アッバース・ブン・サイード・ジャウハリー
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アッバース・ブン・サイード・ジャウハリー(アラビア語: العباس بن سعيد الجوهري, ラテン文字転写: al-ʿAbbās b. Saʿid al-Jawharī)は、9世紀のバグダード、アッバース朝カリフ・マァムーンに仕えた幾何学者[1]。
西暦813年に内戦に勝利したマァムーンは、父のハールーン・ラシードが始めた学術振興政策を引き継ぎ、首都バグダードのバイトル・ヒクマ(知識の家)に、キンディー、フワーリズミー、フナイン・ブン・イスハーク、サービト・ブン・クッラ、バヌー・ムーサー三兄弟といった、天文学者/占星術師を多く雇い入れた[1]。ジャウハリーがいつからバイトル・ヒクマに雇い入れられたか、はっきりしたことは不明であるが、ヒジュラ暦214年から215年(西暦829年-830年)の間にバグダードで実施された天文観測に参加したことが記録されている[1]。マァムーンが没する833年より前にバグダードからダマスクスへ行き、832年から833年の間にダマスクスで実施した天文観測に参加した[1]。
ジャウハリーは幾何学に関する著作でもっともよく知られる[1]。ジャウハリーはエウクレイデスの『原論』に注釈し、幾何学の命題を50個追加し、さらに平行線公準の証明を試みた[1]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f O'Connor, John J.; Robertson, Edmund F. (November 1999), “al-Abbas ibn Said Al-Jawhari”, MacTutor History of Mathematics archive, University of St Andrews.