ゲオルク・ツェンカー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ゲオルク・アウグスト・ツェンカー(Georg August Zenker、1855年6月11日 - 1922年2月6日)はドイツの園芸家、植物学者、動物学者である。中央アフリカで働いた。

略歴[編集]

ライプツィヒで生まれた。父親のJulius Theodor Zenkerは東洋学者でトルコ・アラビア・ペルシャ語辞典を出版した。母親はロシア語の翻訳家であった。学校を卒業した後、ライプツィヒ大学植物園で園芸家の見習いとして働いた[1]。1875年から1878年まで兵役についた後、イタリアナポリに移り、植物園で働いた。最初の結婚をするが妻はその年のうちに亡くなった。

ヤウンデの試験農場、ツェンカーも写っている

1886年の末に、イタリア人の学者、ボーヴェ(Giaccomo Bove)と共にコンゴ盆地の探検を行い、ボーヴェは1887年、ヨーロッパに帰還する途中で没するが[2]、ツェンカーはガボンに留まり、ドイツの実業家、ヴェールマン(Carl Woermann)がアフリカに作った会社などで働き、薬用植物の栽培実験などを行った。その後、探検家のリヒャルト・クント(Richard Kund)が開いたカメルーンヤウンデの試験農場で働いた。1895年に、一旦ドイツにもどるが、再びカメルーンに渡り、Bipindeで民間人として農園を開き、コーヒー、カカオ、ゴムなどを栽培した。

カメルーンで長年、暮らし、植物学、動物学、民俗学に関する膨大な資料をベルリンに送った。第二次世界大戦で、多くは失われた。

多くの動植物の学名にツェンカーの名前が献名された。以下に例を示す。

参考文献[編集]

  • Laburthe-Tolra, Phillippe: Yaoundé d'après Zenker, Yaoundé 1970
  • Postkarte von 1902 mit einer Abbildung des Zenker-Hauses in Bipindi [10]

脚注[編集]

  1. ^ J. Mildbraed: Georg Zenker. in: Notizblatt des Königl. botanischen Gartens und Museums zu Berlin Bd. 8, Nr. 74 (Feb. 1, 1923), pp. 319-324
  2. ^ [1]