一次資料」で「複数の一次資料(二次資料でも)を取り扱った研究書など=二次資料」になります。私が生出氏や碇氏の著書を読んだ事があるかどうかに答えて頂けない事に苛立っているのもそれによります。今回は第三者の出典も記載する旨を提示して頂いていますが、これまでJack.51さんは「田村氏の他に証言者はいるのか?」「「「ただちに攻撃隊発進の要ありと認む」が関係者の証言に長く支持されてきたもの」「複数の一航艦参謀の証言があるから現段階で多数派と判断している」と主張してきた通り、第三者の研究より当事者の証言の数で勢力差を明らかにしようとしており、それはWikipediaのガイドライン上歓迎されない姿勢なのです。
そして私が疑問に感じているのは(Inst dlibさんからも我ら両名の非建設的なやり取りに対して呆れた様なツッコミがありますが)「文面が違う事に拘るのはなぜか」です。「文面には2つの説があること」文面だけ見れば2つどころではありません。ちょっと手を伸ばした所にある著書を見ても松田十刻氏や久野潤氏も「現装備のまま・・・」から始まる進言を載せた戦史関係の著書を発行していますが、中には語尾の「至当と認む」が「妥当と認む」になっている著書もあるくらいで(極めて妥当=至当なので、妥当になっていては進言の強さが違ってくるが、妥当でも意味は通るため、正しいのか誤植なのか著者の勘違いなのか一元では判断できない)、恐らく探せば幾つもの文面が発見されるでしょう。戦史を著す人の中には作家として名を挙げた人もいて、彼らの中には意味さえ通れば表面上の文くらい好きに脚色してしまう人も少なくないからです。重用なのは文面ではなく、それを扱う著書が進言の意図をどう受け取っているかはないでしょうか。昨日の最後の書き込みで「先にお聞きしておきますが・・・」としたのも、文面は異なる、でも著書が伝えようとする意図は同じだったら、文面の違いの勢力差を明確にする作業に何の意味があるのかという疑問があるからです。
「「山口提督の進言は兵装転換をせずに出撃する事を促した」ことを記述すること。これには異論はありません。」 森氏の出典は編集せず残すことに対する同意であると受け止めます。ここは安心しました。森氏の出典は、文面が曖昧になりがちな進言の意図を丁寧に説明したものだからです。尚、ここまで説明した通り、進言の文面は2つだけではありません。森氏の著書は「現装備のままと書かないのが一般的。書く方は他説」と2つの文面を比較したもので無い事はお断りしておきます(要は「形っ苦しい文言は省略されるのが普通だ」と言っているのです)。
「この構成でいこうと思いますが、よろしいですか?」 反対です。理由は上記の通り「ウィキペディアの記事は一次資料に基づくべきではなく、むしろ一次資料となる題材を注意深く扱った、信頼できる二次資料に頼るべき」な事。だからと言って研究資料まで網羅しようとしたら異なる文面などどれだけ出てくるかわからない事。進言の文面の違いの数=進言の意味の違いの数でない事。これは、Inst dlibさんの説明にあった大塚氏の著書の様な文面の違い=進言の意味の違いとハッキリ明示した著書ならともかく、そうでない出典であるなら文面が違う事が何か重要な事であるかの様に利用者に思わせるのは避けたい理由もあります。
ただこれは勿論私個人の賛否の話ですので、Jack.51さんがどうしても文面の違いが気になるのであれば、私に止める理由はありませんが、協力はできませんし、賛成するものでもありません。一次資料に頼りがちなJack.51さんが更に傾倒していくことを快く思っていない事も素直に申し上げておきます。従って「やっぱりそれおかしいだろ」「必要ないだろ」と思ったら、Jack.51さんの編集に嘴を挟む事があると思いますが、そう言った事態がある事はご理解ください。--114.146.60.154 2016年10月28日 (金) 14:01 (UTC)
いや失礼しました。呆れたわけではなかったのですが、自分のちょっとした横槍が冷めた視線に感じられてしまったようですね。ごめんなさい。
ただ山口の進言について何通りもの意見があると編集することは自分も反対ですね。進言を違った意味に捉えたケースを先に述べておいて何ですが、進言の表現の仕方は(当事者の回想であっても)後で取り上げる人の匙加減次第で結構違うので。「現装備のまま~」の有無や、「~発進の要ありと認む」ではなく「~発進せしむるを至当と認む」とするかは、文献で発言者の山口の意志や進言のインパクトをどのくらい強調するかで変わってくるし、淡々と事の経緯を記した文献だと更に簡潔化され、「この時山口から直ちに攻撃隊を発進させよとの進言があった」くらいのサラっと読める表現に留められたりしますが、だからといってこれらの文献の著者が自分と異なる表現を用いた著者を「あれはウソだと思う」と否定しているわけではないでしょう。
