アロイーザス・サカラス

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アロイーザス・サカラス
Aloyzas Sakalas
生年月日 (1931-07-06) 1931年7月6日(92歳)
出生地  リトアニア ヨシシュキス
出身校 カウナス工業大学1960年
ヴィリニュス国立大学1969年
所属政党 リトアニア社会民主党1989年 - )

欧州連合の旗 欧州議会議員
選挙区 リトアニア
在任期間 2004年 - 2009年

リトアニアの旗 リトアニア共和国国会議員
在任期間 1992年 - 2004年

リトアニアの旗 リトアニア共和国最高会議議員
在任期間 1990年 - 1992年
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アロイーザス・サカラスAloyzas Sakalas1931年7月6日 - )は、リトアニア物理学者政治家サーユーディス設立メンバーの一人で、独立回復宣言に署名した。2004年から2009年までは欧州議会議員を務めた。

経歴[編集]

学歴[編集]

1938年から1943年まで、カウナス第35初等学校で学んだ後、1943年から1945年までアウシュラ男子ギムナジウムで学んだ。その後、1945年から1949年までカウナス・コムソモール中等学校で学んだ後、1949年から1954年まで反ソヴィエト活動を理由に監禁された。その後、1955年に中等学校を首席で卒業。

1960年カウナス工業大学 (KPI) を卒業。1969年ヴィリニュス国立大学を修了。

政治活動[編集]

1988年、リトアニア改革運動サーユーディスの設立メンバーの一人で、1988年から1990年までヴィリニュス評議会の議長を務める。

1989年リトアニア社会民主党 (LSDP) の再結党に携わる。1989年から1991年までLDPヴィリニュス支部長。1991年から1999年までリトアニア社会民主党党首。その後名誉党首。

1990年から1992年まで最高会議議員。1990年、独立回復宣言に署名。1992年から2004年まで国会議員。1992年から1996年までは国会副議長も務めた。2004年欧州議会議員選挙欧州議会議員に選出され、2009年まで欧州議会議員を務めた。

家族[編集]

最初の妻は医師ブロニスラヴァで、娘エグレをもうけた。エグレも医師。ブロニスラヴァとは結婚後2年で離婚した(1958年頃)。

その後ユーラテ・ランズベルギーテの母でヴィータウタス・ランズベルギスの前妻であるリタ・クチンスカイテと再婚。結婚生活は50年近く続いた。1959年、双子のルータとパウリュスをもうけた。ルータは文献学者、パウリュスは物理学者。

2014年9月、46歳のジャーナリスト、ダイヴァ・ノルキエネと再婚した[1]

党職
先代
カジミエラス・アンタナヴィチュス
リトアニア社会民主党党首
1991年 - 1999年
次代
ヴィーティス・ポヴィラス・アンドリュカイティス

脚注[編集]