ジャン・マルラン
表示
この記事のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。 (2020年7月) |
ジャン・マルラン(Jean Marlin、1833年 - 1872年)は、フランス軍第8歩兵大隊の下士官。
人物・生涯
[編集]慶応3年(1867年)、彼はジュール・ブリュネに同伴し、軍事顧問団として日本にやって来た。彼は幕府伝習隊を調練した。
戊辰戦争が勃発すると、マルランはフランス軍の職を辞し、旧幕府軍に加わり戦い続けることを選んだ。箱館戦争ではアルテュール・フォルタン、アンドレ・カズヌーヴ、フランソワ・ブッフィエと共に、「蝦夷共和国」軍の四列士満(レジマン、フランス語で連隊を意味する "régiment" をそのまま当て字にした)のうちの一隊の隊長を務めた。
明治2年4月9日(1869年5月20日)、新政府軍は北海道に上陸、5月11日(6月20日)五稜郭に立て籠もる箱館政権軍に対し、明治新政府軍の総攻撃が開始され、五稜郭は陥落、5月18日(6月27日)総裁・榎本武揚らは新政府軍に投降した。フランス人らは、榎本の勧めに従い、総攻撃前の5月1日(6月10日)に箱館港に停泊中のフランス船に逃れた。
その後、マルランは、フォルタン、ブッフィエと共に、明治3年(1869年)、当時大阪にあった兵部省に雇われた。マルランは明治5年に死去、神戸外国人墓地に埋葬された。
参考文献
[編集]- 鈴木明著、「追跡―一枚の幕末写真」、集英社(1984年)、ISBN 978-4087724929