ℓ進層
代数幾何学において、ℓ 進層とは、ℓ 進数体 Qℓ のようなねじれのない係数に対してエタール・コホモロジーの理論を適切に拡張するために用いられる概念である。 アレクサンドル・グロタンディークにより SGA 5 において導入され[1]、その後ピエール・ドリーニュ [2] 、ウーヴェ・ヤンセン[3] 、トルステン・エケダール[4] などにより理論が整備された[5]。
バルガフ・バットとペーター・ショルツェはプロエタール位相を用いて ℓ 進層の理論に新たなアプローチを与えた[6]。
動機
[編集]エタール・コホモロジーは、代数多様体に対する「位相的な」コホモロジー論、すなわち任意の標数で機能するようなヴェイユ・コホモロジー論を構築する目的で発展した。 そのような理論に不可欠な特徴は、標数 0 の体を係数にもつことである。 しかし、ねじれのないエタール定数層のコホモロジーは興味深い情報を含まない。 例えば、X が体 k 上の滑らかな代数多様体のとき、任意の正の整数 i に対して Hi(Xét, Q) = 0 である[7]。 一方、定数層 Z/m は、体 k において m が可逆である限り、「正しい」コホモロジーを与える。 そのため、体 k で可逆であるような素数 ℓ に対し、X の ℓ 進コホモロジーを
- ,
と定義する。
しかし、この定義は完全に満足のできるものではない。 位相空間に対する古典的な理論のように、Qℓ ベクトル空間の局所系を係数にもつコホモロジーを考えたい。 また、そのような局所系のなす圏とエタール基本群の Qℓ 上の連続表現のなす圏の間に圏同値が存在するべきである。
上の定義の別の問題点は、k が分離閉体のときにしかうまく振る舞わないことである。 その場合には、逆極限に現れるすべての群は有限生成で、逆極限をとる操作は完全である。 しかし、例えば k が代数体の場合、コホモロジー群 Hi(Xét, Z/ℓn) が有限とも、逆極限をとる操作が完全とも限らない。 これにより関手性に問題が生じる。 例えば、 を のガロア・コホモロジーに関連付けるホッホシルト・セールスペクトル系列[注釈 1]は一般には存在しない[8]。
以上の考察から、エタール層の逆系のなす圏を考えるというアイデアに至る。 これによって、Qℓ 局所系のなす圏とエタール基本群の有限次元 Qℓ ベクトル空間上の連続表現の圏の間の所望の圏同値が生じる。 また、前の段落で述べた問題も、逆系の大域切断の逆極限をとる関手の導来関手を考える、いわゆる連続エタール・コホモロジーによって解決する。
定義
[編集]X をネータースキームとする。 X 上の ℓ 進層、または Zℓ 層とは、X 上のエタール層のなす逆系 で、各 n ≧ 0 に対して射 が同型 を誘導するものである[9]。
ℓ 進層 は、
ℓ 進層の定義に構成可能であることを含める文献もある(例えば SGA 4 1/2[11])。
X 上の Qℓ 層のなす圏を次のように定義する。
- 対象は X 上の Zℓ 層とする。
- 2 つの Zℓ 層 に対して、射の集合 を と定める。
このように定義された圏の対象を X 上の Qℓ 層と呼び、Zℓ 層 で表される Qℓ 層を と表記する[12]。
滑らかな ℓ 進層とエタール基本群の連続表現の対応
[編集]連結なネータースキーム X とその幾何学的点 x に対して、SGA 1 では X の x におけるエタール基本群 πét1(X, x) が、X の有限ガロア被覆を分類する群として定義されている。 このとき、X 上の滑らかな ℓ 進層のなす圏は有限生成 Zℓ 加群上の πét1(X, x) の連続表現のなす圏と同値である[13]。 同様に、Qℓ 層の場合は有限次元 Qℓ ベクトル空間上の πét1(X, x) の連続表現と対応する[13]。 これは、代数的トポロジーにおける局所系と基本群の連続表現の間の対応の類似である(このため、滑らかな ℓ 進層は局所系と呼ばれることがある)。
ℓ 進コホモロジー
[編集]古典的には、スキーム X 上の Zℓ 層 に対して、X の 係数 ℓ 進コホモロジーは
と定義される[14]。 Zℓ 層 により と表される Qℓ 層に対しては
と定義する[14]。
しかし、これは導来関手として定義されていないため、関手性に問題が生じる[15]。 この問題を解決するのがウーヴェ・ヤンセンの連続エタール・コホモロジーである。 X 上のエタール層の逆系のなす圏はアーベル圏であり十分単射的対象をもつため[16]、関手 の i 次右導来関手を考えられる。 これを逆系 に適用して得られるアーベル群を と表し、X の 係数連続エタール・コホモロジーという[注釈 2]。
エタール層の逆系 で各射 が全射であるものに対して、X の 係数連続エタール・コホモロジーはバルガフ・バットとペーター・ショルツェによるプロエタール・コホモロジーで表すことができる[17]。
構成可能 ℓ 進層のなす「導来圏」
[編集]構成可能 層のなす導来圏は、本質的には ℓ 進コホモロジーの場合と類似の式
で表されるようなアイデアにより定義される。 ドリーニュ[2]が最初にこのアイデアに沿った定義を与えた[18]。 その後エケダール[4]によってより一般的な構成が与えられた。
