ディラシェ特別郡
ディラシェ特別郡 | |
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北緯5度40分0秒 東経37度20分0秒 / 北緯5.66667度 東経37.33333度 | |
国 | エチオピア |
州 | 南エチオピア州 |
郡都 | ギドレ |
政府 | |
• 種別 | 特別郡 |
面積 | |
• 合計 | 1,487.38 km2 |
人口 (2023年推計) | |
• 合計 | 208,454人 |
• 密度 | 140人/km2 |
等時帯 | UTC+3 (東アフリカ時間) |
ディラシェ特別郡(Dirashe Special Wereda, ディラシェとくべつぐん)はエチオピアの南エチオピア州内のワレダ(woreda )の一つである。どの県にも属しておらず、自治区に似た特別「郡(ワレダ)」として扱われている。名前の由来はこのワレダ東部を故郷とするディラシェ人にちなむ。
2011年、郡西部がアレ特別郡(現アレ県)として分離。2023年8月、県へ昇格しディラシェ県となった。アレ県を含んだ面積は1,487平方キロメートル[1]、人口は約21万人(2023年推計[2])。
概要
[編集]エチオピアの大地溝帯に位置するディラシェは、南にコンソ県、西にアレ県、北にゴファ県、北東にチャモ湖、東はアマロ県と接する[3]。ディラシェ特別郡の行政の中心地はギドレである。
2004年の報告書によると、ディラシェには全天候型道路の区間57kmと44kmの乾式道路が通り、平均道路密度は1000km2あたり66kmである[4]。ガルドルラ山(標高2545 m)は地域内の最高地点のひとつ。
歴史
[編集]南部諸民族州の設立に続いてディラシェ特別郡が設置された。
2002年4月、土地争いがディラシェ人とザイス人の間で勃発すると、以前は平和だった民族グループ間に地元の与党当局者が介入して扇り立てて戦闘に発展、死者数名、焼き討ちにあった家屋多数が出る[5]。翌年末には旧特別郡管理者ほか責任を負う立場の地方当局者は、暴力扇動を訴追され有罪判決を受けた[6]。
人権啓発団体ヒューマン・ライツ・ウォッチは2009年6月25日、農民を対象に聞き取り調査をしたところ、野党を支援したせいで土地を没収され、家を追い出されたと主張した[7]。
2011年3月、郡西部がアレ郡として分離するとともに、ディラシェとアレと周囲の旧特別郡3ヵ所を統合してセゲン地域民族県が設立された[8][9]。2018年、コンソ県の分離によりセゲン地域民族県は瓦解し、ディラシェは特別郡に戻った[10]。
2023年8月19日、南部諸民族州は消滅し、ディラシェは新たに創設された南エチオピア州に組み込まれた。また特別郡から県へ昇格した[11]。
人口統計
[編集]エチオピア中央統計局(CSA)が実施した2007年国勢調査に基づくと、この特別郡の総人口は14万2758人、内訳は男性7万111人、女性7万2647人であった。面積1,487.38km2、人口密度95.98人で都市住民は1万3184人(9.24%)を占める。総世帯数は2万6838、1世帯あたりの人数は平均5.32人で住戸数は合計2万6102戸である。民族グループ8つのうち大きい順にディラシェ人(45.01%)、ガワワダ人(27.94%)、モッシーヤ人(9.27%)、クスミエ人(5.08%9、マソール人(4.34%)、コンソ人は2.35%に分かれる。ガモ人1.76%、アムハラ人1.62%であった。その他の民族グループの合計は人口の2.63%にあたる。ディラシェ語(Dirashe) を母語(第一言語)とするのは住民の47.51%、ガワワダ語は27.43%、ブッサ語9.09%である。4.82%はオロモ語を、4.1%はアムハラ語、3.66%はガモ語、1.76%はコンソ語を日常に話し、残りの1.63%は上記の主要言語をすべて話す多言語の人々である。宗教を見るとキリスト教プロテスタント派50.03%、34.27%はエチオピア正教会を実践し、伝統的な宗教に生きる人々は人口の12.84%と国勢調査に答えた[12]。
上記の国勢調査から7年さかのぼる1994年の同調査では、ディラシェの総世帯数と戸別の人数は1万7181世帯、8万9900人で男女の内訳は男性4万5617人、女性4万9038人、都市住民は人口の9.08%(8167人)を占めた。最大の民族グループ5つは人数の順にディラシェ人(58.44%)、ガワワダ人(19.75%)、モシーヤ人(10.06%)、アムハラ人(2.99%)、コンソ人(2.34%)、その他の民族グループの小計は人口の6.48%にあたった。第一言語は順にディラシェ語55.08%、19.64%はガワワダ語、7.26%はブッサ語、5.41%はオロモ語、さらに4.97%はアムハラ語が第一言語である。残りの7.64%は上記の主要言語をすべて話すと答えた[13]。宗教は人口の51.63%が伝統宗教を信じ、キリスト教プロテスタント派35.46%、10.38%はエチオピア正教会の信者だと回答した[14]。
エチオピアの教育関連 では1994年当時の識字率は人口の17.49%と見なされ、児童の年齢順に7~12歳人口の9.69%が小学校に通い、中学校進学は13~14歳の3.2%、高等学校進学率は15~18歳の3.48%に相当した[15]。
同年の国勢調査時点のエチオピアの衛生状態 を見ると、安全な飲料水が手に入る住戸数は都市部の約74%、住宅総数で見ると19%にあたる。トイレが備わった家屋は都市部64%、全体では12%であった[16]。