話は変わりますが、Jack.51氏が「編集をやめろ等の暴言は個人攻撃に当る」と言うのは違うと思いますよ。114.146.60.154氏はJack.51氏の編集が「利用規則違反に当るのでは?」と指摘しています。違反であるかどうかは置いておくとして、編集を止めろと発言した動機が利用規則の遵守に基づくものであればそれは注意であり、個人攻撃ではありません。話に乗っかる様で済みませんが、自分もJack.51氏が生出寿の『勇断提督・山口多聞』を既読なのかは気になっている所です。
10月24日にJack.51氏が編集する前に以下の内容が掲載されていましたが・・・。
越智春海は、空母は艦載機を抱えた状態が一番弱いという防御力の欠点について指摘し、とにかく出撃を優先すべきだったと批判している。 — 越智春海著『海軍敗レタリ』(2015年)208ページ
直衛機をつけずに攻撃隊を出撃させるのに忍びなかったため山口の進言を受け入れられなかったと言う司令部の決断に対して、
生出寿は二航戦の艦爆隊36機に見合った少数の護衛戦闘機のみを在空の戦闘機隊(実際にこの時四空母からは上空直掩のための戦闘機が度々着艦、再出撃を繰り返していた ・・・括弧中の出典は省略)
から選抜して燃料、弾薬を補給すれば、遅くとも7時(10:00)には護衛戦闘機で守られた艦爆隊を出撃させられたとの見解を示している。 — 生出寿著『勇断提督・山口多聞』(1985年)204~205ページ
生出は、南雲、草鹿の判断を「速やかさと言うものがない、全ての攻撃隊と護衛戦闘機の発進準備が整うまで待たせたのは『遅きに失した』のである」と批判している — 生出寿著『勇断提督・山口多聞』(1985年)204ページ
Jack.51氏は重複整理を理由とした2016年10月24日 (月) 17:37時点における版の編集の際、これらの内容を以下に変更しています。
空母は攻撃に対して脆弱であるため、戦闘機の護衛がなくても、陸用爆弾であっても、とにかく出撃を優先すべきだったという指摘もある。 — 越智春海著『海軍敗レタリ』(2015年)208ページ、生出寿著『勇断提督・山口多聞』(1985年)204~205ページ
出撃を急がせるべきと訴えた点は似通っていますが、空母の防御力を指摘した越智と、攻撃隊の編制の仕方を指摘した生出の見解は、どう要約しても重複していると解釈するのは無理がある。特に編集前にあった生出の見解は全て削除ですね。要約したかったからとの言い訳のしようがない問題のある編集です。
別に考えられるのは、生出の文献を読んで、態々越智の主旨と重複している箇所を断片的に抜粋してきて、「空母は攻撃に対して脆弱であるため~」の文脈から始まる一文に纏めた・・・と、イカン、これでは元の生田の見解を全面削除するため重複整理を装った、自作自演の編集ですね(汗)。大体それでも出典が明示された生田の見解を削除してよい理由がありませんので、意味がない。
話を戻しますが、この後草鹿、源田の出典も加えて「~指摘もある」を「~反省もある」に変えているので、元海軍少尉の生田はともかく、元陸軍の越智まで連座で反省しているような記述になったのには少し苦笑いしたのですが、これでは自分も「こんな編集は辞めるべき」と言いますよ。それを個人攻撃だと非難するのは違うでしょう(この編集内容は後で前の内容に戻すかもしれません)。--Inst dlib会話2016年10月28日 (金) 23:01 (UTC)
「自分のちょっとした横槍が冷めた視線に感じられてしまったようですね。ごめんなさい」 Inst dlibさん。こちらこそ、余計な所で話にからめてしまいすみませんでした。--114.146.60.154 2016年10月29日 (土) 06:32 (UTC)
その後手直しして、次のようにまとめてあるのですが、
空母は攻撃に対して脆弱であるため、十分な戦闘機の護衛がなくても、陸用爆弾であっても、とにかく出撃を優先すべきだったという反省もある(海軍功罪122-124頁、草鹿回想138頁、海軍敗レタリ208頁、提督山口204-205頁)
草鹿参謀長の回想を中心にまとめましたが、反省と指摘を分けるべきとの意見は了解です。反省に加え、具体的な指摘という形で復帰させることに異存はありませんが、同様の内容の重複は避けるか、「戦後、この点も批判される」など簡潔にするべきだと思います。とにかく同様の表現が繰り返されることは避けてください。
Wikipedia:ページの編集は大胆にですから。大きく変わると反論が出てくるのは当然と考えています。ウィキペディアはそれをノートで話し合って調整するものです。
次に「直ちに攻撃隊発進の要ありと認む」ですが、
  • 「南雲長官が雷装準備が完了するまで出撃を引き伸ばさないよう促している」を削除していた事

