ウルリッヒ・ヒュブナー
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ウルリッヒ・ヒュブナー Ulrich Hübner | |
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生誕 |
1872年6月17日 ドイツ、ベルリン |
死没 |
1932年4月29日 ドイツ、Neubabelsberg |
ウルリッヒ・ヒュブナー(Ulrich Hübner、1872年6月17日 - 1932年4月29日)はドイツの印象派の画家の一人である。おもに風景画を描いた。
略歴
[編集]ベルリンで生まれた。父親は古典学者のエミール・ヒューブナー(Emil Hübner: 1834-1901)で、母親は画家のエドゥアルド・ベンデマンの妹であった。祖父のユリウス・ヒューブナー(Julius Hübner: 1806–1882)も著名な画家であった。1892年からカールスルーエの美術学校でロベルト・ペッツェルベルガーやグスタフ・シェーンレーバー、 カルロス・グレーテに学んだ。
ベルリンに戻った後もコンラート・フェール(Conrad Fehr: 1854-1933)の私立美術学校で修行を続けた[1] 。1899年にベルリン分離派のメンバーになり、1906年と1907年には理事を務めた。ドイツ画家協会(Deutscher Künstlerbund)が1905年に創設した ヴィラ・ロマーナ賞(Villa-Romana-Preis)で、ゲオルク・コルベやマクシミリアン・クルツヴァイルらと最初の受賞者になった。この賞の受賞者にはフィレンツェのヴィラ・ロマーナに1年間滞在し、イタリアで学ぶ奨学金が与えられた。
1905年にはチョコレート会社経営者のルートヴィヒ・シュトルヴェルクとワイン会社経営者のオットー・ヘンケルが共同で開催した商業ポスターのコンクールで入賞した。この時の受賞者にはエルンスト・オップラーもいた[2]。
ベルリンやハーフェル川流域の風景を描き、夏はハンブルクやリューベック、ロストックなどの港町の風景を描いた。港町のトラーヴェミュンデには1909年から1912年の間、本宅を置いて暮らした。
作品
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トラーヴェミュンデの港
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トラーヴェミュンデの公園(1919)
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冬のポツダム
脚注
[編集]- ^ Selbstauskunft auf einem handgeschriebenen Lebenslauf. Personalnachrichten für das Archiv der Königlichen Akademie der Künste zu Berlin. Maler Professor Ulrich Hübner (Blatt 4 ff.). PrAdK, Pers BK 242. Frühere Deutungen, dass es sich um die private Malschule Friedrich Fehr in München handelt, sind fehlerhaft.
- ^ Hofacker, Prof. Karl: Kunstgewerbeblatt 16. Jahrgang, Leipzig, 1905.
参考文献
[編集]- Ulrich Hübner – In Berlin und an der See. Ausstellungskatalog des Museums für Kunst- und Kulturgeschichte der Hansestadt Lübeck, 1988.
- Hamburger Ansichten – Maler sehen die Stadt. Hamburger Kunsthalle, Wienand Verlag, Biografie S. 189.
- Fritz Stahl: Ulrich Hübner. In: Velhagen & Klasings Monatshefte. Juni 1925, Jg. XXXIX, Heft 10, S. 385–393.
- Simone Westerhausen: Ulrich Hübner – Stadt, Land, See. Tradition und Rezeption impressionistischer Landschafts- und Marinemalerei im Kaiserreich und in der Weimarer Republik. Dissertation, Berlin 2020.