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エルジュビェタ・ヤギェロンカ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エルジュビェタ・ヤギェロンカ
Elżbieta Jagiellonka

出生 (1482-11-13) 1482年11月13日
死去 (1517-02-16) 1517年2月16日(34歳没)
配偶者 レグニツァ公フリデリク2世
家名 ヤギェウォ家
父親 ポーランド王・リトアニア大公カジミェシュ4世
母親 エリーザベト・フォン・ハプスブルク
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エルジュビェタ・ヤギェロンカElżbieta Jagiellonka1482年11月13日 - 1517年2月16日)は、ポーランドヤギェウォ王朝王女

生涯

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ポーランド王カジミェシュ4世とその妻でローマ王(ドイツ王)アルブレヒト2世の娘であるエリーザベト(エルジュビェタ)の間の第13子、七女、末娘として生まれた。母に因んだ同じ洗礼名を持つ姉が2人いたが、いずれも夭折していた。若い頃、モルダヴィアボグダン3世(隻眼公)から求婚されたが、結婚は実現しなかった。1515年11月26日、ブレスラウ司教トゥルゾー・ヤーノシュドイツ語版の司式により、レグニツァ公フリデリク2世と結婚した。1517年に第1子を死産した後、まもなく死去した。夫フリデリク2世は翌1518年、エルジュビェタの姪にあたるゾフィー・フォン・ブランデンブルク=アンスバッハドイツ語版と再婚した。