まず、この文面が書き換えられる前の編集

2015年9月8日 (火) 12:53‎ Thsbhseven (会話 | 投稿記録)‎ . . (246,856バイト) (-167)‎ . . (まず出典の書籍の該当ページ(#橋本信号員132頁、#飛龍生涯362頁)にはそのような事は書いていないし場面も違っている。本も山口の進言をこのような解釈で書いていない。)

これによって、「山口多聞少将は、あらゆることを放棄して、すなわち護衛戦闘機もつけられるだけ、爆弾も陸用爆弾で、かつ一切の人情を放棄して直ちに第二次攻撃隊を発進させることを」が削除されました。これは草鹿参謀長の出典にある言葉ですが、wikiでは(私もそうですが)、圧縮するため似た記述の出典がしばしばまとめられるので、他の出典との兼ね合いでおかしくなったのでしょう。この文章が残ってるものと思い、私は田村氏の証言のみに変えましたが、「南雲長官が雷装準備が完了するまで出撃を引き伸ばさないよう促している」の文の復帰には異論はありません。

  • 田村氏のみの異論でないと判明した途端、削除した理由を変えてませんか?

私は今でも田村氏のみの証言と見ていますよ。「生出氏の著書や碇氏の著書を読んだ事はあるのですか?」ですが、あります。出典は編集の際に確認しています(貸りたものもあるので、今手元にないものもありますが)。出典を草鹿、橋本、碇、生出、森とするなら、この中で「装備のまま」が記載されているのは、碇、生出、森です。碇は文末が少し違いますが。この中で証言として記述されているのは森だけです。それも異論として扱っています。碇、生出の一次資料は不明で、証言としては登場しません。生出のあとがきに田村氏の私的な回想録について言及しているのでそれかもしれませんが、明言はありませんね。

  • 「文面が違う事に拘るのはなぜか」です。「文面には2つの説があること」文面だけ見れば2つどころではありません。

証言があるのは今のところ2つだけです。他の説も併記したいのであれば、それもいいでしょう。有力な説が複数ある場合、それを併記するのがウィキペディアだからです。勢力差というのは、例えば、森出典で一般論と説明するのもいいですし、証言を並べる方法でもいいわけです。森で一般論と言い切るより、証言を並べるほうが角が立たないと思った判断です。

また、一次資料より二次資料が望まれるとの主張ですが、二次資料だけで書けというわけではありません。Wikipedia:信頼できる情報源を熟読してください。
それらの情報源の著者は実際にそこにいたのでしょうか?目撃者による出来事の説明と注釈者による説明を注意深く分けて考えるようにしてください。前者は一次資料で、後者は二次資料です。どちらも信頼できます。

まずは、復帰、移動の件で合意できた部分の編集を行いますか?お互いに修正して折り合いがつかない部分についてまた話し合いましょう。進言の文面を両方書くことにどうしても抵抗を感じるというのであれば、私が一度書いてみて、気に入らなければ、修正か、取り消していただき、私の不手際などで不信感も持っておられるでしょうから、広く意見を募集する方法もありますがどうしますか?--Jack.51会話2016年10月29日 (土) 08:52 (UTC)

質問に対する回答、ありがとうございました。
「この中で証言として記述されているのは森だけです」 その中以外で、他にも田村氏の証言を記した著書を知っていますが(前回名前を出した久野潤氏)。探せば恐らくもっとあるのでしょう。飛龍の戦友会に参加して取材をしたと言う著書も見た記憶があり、証言者も探せば出てくるかもしれません。ただ久野氏の名前を追記せよとか他の証言者を探せとか申しません。先日も話した通り、私は文面の違いでこれらの証言が対立する観点になると思っていません。文面が違っても文意やその前後の展開が同じであったり、同じ著者でもページの都合などの簡単な理由によって著作物ごとに文面を変えたりするからです。有名なミッドウェー海戦の著書の文面の違いなど探せば膨大な数になり、それらに対立性があるか立証するのは不可能か、可能であってもとんでもない労力が必要になるでしょう。要は入手した歴史本の一次資料の特定も満足にできない我々ウィキペディアンは専門的知識や調査能力が足りないのであって、下でも挙げるWikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料のガイドラインの指摘通り、研究家などによる検証資料に依拠するのが望ましいという話です。
「一次資料より二次資料が望まれるとの主張ですが」 私の主張ではなく、Wikipedia:信頼できる情報源#一次資料のガイドラインです。
「二次資料だけで書けというわけではありません」「Wikipedia:信頼できる情報源を熟読してください」 それは私が先に出したガイドラインですし、二次資料だけで書けとは私もガイドラインでも言ってませんし。一次資料と二次資料の扱いについては Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料の方が「やってよいこと」「やってはいけないこと」をきっぱりと書いているので、ご参照下さい(太字の箇所は元のガイドラインでも強調されているので気を悪くしないで下さい)。
  • ウィキペディアの記事は、公表ずみの信頼できる二次資料(一部では三次資料)に基づいて書かれていなければなりません。
  • ただし、一次資料は注意深く使えば出典とすることができます。項目が一次資料だけを出典としている状態は避けねばなりません。
  • 解釈を含む主張や分析、総合的判断を含む主張は、いずれも二次資料を出典とすべきであり、それらの記述に際して一次資料をウィキペディアンが独自に分析してはなりません。
  • 一次資料から得られる情報について、あなた自身が分析・合成・解釈・評価などをしてはいけません。代わりに、そのようなことをしている二次資料を出典としてください。
  • 項目全体を一次資料に依拠してはいけません。一次資料のみに依拠した大きな段落を作る場合にも慎重になってください。
  • あなたの個人的な経験に基づいた記述を記事に加えてはいけません。そうすることにより、ウィキペディアが一次資料となってしまうからです。
先日の書き込みで「山口提督の進言は兵装転換をせずに出撃する事を促した」の記述を削除せず残すことで進言の箇所の件は同意しましたので、証言の併記の件は構いません。強く推すわけではありませんが、「一航艦当事者」といった感じの表記よりは出典の草鹿氏の名前にした方が曖昧さを避けてよいのではないかと思います。--114.146.60.154 2016年10月30日 (日) 00:36 (UTC)

