シャルル・モーリス・ド・モナコ
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シャルル・モーリス・ド・モナコ Charles Maurice de Monaco | |
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ヴァランティノワ伯 | |
シャルル・モーリス(左から2番目) | |
出生 |
1727年5月14日 フランス王国、オテル・ド・マティニョン |
死去 |
1798年1月18日(70歳没) スイス、モーリー(Maury) |
配偶者 | マリー=クリスティーヌ=クレティエンヌ・ド・ルーヴロワ・ド・サン=シモン |
家名 | グリマルディ家 |
父親 | ジャック・ド・ゴヨン・ド・マティニョン |
母親 | モナコ女公ルイーズ=イポリット |
シャルル・モーリス・ド・モナコ(Charles Maurice de Monaco, comte de Valentinois, 1727年5月14日 - 1798年1月18日)は、モナコ公家の公子、ブルボン朝時代フランスの軍人。ヴァランティノワ伯爵。
生涯
[編集]モナコ公アントワーヌ1世の娘で後継者のルイーズ=イポリットと、その夫ジャック・ド・ゴヨン・ド・マティニョンの間の第8子・五男として、1727年5月14日にパリで生まれた[1]。ヴァランティノワ伯爵の称号で呼ばれたほか、シュヴァリエ・ド・モナコ(le Chevalier de Monaco)とも呼ばれた[1]。
1749年11月10日、マリー=クリスティーヌ=クレティエンヌ・ド・ルーヴロワ・ド・サン=シモンと結婚した[1]。妻はサン=シモン公家の女子相続人であり、スペインのグランデ特権を保有していたため、伯爵夫妻の宮廷での地位は高かった。1777年にはスペインの金羊毛勲章を拝受した。ただし妻との間には子を儲けないまま1766年別居している。
若くしてフランス軍に仕官し、18歳でフォントノワの戦いに従軍する。軍人としては陸軍中将まで昇進、ノルマンディー地方駐屯の騎兵旅団の旅団長を務め、同地方のグランヴィル、サン=ロー、シェルブール及びショゼー諸島の総督を兼ねた[2]。
1798年1月18日にスイスのモーリー(Maury)で死去した[1]。
出典
[編集]- ^ a b c d Edwards, Anne (2017) [1992]. "Tableau Genealogique de la Famille Grimaldi". The Grimaldis of Monaco (英語). Guilford, Connecticut: Lyons Press. p. 347. ISBN 0-688-08837-6。
- ^ M. De la Chenaye-Desbois, « Charles-Maurice Grimaldi », Dictionnaire de la Noblesse, tome VII, Antoine Boudet, Paris, 1774, p. 368-369.