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イーリー侯爵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
イーリー侯爵
Marquess of Ely
創設時期1800年12月29日
創設者ジョージ3世
貴族アイルランド貴族
初代初代侯チャールズ・ロフタス
現所有者9代侯チャールズ・トッテナム
推定相続人ティモシー・トッテナム
付随称号イーリー伯爵
ロフタス子爵
ロフタス男爵(1785年)
ロフタス男爵(1801年)(UK)
(トッテナム・グリーンの)準男爵
邸宅ロフタス・ホール英語版
モットー困難を越えて高みへ
(AD ASTRA SEQUOR)
死するまで忠実に
(Loyal A Mort)

イーリー侯爵(イーリーこうしゃく、: Marquess of Ely)は、イギリスの侯爵貴族アイルランド貴族爵位。1800年に創設された。

歴史

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侯爵家の邸宅ロフタス・ホール英語版

ウェックスフォード県出身の政治家ジョン・トッテナム英語版(1714–1787)アイルランド庶民院議員を務め、1780年12月18日にアイルランドにおける準男爵に叙された[1]。彼は初代ロフタス子爵ニコラス・ロフタス(c.1687–1763)の娘エリザベスと結婚しており、1783年にエリザベスの兄弟にあたる初代イーリー伯爵ヘンリー・ロフタス(1709–1783)が死去するとジョン・トッテナムの息子チャールズ・トッテナム(1738–1806)(のち2代準男爵)がその遺産を相続、チャールズは姓をロフタスに改めた[1]

チャールズもアイルランド庶民院議員、アイルランド郵政長官英語版を務めた政治家であり、前述の準男爵位のほか、1785年6月28日にアイルランド貴族であるウェックスフォード県ロフタス・ホールにおけるロフタス男爵、1789年12月28日にイーリーのロフタス子爵、1794年3月2日にイーリー伯爵、1800年12月29日[注釈 1]イーリー侯爵に叙され、さらに1801年1月19日に連合王国貴族であるヨーク州ロング・ロフタスにおけるロフタス男爵に叙された[4]

2代侯爵ジョン・ロフタス(1770–1845)もアイルランド庶民院議員、連合王国庶民院議員を務めた政治家で、3代侯爵ジョン・ヘンリー・ロフタス英語版(1814–1857)も襲爵以前に数か月間庶民院議員を務めた[5]

7代侯爵が死去すると、2代侯爵の男系子孫が断絶した。そのため、8代侯爵には初代侯爵の次男ロバート・ポンソンビー・トッテナム卿英語版(1773–1850)の玄孫にあたるチャールズ・ジョン・トッテナム(1913–2006)が継承した[6]。ロバート・ポンソンビーが姓をロフタスからトッテナムに戻したため、8代侯爵以降の姓もトッテナムとなった[6]

2019年現在の当主は8代侯爵の息子にあたる9代侯爵チャールズ・ジョン・トッテナム(1943–)である[7]。彼はカナダ西部のアルバータ州カルガリー在住であり、養子と養女が1人ずついるが、嫡子がおらず、弟ティモシー・クレイグ・トッテナム卿(1948–)推定相続人になっている[7]

現当主の保有爵位・準男爵位

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現当主の第9代イーリー侯爵チャールズ・トッテナムは、以下の爵位を有する。

  • 第9代イーリー侯爵(9th Marquess of Ely)
    (1800年12月29日の勅許状によるアイルランド貴族爵位)
  • 第9代イーリー伯爵英語版(9th Earl of Ely)
    (1794年3月2日の勅許状によるアイルランド貴族爵位)
  • 第9代イーリーのロフタス子爵(9th Viscount Loftus, of Ely)
    (1794年3月2日の勅許状によるアイルランド貴族爵位)
  • 第9代ウェックスフォード県におけるロフタス・ホールのロフタス男爵(9th Baron Loftus, of Loftus Hall in the County of Wexford)
    (1785年6月28日の勅許状によるアイルランド貴族爵位)
  • 第9代ヨーク州ロング・ロフタスのロフタス男爵(9th Baron Loftus, of Long Loftus in the County of York)
    (1800年12月29日の勅許状による連合王国貴族爵位)
  • 第10代(トッテナム・グリーンの)準男爵(10th Baronet, of Tottenham Green)
    (1780年12月18日の勅許状によるアイルランド準男爵位)

一覧

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(トッテナム・グリーンの)トッテナム準男爵(1780年)

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  • 初代準男爵サー・ジョン・トッテナム英語版(1714年 – 1787年)
  • 第2代準男爵サー・チャールズ・ロフタス(1738年 – 1806年)
    • 1785年、ロフタス男爵(第2期)に叙爵。1789年、ロフタス子爵に叙爵。1794年、イーリー伯爵に叙爵。1800年、イーリー侯爵とに叙爵。1801年、ロフタス男爵(第3期)叙爵。

イーリー侯爵(1800年)

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  • 初代イーリー侯爵チャールズ・ロフタス(1738年 – 1806年)
  • 第2代イーリー侯爵ジョン・ロフタス(1770年 – 1845年)
  • 第3代イーリー侯爵ジョン・ヘンリー・ロフタス英語版(1814年 – 1857年)
  • 第4代イーリー侯爵ジョン・ヘンリー・ウェリントン・グラハム・ロフタス(1849年 – 1889年)
  • 第5代イーリー侯爵ジョン・ヘンリー・ロフタス(1851年 – 1925年)
  • 第6代イーリー侯爵ジョージ・ハーバート・ロフタス(1854年 – 1935年)
  • 第7代イーリー侯爵ジョージ・ヘンリー・ウェリントン・ロフタス(1903年 – 1969年)
  • 第8代イーリー侯爵チャールズ・ジョン・トッテナム(1913年 – 2006年)
  • 第9代イーリー侯爵チャールズ・ジョン・トッテナム(1943年 – )

爵位の推定相続人は現当主の弟ティモシー・クレイグ・トッテナム卿(1948年 – )で、その法定推定相続人は長男であるスコット・クレイグ・トッテナム(1977年 – )である。

脚注

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注釈

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  1. ^ 侯爵位の叙爵年月日については、完全貴族要覧(1926年版)が「1801年1月1日」とする一方、完全貴族要覧(1906年版)、デブレット貴族名鑑英語版(1921年版)[2]、叙爵時のロンドン・ガゼット(イギリスの官報[3]は「1800年12月29日」を採っており、本記事では多数派の後者を採用したい。

出典

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  1. ^ a b Cokayne 1906, p. 399.
  2. ^ Arthur G.M. Hesilrige (1921). 『Debrett's peerage, and titles of courtesy, in which is included full information respecting the collateral branches of Peers, Privy Councillors, Lords of Session, etc』. Wellesley College Library. London, Dean. p. 345. https://archive.org/details/debrettspeeraget00unse/page/344/mode/2up 
  3. ^ "No. 15326". The London Gazette (英語). 6 January 1801. p. 40. 2024年4月28日閲覧
  4. ^ Cokayne, Gibbs & Doubleday 1926, pp. 66–67.
  5. ^ Cokayne, Gibbs & Doubleday 1926, p. 67.
  6. ^ a b Cokayne & Hammond 1998, pp. 304–305.
  7. ^ a b Morris, Bosberry-Scott & Belfield 2019, pp. 2372–2373.

参考文献

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