項目全体を一次資料のみに依拠するつもりは最初からありませんでしたが、そういった誤解がありましたか。進言のついては、今の形を極力残しつつ、編集してみます。ただちに攻撃できなかった説についても、私が勝手に加えた一文を除いて、復帰しておきますので、出典をお持ちでしたら、チェックしたり、この説に対する反論などもあればより充実します。--Jack.51会話2016年10月30日 (日) 13:06 (UTC)

お疲れ様です。出張先に向かうネットカフェからの投稿ため書き込みの最後に表示される署名IPと履歴に表示される投稿者IP(混乱を避けるため本書き込み後の署名IPは私が書き換えました)が異なってる点はご容赦ください。
「進言については、今の形を極力残しつつ、編集してみます」 先にお話した状況のため出典が手元にない状況での確認になりますが、私の方からは特に異論はないです。長々とお話をしてしまいご迷惑をおかけしました。
また、今日を逃すと11月終わり頃まで自由にネットできないかもしれないので、26日に私とJack.51さんの間で編集合戦になった際、他の修正←→取り消しを繰り返していた箇所について述べておきます。あくまで編集した理由について述べるものですので、Jack.51さんや他の方に修正や変更をお願いするものではありません。
  • 「ただ、問題のセイロン沖海戦で発生した爆装から雷装への兵装転換の訓練をしていなかったという証言もあり」の編集箇所
気になったのは「問題のセイロン沖海戦で発生した」の箇所で、段落の流れだとあっても良いかもしれませんが、証言者の瀧本氏(記憶頼りなので間違っていたらすみません)が出典中で批判していたのがミッドウェーの兵装転換の話であったため、瀧本氏がセイロン沖を批判しているみたく読まれないかと思いました。ただ、今になって思い出したのですが、出典の著著で瀧本氏は2回取材を受けていた気がします(真珠湾の章とミッドウェーの章)。もう一方の取材記事でセイロン沖海戦に触れていたら私の見落としですので、もしそうでしたら削除した件はお詫びします。
  • 「四空母で一つの行動をせずに攻撃と収容を分担するため」の編集箇所
出典で著者は「攻撃と収容を分担するため二航戦の艦爆隊を~一航戦の空母の負担を減らすべきだった」と記した後、改行して「もっと大胆な方法として、南雲中将が四空母すべてを指揮する必要はないのだから二航戦を分離させる選択肢もあった」との主旨の意見を書いていたと思います。この記述の仕方だと二航戦を分離させる目的を攻撃と収容の分担に限定していない様に読めるのですが、二つの文をつなげれば「攻撃と収容の分担のため」「二航戦を分離させる」とも読めるので、なるべく元の出典に近い編集前の状態のほうがよいと感じ、Jack.51さんによる編集を元に戻しました。四空母でひとつの行動をさせるべきでなかった(=四空母全て同じ指揮で動かすべきでなかった)という主旨では記述はまとめることはできるとは思います。
あやふやな記憶頼りの記述となっているため、勘違い等ありましたらお詫びします。それでは失礼します。--114.146.60.154 2016年10月31日 (月) 12:24 (UTC)

私のミッドウェーに関する大きな編集作業はさきほどほぼ終えたと思います。上記二点了解しました。四空母分担についてとプランゲ千早のあたりを加筆修正していますので確認してください。索敵に絞ったつもりですが、修正があればお願いします。--Jack.51会話2016年10月31日 (月) 12:49 (UTC)