ノヴァ (バンド)

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ノヴァ
Nova
出身地 イタリアの旗 イタリア ナポリ
ジャンル プログレッシブ・ロック
フュージョン
活動期間 1975年 - 1978年
レーベル アリスタ・レコード
共同作業者 オザンナチェルヴェッロ、ニュー・トロルス・アトミック・システム、ジェネシスマハヴィシュヌ・オーケストラブランドXアトミック・ルースター
旧メンバー エリオ・ダンナ
ダニーロ・ルスティチ
コラード・ルスティチ
ルチアーノ・ミラネーゼ
フランコ・デデ・ロ・プリヴィテ
レナート・ロセット
パーシー・ジョーンズ
ナラダ・マイケル・ウォルデン
フィル・コリンズ
モーリス・パート
フィル・コリンズ
ザキール・フセイン
バリー・ジョンソン
リック・パーネル

ノヴァNova)は、1975年にオザンナチェルヴェッロのメンバーから結成されたイタリアプログレッシブ・ロック / フュージョン・バンドである。そのキャリアの大半でロンドンに拠点を置いた彼らは、マハヴィシュヌ・オーケストラウェザー・リポートリターン・トゥ・フォーエヴァーなど、1970年代のフュージョン・スタイルのバンドの影響を受けた4枚のアルバムをリリースした[1]

略歴[編集]

オザンナの創始者であるエリオ・ダンナ(サクソフォーン、フルート)とダニーロ・ルスティチ(ギター)に、ダニーロの17歳の弟であるチェルヴェッロのコラード・ルスティチ(ギター、ボーカル)が加わりバンドが結成された。彼らに、ルチアーノ・ミラネーゼ(ベース)と、サーカス2000のデデ・ロ・プリヴィテ(ドラム)が加わった[2]。最初のアルバム『ブリンク』は1976年にリリースされ、このアルバムからはイングランドのプログレッシブ・ロックの影響が強く感じられた。イタリアでリリースされた、バンドによる唯一のレコーディング作品となった。3人のバンド・メンバーがイタリアに帰国することになり、ダンナとコラードは、ニュー・トロルス・アトミック・システムのキーボード奏者レナート・ロセットと新しいラインナップを結成した。強力なプログレッシブ・ロックの影響で始まったバンドは、この頃からフュージョン・サウンドに向かって動き始めた。セカンド・アルバム『ヴィマーナ』は、マハヴィシュヌ・オーケストラのドラマーであるナラダ・マイケル・ウォルデンジェネシス / ブランドXのドラマーであるフィル・コリンズ、ブランドXのベース奏者であるパーシー・ジョーンズなど、多数の著名なゲスト・ミュージシャンと共に録音された。

バンドは、ベースとボーカルのバリー・ジョンソン、元アトミック・ルースターでイビスのドラマーのリック・パーネルという、2人の新メンバーとで新たなラインナップを完成させた。彼らは1977年に『ウィングス・オブ・ラヴ』をレコーディングした。バンドは、1978年にリリースされた最終アルバム『Sun City』のためにアメリカ合衆国に移った。このレコーディングの後、ダンナはイタリアへと戻り、音楽プロデューサーとなった。また、ルスティチはミュージシャンおよび音楽プロデューサーとして成功を収め、ズッケロホイットニー・ヒューストンなどの数多くの有名アーティストと一緒に仕事した[3]。ジョンソンはレニー・ホワイトのグループであるトゥエニイナインに参加し、パーネルは1984年の映画『スパイナル・タップ』に出演した。

ディスコグラフィ[編集]

アルバム[編集]

  • 『ブリンク』 - Blink (1976年)
  • 『ヴィマーナ』 - Vimana (1976年)
  • 『ウィングス・オブ・ラヴ』 - Wings of Love (1977年)
  • Sun City (1978年)

脚注[編集]

  1. ^ Nova on MySpace Music
  2. ^ Nova”. www.italianprog.com. 2019年6月17日閲覧。
  3. ^ Corrado Rustici's official site

外部リンク[編集]