ジュゼッペ・コスタンツオ

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ジュゼッペ・コスタンツオ
Giuseppe Costanzo
基本情報
出生名 Costanzo Giuseppe
生誕 (1955-07-18) 1955年7月18日(68歳)
出身地 イタリアの旗 イタリアカターニア
学歴 オジモ音楽院、パレルモ音楽院 スカラ座研修所
ジャンル オペラ
職業 オペラ歌手
活動期間 1980年-

ジュゼッペ・コスタンツオ(Giuseppe Costanzo,1955年7月18日 - )は、世界の歌劇場で活躍するイタリアテノール歌手である。

生い立ち[編集]

幼少の頃から音楽に目覚め、ギターを学ぶ。20代前半で歌の勉強を始める。

経歴[編集]

24歳で1979年のブッセートコンクール優勝、翌年1980年のスポレートコンクール優勝、マスネのマノンを25歳でデビュー。

スポレートコンクール同年1980年、エンリーコ・カルーゾコンクール優勝。

1981年リエーテイコンクール、1983年マリアカラスコンクール優勝。

1985年フィラデルフィア開催のルチアーノ・パヴァロッティコンクール優勝。

コンクール優勝後、パヴァロッティとのダブルキャストでリゴレット(マントヴァ公爵)、ボエーム(ロドルフォ)で好評を得る。

またフェニーチェ歌劇場でのカヴァイヴァンスカとのボエームでは大成功をおさめ、カレーラスとのダブルキャストでランメルモールのルチア(エドガルド)、カプレーティとモンテッキ(ロメオ)など世界の主要歌劇場で活躍。

デビュー[編集]

マスネのウェルテルをスポレート歌劇場で25歳の時(1980年)にデビュー。

活躍[編集]

デビュー後、様々なコンクールで優勝、スカラ座やシュターツオーパーなど世界の歌劇場で活躍を続けた。

レパートリー[編集]

20代でのコンクール優勝後、リリコの声での「セヴィリアの理髪師」のアルマヴィーヴァ伯爵が絶賛を博した後、30代までは「ランメルモールのルチア」のエドガルド、「ドン・パスクゥアーレ」のエルネスト、「ボエーム」のロドルフォ、「リゴレット」のマントヴァ男爵などの役が中心であったが、徐々に「トロヴァトーレ」のマンリーコや「トスカ」のマリオ、「ノルマ」のポリオーネなどもレパートリーに加わり、近年では「道化師」のカニオ、「カヴァレリア・ルステイカーナ」のトウリッドウなども手がけている。

しかし声質は甘く柔らかい響きのリリックテノールである。

作品名 作曲家
アルマヴィーヴァ伯爵 セヴィリアの理髪師 ロッシーニ
ネモリーノ 愛の妙薬 ドニゼッテイ
エドガルド ランメルモールのルチア ドニゼッテイ
ロベルト マリア・ストウアルダ ドニゼッテイ
ベッペ リタ ドニゼッテイ
ロドリーゴ カステーリアのサンチャ ドニゼッテイ
オロンベッロ テンダのベアトリーチェ ベッリーニ
ロメオ カプレッテイとモンテッキ ベッリーニ
花婿 カプレッテイとモンテッキ ベッリーニ
ポリオーネ ノルマ ベッリーニ
アルフレード 椿姫 ヴェルディ
ドン・カルロ ドン・カルロ ヴェルディ
マンリーコ イル・トロヴァトーレ ヴェルディ
マントヴァ公爵 リゴレット ヴェルディ
マクダフ マクベス ヴェルディ
リッカルド 仮面舞踏会 ヴェルディ
ヤコポ 2人のフォスカリ ヴェルディ
エルナーニ エルナーニ ヴェルディ
ガブリエーレ シモン・ボッカネグラ ヴェルディ
ロメオ ロメオとジュリエット グノー
ファウスト ファウスト グノー
デ・グリュー マノン マスネ
ウェルテル ウェルテル マスネ
ロドリーグ ル・シッド マスネ
リヌッチョ ジャンニ・スキッキ プッチーニ
ピンカートン 蝶々夫人 プッチーニ
マリオ・カヴァラドッシ トスカ プッチーニ
フリッツ 友人フリッツ マスカーニ
トウリッドウ カヴァレリア・ルステイカーナ マスカーニ
カニオ 道化師 レオンカヴァッロ
マルチェッロ ラ・ボエーム レオンカヴァッロ
アンドレニア・シェニエ アンドレア・シェニエ ジョルダーノ
マウリツイオ アドリアーナ・ルクヴルール チレア
エンゾ ジョコンダ ポンキエッリ

参考文献[編集]