ウィリアム・レッグ (第4代ダートマス伯爵)

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第4代ダートマス伯爵

第4代ダートマス伯爵ウィリアム・レッグ(William Legge, 4th Earl of Dartmouth, FRS, SA[1]1784年11月29日 - 1853年11月22日)は、グレートブリテン貴族1801年までは、ウィリアム・レッグ閣下 (The Honourable William Legge)、1801年から1810年まではルイシャム子爵 (Viscount Lewisham) と称された。

出自[編集]

ダートマス卿は、第3代ダートマス伯爵ジョージ・レッグと、第3代アイルズフォード伯爵ヘニッジ・フィンチ (Heneage Finch, 3rd Earl of Aylesford) の娘であったレディ・フランシス (Lady Frances) の子である。ヘニッジ・レッグ (1788年生)アーサー・レッグは、ダートマス卿の弟である[2]

経歴[編集]

ダートマス卿は、ミルボーン・ポート選挙区 (Milborne Port) から選出される2人の議員のひとりとして、1810年1月の補欠選挙議会庶民院に選出された[3]。しかし、この年の11月には、父から伯爵位を襲爵し、貴族院の議席を得た[4]1822年11月7日には、王立協会フェローに選出された[5]。ダートマス卿は、ロンドン考古協会 (Society of Antiquaries of London) の会員でもあった[2]

家族[編集]

ダートマス卿は、2度結婚した。最初は、1820年に、第2代タルボット伯爵チャールズ・チェットウィンド=タルボット (Charles Chetwynd-Talbot, 2nd Earl Talbot) の娘であったレディ・フランシス・シャーロット (Lady Frances Charlotte) と結婚した。レディ・フランシスは、ひとり息子を出産した2か月後の1823年10月に死去した。次にダートマス卿は、1828年に、第5代バリントン子爵ジョージ・バリントン師 (Reverend George Barrington, 5th Viscount Barrington) の娘であったオナラブル・フランシス (the Honourable Frances) と再婚した。ふたりの間には、6人の男子と9人の女子が生まれた。その中には、オーガスタス・レッグ師 (the Right Reverend Augustus Legge) や、ヘニッジ・レッグ大佐 (1845年生) がいた。ダートマス伯爵夫人は1849年8月に死去した。その後、ダートマス卿は1853年11月に68歳で没するまで、再婚することはなかった。伯爵位は、最初の結婚によるひとり息子であったウィリアムが相続した[2]

出典・脚注[編集]

  1. ^ 「FRS」は、王立協会フェロー、「SA」は、ロンドン考古協会会員であることを示す。
  2. ^ a b c thepeerage.com William Legge, 4th Earl of Dartmouth
  3. ^ The London Gazette: no. 16339. p. 178. 1810年2月3日2010年11月19日閲覧。
  4. ^ leighrayment.com House of Commons: Mayo to Minehead
  5. ^ Lists of Royal Society Fellows”. 2006年12月15日閲覧。

外部リンク[編集]

グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会
先代:
Hugh Leycester
Lord Paget
ミルボーン・ポート選挙区選出議員
1810年1月 - 11月
同職:Hugh Leycester
次代:
Hugh Leycester
Hon. Sir Edward Paget
グレートブリテンの爵位
先代:
ジョージ・レッグ
ダートマス伯爵
1810年 – 1853年
次代:
ウィリアム・レッグ