ウィリアム・レッグ (第4代ダートマス伯爵)
第4代ダートマス伯爵ウィリアム・レッグ(William Legge, 4th Earl of Dartmouth FRS FSA、1784年11月29日 – 1853年11月22日)は、グレートブリテン貴族。庶民院議員を務めた[1]。
生涯
[編集]第3代ダートマス伯爵ジョージ・レッグと妻フランシス(1761年2月9日 – 1838年11月21日、第3代エイルズフォード伯爵ヘニッジ・フィンチの娘)の息子として、1784年11月29日にセント・ジョージ・ハノーヴァー・スクエア教区で生まれた[1]。1799年よりイートン・カレッジで教育を受けた後[2]、1802年5月3日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学、1805年にB.A.の学位を修得した[3]。その後、大陸ヨーロッパのシチリアやスペインを旅した[2]。
1810年1月、ミルボーン・ポート選挙区の補欠選挙に出馬して、庶民院議員に選出された[4][5]。議会では演説の記録がなく、与党トーリー党を支持したとされる[2]。同年11月10日に父が死去すると、ダートマス伯爵位を継承し[1]、貴族院の議席を得た[2]。
1820年6月22日にロンドン考古協会フェローに[1]、1822年11月7日に王立協会フェローに選出された[6]。1834年6月13日、オックスフォード大学よりD.C.L.の名誉学位を授与された[3]。
1853年11月22日にスタッフォードシャーのパットシュルで死去、長男ジョージが夭折したため次男ウィリアム・ウォルターが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1821年4月5日、サイレンセスターでフランシス・シャーロット・チェットウィンド=タルボット(Frances Charlotte Chetwynd-Talbot、1801年5月17日 – 1823年10月4日、第2代タルボット伯爵チャールズ・チェットウィンド=タルボットの娘)と結婚[1]、2男をもうけた[2]。
- ジョージ(1822年6月10日 – 1823年10月18日埋葬) - 夭折[1]
- ウィリアム・ウォルター(1823年8月12日 – 1891年8月4日) - 第5代ダートマス伯爵[1]
1828年10月25日、フィレンツェでフランシス・バリントン(Frances Barrington、1802年10月20日 – 1849年8月11日、第5代バリントン子爵ジョージ・バリントンの娘)と再婚[1]、6男9女をもうけた[7][8]。
- フランシス・エリザベス(1829年9月15日[7] – 1922年3月13日) - 1862年4月22日、軍人ジョージ・ブルース・ミシェル(George Bruce Michell、1866年2月11日没)と結婚[8]
- ルイーザ・ジェーン・セシル(1830年11月6日[7] – 1910年2月12日) - 生涯未婚[8]
- ジョージ・バリントン(1831年12月19日 – 1900年12月9日) - 1860年10月9日、ソフィア・フランシス・マーガレット・レヴェット(Sophia Frances Margaret Levett、1895年10月15日没、ジョン・レヴェットの娘)と結婚、子供あり[7]
- ベアトリクス・マリア(1833年1月13日 – 1872年4月11日[7])
- エドワード・ヘンリー(1834年4月23日 – 1900年8月16日) - 1873年1月15日、コーデリア・ツイスデン・モールズワース(Cordelia Twysden Molesworth、1915年3月19日没、ウォルター・ヘレ・モールズワースの娘)と結婚、子供あり[8]
- アーサー・ケイ・ハワード(Arthur Kaye Howard、1835年3月24日 – 1861年6月8日[7])
- キャサリン(1837年9月2日[7] – 1914年7月1日) - 1863年4月9日、ロバート・ジェームソン・ユースタス・ユースタス(Robert Jameson Eustace Eustace、1889年4月1日没)と結婚、子供あり[8]
- フローレンス(1838年8月3日 – 1917年3月27日) - 1858年2月11日、ナサニエル・バーナーディストン(Nathaniel Barnardiston、1832年4月24日 – 1916年2月23日)と結婚、子供あり[7][8]
- オーガスタス(1839年11月28日 – 1913年3月15日) - 聖職者。1877年1月3日、ファニー・ルイーザ・ストップフォード=サックヴィル(Fanny Louisa Stopford-Sackville、1911年12月23日没、ウィリアム・ブルース・ストップフォード=サックヴィルの娘)と結婚、子供あり[8]
- バーバラ・キャロライン(1841年1月[7] – 1909年1月5日) - 1875年11月24日、聖職者ハイシュ・イートマン=ビッグス(1922年4月14日没)と結婚、子供あり[8]
- チャールズ・ガウンター(Charles Gounter、1842年5月9日 – 1907年11月15日) - 1868年6月2日、メアリー・ガーニア(Mary Garnier、1896年12月13日没、聖職者トマス・ガーニアの娘)と結婚、子供あり[8]
- シャーロット・アン・ジョージアナ(1843年7月29日[7] – 1908年12月19日) - 生涯未婚[8]
- ヘニッジ(1845年7月3日 – 1911年11月1日) - 軍人、政治家。生涯未婚[8]
- ハリエット・オクタヴィア(1847年3月1日[7] – 1927年4月22日) - 生涯未婚[8]
- ウィルヘルミナ(1849年2月28日[7] – 1928年12月31日) - 1874年6月30日、ジョン・タウンゼンド・ブルック(John Townshend Brooke、1899年1月31日没)と結婚、子供あり[8]
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1916). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Dacre to Dysart) (英語). Vol. 4 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 90–91.
- ^ a b c d e Thorne, R. G. (1986). "LEGGE, William, Visct. Lewisham (1784-1853), of Patshull House, Staffs.". In Thorne, R. G. (ed.). The House of Commons 1790-1820 (英語). The History of Parliament Trust. 2024年8月6日閲覧。
- ^ a b Foster, Joseph (1888–1892). . Alumni Oxonienses: the Members of the University of Oxford, 1715–1886 (英語). Vol. 3. Oxford: Parker and Co. p. 835. ウィキソースより。
- ^ "No. 16339". The London Gazette (英語). 3 February 1810. p. 178.
- ^ Thorne, R. G. (1986). "Milborne Port". In Thorne, R. G. (ed.). The House of Commons 1790-1820 (英語). The History of Parliament Trust. 2024年8月6日閲覧。
- ^ "Legge; William (1784 - 1853); 4th Earl of Dartmouth". Record (英語). The Royal Society. 2024年8月6日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l Lodge, Edmund, ed. (1902). The Peerage and Baronetage of the British Empire as at Present Existing (英語) (71st ed.). London: Hurst and Blackett. p. 196.
- ^ a b c d e f g h i j k l m Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth Peter, eds. (1934). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, The Privy Council, and Knightage (英語). Vol. 1 (92nd ed.). London: Burke's Peerage, Ltd. pp. 712–713.
外部リンク
[編集]- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by Mr William Legge
- ウィリアム・レッグ - ナショナル・ポートレート・ギャラリー
- "ウィリアム・レッグの関連資料一覧" (英語). イギリス国立公文書館.
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