バットとショルツェは、Qℓ の任意の(有限次とは限らない)代数拡大 E に対して、構成可能 E 層の導来圏 をプロエタール位相を備えた X のプロエタール景 Xproét 上の E ベクトル空間の層のなすアーベル圏の導来圏 の特別な対象のなす充満部分圏 として実現した[19]。
関連項目
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 通常のエタール・コホモロジーの場合のホッホシルト・セールスペクトル系列については、例えば Fu 2011, pp. 500–501 を参照。
- ^ Jannsen 1988, p. 216 では ℓ 進層における導来関手の値のみに対し という記号が用いられ、また「連続エタール・コホモロジー」の名前もその状況においてのみ与えられているが、ここでは Bhatt & Scholze 2015, Definition 5.6.1 の記法・用語法に従った。
出典
[編集]- ^ Illusie 1977.
- ^ a b Deligne, Pierre (1980). “La conjecture de Weil. II”. Inst. Hautes Études Sci. Publ. Math. 52: 137-252.
- ^ Jannsen 1988.
- ^ a b Ekedahl 1990.
- ^ “Section 61.1 (0966): Introduction”. The Stacks Project. 2024年8月20日閲覧。.
- ^ Bhatt & Scholze 2015.
- ^ “Etale cohomology with coefficients in ”. mathoverflow. 2024年8月20日閲覧。
- ^ Jannsen 1988, pp. 207–208.
- ^ Milne 1980, pp. 163–164.
- ^ a b Milne 1980, p. 164.
- ^ Deligne, Pierre (1977). Cohomologie Etale. Lecture Notes in Mathematics. 569. Berlin; New York: Springer-Verlag. pp. iv+312. doi:10.1007/BFb0091516. ISBN 978-3-540-08066-4. MR0463174
- ^ “Definition 64.18.6 (03UR)”. The Stacks Project. 2024年8月21日閲覧。
- ^ a b Fu 2011, Proposition 10.1.23.
- ^ a b “Definition 64.18.8 (03UT)”. The Stacks Project. 2024年8月21日閲覧。
- ^ Jannsen 1988, p. 207.
- ^ Jannsen 1988, p. 209.
- ^ Bhatt & Scholze 2015, § 5.6.
- ^ Bhatt & Scholze 2015, p. 100.
- ^ Bhatt & Scholze 2015, Proposition 6.8.14.
参考文献
[編集]- Bhatt, Bhargav; Scholze, Peter (2015). “The pro-étale topology for schemes”. Astérisque 369: 99-201. doi:10.24033/ast.960 . arXiv:1309.1198
- Ekedahl, Torsten (1990). “On the adic formalism”. The Grothendieck Festschrift, Vol. II (Boston, MA: Birkhäuser Boston): 197-218.
- Fu, Lei (2011), Etale Cohomology Theory, Nankai Tracts in Mathematics, 13, World Scientific Publishing, doi:10.1142/7773, ISBN 9789814307727
- Exposé V, VI of Illusie, Luc, ed (1977). Séminaire de Géométrie Algébrique du Bois-Marie 1965–66 SGA 5. Lecture notes in mathematics. 589. Berlin; New York: Springer-Verlag. pp. xii+484. doi:10.1007/BFb0096802. ISBN 3-540-08248-4. MR0491704
- Jannsen, Uwe (1988). “Continuous Étale Cohomology.”. Mathematische Annalen 280 (2): 207–246. ISSN 0025-5831 .
- James S., Milne (1980), Étale cohomology, Princeton, N.J: Princeton University Press, ISBN 0-691-08238-3