スチット・ウォンテート

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スチット・ウォンテート
สุจิตต์ วงษ์เทศ
誕生 1945年4月23日
タイ王国の旗 タイ プラーチーンブリー県
職業 詩人 作家 歴史家
国籍 タイ王国の旗 タイ
代表作 『俺は天下の学生さまだ』(1969)
主な受賞歴 シーブーラパー賞(1993), 国家芸術家(2002)
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スチット・ウォンテートสุจิตต์ วงษ์เทศ, 1945年4月23日 - )はタイ詩人作家歴史家プラーチーンブリー県出身。

略歴[編集]

スチットは1945年4月23日プラーチーンブリー県シーマハーポー郡タムボン・コークピープ バーン・ダーンに生まれる。1964年シラパコーン大学考古学部に入学。1969年高校時代に同級生であったカンチャイ・ブンパーンとの合詩集『俺は天下の学生さまだ』で世間の注目を集める。1970年大学卒業後、カンチャイ・ブンパーンとともにククリット・プラーモートの主宰する日刊紙『サヤーム・ラット』に入社し、革新的ジャーナリストとして活躍。入社一年後にアメリカ合衆国に遊学。在米中にも『サヤーム・ラット』紙や『ネーション』紙のスッティチャイ・ユンに短編や記事を書き送っていた。さらにプラーニー・ウォンテートと結婚。1972年タイに帰国し、『サヤーム・ラット』紙に戻って働くが、カンチャイ・ブンパーンとサティアン・ヂャンティマートーンと独立し、新聞の新設を求めたが認められなかった。1973年月刊『プラチャーチャート』(ประชาชาติ)を創設。その後、日刊紙に発展させたが、1976年に廃刊。1979年月刊文芸誌『シラパワタナタム』誌(ศิลปวัฒนธรรม)を創刊し、現在も刊行されている。『シラパワタナタム』誌の中ではスチットはトーンブーム・バーンダーン(ทองเบิ้ม บ้านด่าน)のペンネームを用いている[1]。1993年、シーブーラパー賞を受賞。2002年、国家芸術家の指定を受ける。

作品[編集]

詩集[編集]

  • (カンチャイ・ブンパーンと共著)『俺は天下の学生さまだ』1969年(กูเป็นนิสิตนักศึกษา)
  • 『国民のうた』1982年

短編[編集]

  • 『デート将軍』1969年(ขุนเดช)
  • 『仏の御加護?』

小説[編集]

  • 『経典に飽きた若者』1969年

邦訳[編集]

  • 岩城雄次郎 編訳 「スチット・ウォンテート」『タイ現代詩選‐アジアの現代文芸[タイ]⑧』財団法人大同生命国際文化基金 1994年 p.129-148。以下収録4篇[2]
    • 『俺は天下の学生さまだ』1969年
    • 『わが家は無いが、人の家建てる』1982年
    • 『手には杵、口には美徳、足には武器』1986年
    • 『タイ民主主義』1986年
  • スチャート・サワッシー編 岩城雄次郎訳 『現代タイ国短編小説集 上巻』 井村文化事業社 1982年[3] ISBN 9784326910441
    • 『仏の御加護?』

参考文献[編集]

  1. ^ ประวัตินักเขียนชื่อ:สุจิตต์วงษ์เทศ
  2. ^ 岩城雄次郎 編訳 「スチット・ウォンテート」『タイ現代詩選‐アジアの現代文芸[タイ]⑧』財団法人大同生命国際文化基金 1994年 p.129-148。
  3. ^ スチャート・サワッシー編 岩城雄次郎訳 『現代タイ国短編小説集 上巻』 井村文化事業社 1982年