オーロラ・ピジュアン
プロフィール | |
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生年月日 | 1949年11月11日 |
現年齢 | 75歳 |
出身地 | 西ネグロス州バコロド市 |
瞳の色 | ブラウン |
毛髪の色 | ブラック |
公称サイズ(1970[1]時点) | |
身長 / 体重 | 173 cm / ― kg |
スリーサイズ | 89 - 66 - 91 cm |
活動 | |
デビュー | 1971 |
ジャンル | ファッション |
モデル内容 | 一般 |
備考 | ミス・インターナショナル1970 |
他の活動 | 女優・貧困救済活動 |
モデル: テンプレート - カテゴリ |
オーロラ・ピジュアン(Aurora McKenney Pijuan/アウロラ・マッケニー・ピフアン、1949年11月11日 - )は、フィリピンのミスコン女王。1970年、ミス・インターナショナル世界大会優勝[2]。
経歴
[編集]生い立ち
[編集]1949年11月11日、西ネグロス州バコロド市に生まれる[3]。父・Marcelo Pijuanと母・Lucielle Mckenneyが儲けた12人兄弟姉妹の1人である[4]。
1965年、マニラのセイント・スコラスティカ・カレッジ(St. Scholastica's College)入学。在学中、Manila Chronicle紙後援のMiss Teen Princessで2位入賞[4]。
1967年、同卒業[3]。Maryknoll Manilaで高等教育を修了[4]。
キャリア
[編集]1970年、ミス・フィリピンでBinibining Pilipinas –Internationalに選ばれる[5][6]。
1970年5月16日、ミス・インターナショナル世界大会優勝。ミス・インターナショナル1970となる[7][8]。
その後
[編集]ミスとしての任期の後、モデルのキャリアを追求。また、2本の映画(Popeye、Sunugin Ang Samar)に出演。Mga Tinik ng Rosasの出演も決まっていたが、1972年戒厳令により制作は中断[4]。
2019年6月9日、南シナ海でフィリピン漁船に中国漁船が衝突、フィリピン漁船は沈没したが[9]、彼女は被害者救済のため、と7月20日に開催されたオークションにミス・インターナショナルの王冠を出品した。後に取り下げる(理由不明)[10]。
現在、貧困救済と国づくりのための組織Gawad Kalingaのメンバー[3]。
私生活
[編集]ゴルファーで元バスケットボールコーチのトミー・マノトックと結婚[11]。マノトックは彼女と別れた後、 フェルディナンド・マルコス大統領の娘アイミー・マルコスと[12]再婚(1981年12月4日[13])。詳細は関連項目参照。
出典
[編集]- ^ Ricardo F. Lo (2015年5月15日). “The day Aurora won Miss Int'l”. The Philippine Star
- ^ Han Shin (2005) (英語). Beauty With a Cause: A Spiritual Odyssey. iUniverse. p. 171. ISBN 9780595373680
- ^ a b c “Aurora's Advocacy”. visayandailystar.com (2006年4月3日). 2006年10月24日閲覧。
- ^ a b c d Danny Dolor (2018年12月9日). “Aurora Pijuan as ramp model”. philstar.com. 2019年7月20日閲覧。
- ^ Ricky Lo (2004年3月2日). “40 years with the Binibini”. philstar.com. 2019年7月19日閲覧。
- ^ “BINIBINING PILIPINAS IN THE 70's”. veestarz.com. 2013年9月14日閲覧。
- ^ “歴代のミス達”. miss-international.org. 一般社団法人国際文化協会. 2019年7月19日閲覧。
- ^ B91・W61・H93 ミス・インタナショナル 1位フィリピン代表『朝日新聞』1970年5月17日23面
- ^ “議長声明案で南シナ海「懸念」 ASEAN首脳会議 開幕”. FNN PRIME. Fuji News Network, Inc (2019年6月13日). 2019年7月20日閲覧。
- ^ “Aurora Pijuan withdraws Miss International crown from auction”. rappler.com. Rappler Inc (2019年7月20日). 2019年7月20日閲覧。
- ^ Alfrredo Navarro Salanga (1990) (英語). A Personal Chronicle, 1971-1987. De La Salle University Press. p. 52. ISBN 9789711180812
- ^ Alexandra A. Seno. “PEOPLE”. ASIAWEEK.com. 2006年10月22日閲覧。
- ^ Pamela G. Hollie (1982年2月10日). “MARCOS SON-IN-LAW ISSUES AN APOLOGY”. The New York Times