トーマス・ブラウン (政治家)
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トーマス・ブラウン Thomas Brown | |
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ブラウンと娘 | |
生年月日 | 1785年10月24日 |
出生地 | バージニア州ウェストモーランド郡 |
没年月日 | 1867年8月24日 |
死没地 | フロリダ州タラハシー |
所属政党 | ホイッグ党 |
配偶者 | エリザベス・シンプソン・ブラウン |
2代フロリダ州知事 | |
在任期間 | 1849年10月1日 - 1853年10月3日 |
トーマス・ブラウン (英語: Thomas Brown, 1785年10月24日 - 1867年8月24日) は、アメリカ合衆国の政治家。第2代フロリダ州知事。
生い立ち
[編集]バージニア州ウェストモーランド郡に生まれる。米英戦争に従軍し、その後リッチモンドで郵便局長となる。1828年、一家と共にフロリダに転居した。
政治経歴
[編集]ブラウンはホイッグ党に入党し、1834年にはフロリダ準州の監査役、1838年には立法評議会議長、1839年には憲法制定会議のメンバーとなり、1845年には最初のフロリダ州議会議員となった。
フロリダ州知事
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
知事としてブラウンはフロリダ州の交通システムの改良に取り組んだ、また、彼はフロリダ州の教育の進歩が遅れていることに不満を抱いていた。1853年1月6日、彼は高等教育に公的支援を提供する法案に署名した。オカラのイースト・フロリダ・セミナリーはこの基金を使用する最初の学校の1つであったが、南北戦争のためすぐに閉校した。1866年、イースト・フロリダ・セミナリーはゲインズビルで再開した。それは後のフロリダ大学となった。
その他の業績
[編集]ブラウンは60年間以上フリーメイソンの会員として活発に活動した。ブラウンは1867年8月24日にタラハシーで死去した。死後タラハシーのオールド・シティ・セメタリーに埋葬された。
1834年、ブラウンはタラハシーにホテルを建設した。ホテルはアダムス通りの西寄り、ペンサコーラとラファイエット通りの間に位置し、ブラウンズ・インと呼ばれた。1839年にはザ・シティ・ホテルとして知られ、1840年にはアデルファイと呼ばれた。その後はモーガン・ホテルと呼ばれ、1886年に火災で破壊された。
外部リンク
[編集]公職 | ||
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先代 ウィリアム・モズレイ |
フロリダ州知事 1849年10月1日 – 1853年10月3日 |
次代 ジェームズ・ブルーム |