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セルゲイ・クドリャフツェフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
セルゲイ・アレクサンドロヴィチ・クドリャフツェフ
Сергей Александрович Кудрявцев
生年月日 1903年
出生地 ロシア帝国の旗 ロシア帝国トヴェリ県ロシア語版ベジェツク郡ニヴィ
没年月日 1938年4月25日
死没地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の国旗 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国モスクワ
所属政党 ボリシェヴィキ

アゼルバイジャン共産党)中央委員会
第二書記
在任期間 1933年12月10日 - 1934年

ウクライナ共産党(ボ)中央委員会
第二書記
在任期間 1937年9月26日 - 1938年1月27日

全連邦共産党(ボ)ザカフカース地方委員会
第二書記
在任期間 1934年5月31日 - 1936年9月

グルジア共産党英語版(ボ)南オセチア自治州委員会
責任書記
在任期間 1929年 - 1930年

ウクライナ共産党(ボ)ハリコフ州委員会
第一書記
在任期間 1936年9月21日 - 1937年2月5日

その他の職歴
ウクライナ共産党(ボ)キエフ州委員会
第一書記

(1937年1月16日 - 9月)
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セルゲイ・アレクサンドロヴィチ・クドリャフツェフロシア語: Сергей Александрович Кудрявцев, ラテン文字転写: Sergei Aleksandrovich Kudryavtsev, 1903年 - 1938年4月25日)は、ソビエト連邦政治家

生涯

[編集]

1903年ロシア帝国トヴェリ県ロシア語版ニヴィに生まれた[1]。実科学校を卒業して1919年からボリシェヴィキに加盟し、同年から1924年にかけてロシア・コムソモール・トヴェリ県ベジェツク郡 (ru) 委員会議長、ウクライナ・コムソモールウクライナ語版ハリコフ県ロシア語版委責任書記、アルメニア・コムソモール中央委組織部部長、アブハジア・コムソモール中央委責任書記、ロシア・コムソモール・ザカフカース地方委責任書記、中央委 (ru) 責任教官を歴任[1]。1924年から1926年までは中央委ウラルロシア語版局組織部部長、同年から翌1927年までは赤軍で働いた[1]

1927年からはグルジア共産党英語版チフリス市委教官および部長、南オセチア自治州委組織部部長、1929年から翌1930年までは自治州委責任書記を務めた[1]。その後は、中央委組織部部長、1930年から翌1931年までは全連邦共産党クリミア自治社会主義ソビエト共和国ケルチ市委責任書記、1933年2月までザカフカース地方委組織・指導部部長、同月からアゼルバイジャン共産党中央委組織・指導部部長、9月19日から12月10日まで中央委第三書記、同日から翌1934年まで第二書記、同年5月31日から翌1936年9月まで連邦党ザカフカース地方委第二書記を務めた[1]

同月21日から翌1937年2月5日までウクライナ共産党ハリコフ州委第一書記、同年1月16日から9月まではキエフ州委第一書記に就き、1月8日からは中央委政治局員、6月3日からは中央委組織局員、1937年9月26日からは中央委第二書記を歴任した[1]第10回ロシア語版第14回ロシア語版第16回ロシア語版第17回ロシア語版の連邦党大会と第13回 (uk) のウクライナ党大会にも出席し、キエフではヨシフ・スターリンラーザリ・カガノーヴィチの命によってパーヴェル・ポストゥイシェフ派の「トロツキズム」に攻撃を加え、その他多数の「人民の敵ロシア語版」の処刑に加担した[2]。しかし、自身も1937年10月13日に逮捕され、翌1938年1月27日にはウクライナ党中央委員・政治局員・組織局員・第二書記の全ての職を解かれた[1][2]。その後、連邦最高裁軍事参議会ロシア語版によって死刑判決を下され4月25日に処刑されたが、1956年名誉回復ロシア語版がなされた[2]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g Кудрявцев Сергей Александрович”. Справочник по истории Коммунистической партии и Советского Союза 1898 - 1991. 2018年4月7日閲覧。
  2. ^ a b c Васильєв В. Ю. КУДРЯВЦЕВ Сергій Олександрович // Енциклопедія історії України: Т. 5: Кон - Кю (PDF) / Редкол.: В. А. Смолійウクライナ語版 (голова) та ін. НАН України. Інститут історії України. - К.: В-во "Наукова думка", 2008. - 568 с.: іл.
党職
先代
グセイン・ラフマノフ
アゼルバイジャン共産党(ボ)中央委員会第二書記
1933年12月10日 - 1934年
次代
?
先代
メンデリ・ハタエヴィチロシア語版
ウクライナ共産党(ボ)中央委員会第二書記
1937年9月26日 - 1938年1月27日
次代
ミハイル・ブルミステンコロシア語版
先代
ジョゼフ・メールゾンロシア語版
全連邦共産党(ボ)ザカフカース地方委員会第二書記
1934年5月31日 - 1936年9月
次代
なし
先代
アレクサンドル・アバエフ
グルジア共産党(ボ)南オセチア自治州委員会責任書記
1929年 - 1930年
次代
ルカ・ロミゼ
先代
ニコライ・デムチェンコ
ウクライナ共産党(ボ)ハリコフ州委員会第一書記
1936年9月21日 - 1937年2月5日
次代
ニコライ・ギカロ
先代
パーヴェル・ポストゥイシェフ
ウクライナ共産党(ボ)キエフ州委員会第一書記
1937年1月16日 - 9月
次代
ドミトリー・エフトゥシェンコ
代行