ゴーマン美智子

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ゴーマン美智子(ゴーマンみちこ、英名:Miki Suwa Gorman 、旧名:諏訪美智子、1935年8月14日 - 2015年9月19日)は日本出身でアメリカ在住の女子マラソン選手。ボストンマラソンニューヨークシティマラソンで2回ずつ優勝している。両マラソンを同一年に制したのは彼女の他に1人しかいない[1]。また、日本出身の女子選手としてこの2つのレースに優勝したランナーは2022年現在彼女のみである。

経歴[編集]

1935年、中国の青島(チンタオ)で生まれた後、東京で育つ[2]。小学校の途中から中学3年の途中までは、福島県南会津郡舘岩村(現・南会津町)で過ごしている[3]福島県立安積女子高等学校卒業後[4]、福島県内の短期大学に進学したが、外科医である父親の死により短大を中退した[2]

1964年に28歳で貨物船に乗り渡米。米軍将校の住み込み家政婦からアメリカでの生活を始めた。その後事務職に転じ、3歳下の夫マイク・ゴーマンと結婚した[2]。夫がスポーツのできる女性と自分を比較した発言をきっかけに、1969年からロサンゼルスのスポーツクラブで走りはじめ、1ヶ月に589マイル(約947km)を走ったこともあった[2]

その後、後に世界記録保持者となる、ジャクリーン・ハンセンの指導者であるマラソンコーチに師事する[2]。その際、ハンセンに、「あなたがマラソン? 死にたいの? 私についてくるなんて無謀よ。You can't.」 と言われたという[2]

1970年にはロサンゼルスで行われた屋内100マイル(約160km)のレースに出場し、21時間04分00秒の記録を残した。

1973年12月3日のウェスタン・ヘミスフィアマラソン(現カルバーシティ・マラソン)で世界最高記録[5] [6]となる2時間46分36秒のタイムで優勝[7]、ジャクリーン・ハンセンに土をつける[2]

その4ヶ月後の1974年4月のボストンマラソンで2時間47分11秒で優勝、同マラソンでは1976年に2位、1977年には2度目の優勝を果たした。ボストンマラソン優勝のニュースは日本でも報じられ、日本の女性がマラソン参加に関心を向けるきっかけの一つとなった。

ニューヨークシティマラソンでも1976年(41歳時)、1977年(42歳時)と2度優勝している。2014年時点でアメリカ国籍を保持する女性がニューヨークシティマラソンを優勝したのは彼女が最後となっている。マラソンでの自己ベスト記録は1976年ニューヨークシティマラソン優勝時の2時間39分11秒。

その後怪我のため満足に過ごせないシーズンが続いた後、1982年に競技生活から引退することを決断した。

その後、「Road Runners Club of America」と「USATF」、「ニューヨーク・ロードランナーズ」のそれぞれに殿堂入りを果たした[8][9]

現役当時からたびたび来日して日本の市民ランナーに指導を行い、日本のランニング愛好者の拡大に貢献した。女子マラソンが初めて正式種目となった1984年のロサンゼルスオリンピックでは、日本のNHK総合テレビでの女子マラソンの実況(映像はアメリカABCテレビの国際映像)で解説者を務め、ガブリエラ・アンデルセンのゴールの際には彼女が小さく嗚咽する声が流れた。

少女時代を過ごした南会津町では彼女の功績を称え、1986年からゴーマン杯ふるさと健康マラソン大会(現在はゴーマン杯南会津町ふるさと健康マラソン大会)が開催されている[10]

2015年9月19日に肺がんのため死去した[11][12]。80歳没。

マラソン戦績[編集]

大会 開催国 成績 タイム
1973 ウェスタン・ヘミスフィアマラソン アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 優勝 2:46:36
1974 ボストン・マラソン アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 優勝 2:47:11
1976 ボストン・マラソン アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 2位 2:52:27
1976 ニューヨークシティマラソン アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 優勝 2:39:11
1977 ボストン・マラソン アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 優勝 2:48:33
1977 ニューヨークシティマラソン アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 優勝 2:43:10
1979 東京国際女子マラソン 日本の旗 日本 16位 2:54:09

著書[編集]

映画[編集]

  • 『リトルチャンピオン』(松竹=三協(制作)、富士映画(配給)、1981/6公開、ゴーマン美智子の半生を綴った自伝『走れ!ミキ』を映画化したもの、ミキ(ゴーマン美智子)役を島田陽子が務める)

脚注[編集]

  1. ^ “The National Distance Running Hall of Fame Class of 2005 Nominees”. National Distance Running Hall of Fame. (2005年). https://web.archive.org/web/20050430184435/http://www.distancerunning.com/news/class_05.html 
  2. ^ a b c d e f g 「You can't」悔しくて 朝日新聞2008年11月6日夕刊1面
  3. ^ 舘岩村立舘岩中学校創立60周年記念誌
  4. ^ 昭和58年度NHK全国音楽コンクール
  5. ^ “Chronology of the World's Marathon Record”. Run The Planet Inc. Seattle. (2011年). https://web.archive.org/web/20070222064901/http://www.runtheplanet.com/trainingracing/marathon/stats.asp 
  6. ^ 野口純正 (2011年3月1日). “年度別世界リスト1位に輝いた日本のマラソン選手”. 2011年8月29日閲覧。
  7. ^ “History of Women's Distance Running”. https://web.archive.org/web/20051215201535/http://www.runlikeagirlfilm.com/history.php 
  8. ^ “USATF Masters Hall of Fame”. USA Track & Field, Inc.. (2006年). http://www.usatf.com/HallOfFame/Masters 
  9. ^ ゴーマン美智子さんを表彰=NYマラソン優勝2度 時事通信2012年11月3日
  10. ^ 南会津町ふるさと健康マラソン大会(ゴーマン杯) - デジタル大辞泉コトバンク
  11. ^ ゴーマン美智子さん死去…米のマラソンで活躍”. YOMIURI ONLINE. 読売新聞. 2015年10月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月1日閲覧。
  12. ^ ゴーマン美智子さん死去 ボストン・NYのマラソン制覇”. 朝日新聞DIGITAL. 朝日新聞. 2015年10月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月1日閲覧。

関連項目[編集]

  • 鬼太鼓座 - かつて座員がトレーニングとしてマラソンに取り組み、その一人だった小幡キヨ子(現姓大井)はボストンマラソンでゴーマン美智子に出会い、1979年に別府大分毎日マラソンで当時の日本最高記録に相当するタイムで完走、日本人女性では初めて日本国内の主要マラソン完走者となった。1979年の第1回東京国際女子マラソンで彼女は美智子と共に出走している(以上、上記朝日新聞記事を参照)。
  • デリア俊子 - 美智子と同じく、日本出身のアメリカ人女性ランナー。
  • マラソン世界記録の推移英語版

外部リンク[編集]