脚注
[編集]- ^ “Ethiopia: administrative units, extended”. GeoHive. 2016年9月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年9月10日閲覧。
- ^ “Population Size by Sex Zone and Wereda July 2023” (pdf). エチオピア統計局. 2023年9月10日閲覧。
- ^ “Ethiopia: Administrative map (as of October 2020)”. OCHA (2020年10月24日). 2023年9月10日閲覧。
- ^ “Detailed statistics on roads” (英語). SNNPR Bureau of Finance and Economic Development website. July 20, 2011時点のオリジナルよりアーカイブ。15 September 2009閲覧。
- ^ “Ethiopia: Country Reports on Human Rights Practices: 2002 report” (英語). Bureau of Democracy, Human Rights, and Labor, US State Department. 9 July 2009閲覧。
- ^ “Ethiopia: Country Reports on Human Rights Practices: 2003 report” (英語). Bureau of Democracy, Human Rights, and Labor, US State Department. 9 July 2009閲覧。
- ^ “One Hundred Ways of Putting Pressure” (英語). Human Rights Watch report: 36. (10 March 2010) .
- ^ Moges, Misganaw Addis (2014). Practice of Self-Government in the Southern Nations Nationalities and Peoples’ Regional State: The Case of Segen Area Peoples’ Zone (Thesis). p. 5. 2022年12月23日閲覧。
- ^ “Commentary – What was troubling Konso?”. Addis Standard (2016年4月25日). 2023年9月10日閲覧。
- ^ “News Analysis: Konso zone and Segen Woreda admins, security officials discuss ways to jointly tackle ongoing security crisis in Segen”. Addis Standard (2022年4月25日). 2023年9月10日閲覧。
- ^ “Ethiopia’s two new regional states formed : Central Ethiopia, South Ethiopia”. Borkena (2023年8月19日). 2023年9月10日閲覧。
- ^ “Census 2007 Tables: Southern Nations, Nationalities, and Peoples' Region”. エチオピア政府. November 13, 2012時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月2日閲覧。
- ^ “1994 Population and Housing Census of Ethiopia: Results for Southern Nations, Nationalities, and Peoples' Region” (pdf). エチオピア政府. November 19, 2008時点のオリジナルよりアーカイブ。30 December 2008閲覧。
- ^ “Table 2.21” (pdf). 1994 Population and Housing Census of Ethiopia: Results for Southern Nations, Nationalities, and Peoples' Region. November 20, 2008時点のオリジナルよりアーカイブ。27 March 2009閲覧。
- ^ “Tables 3.5, 3.7” (pdf). 1994 Population and Housing Census of Ethiopia: Results for Southern Nations, Nationalities, and Peoples' Region. November 19, 2008時点のオリジナルよりアーカイブ。17 April 2009閲覧。
- ^ “Tables 6.3, 6.11, 6.13” (pdf) (英語). エチオピア政府. November 19, 2008時点のオリジナルよりアーカイブ。17 April 2009閲覧。