Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/百済 20180411

百済 - ノート[編集]

選考終了日時:2018年4月25日 (水) 00:04 (UTC)2018年5月9日 (水) 00:04 (UTC)

  • (自動推薦)2018年3月の月間強化記事賞受賞記事。--Trgbot会話2018年4月11日 (水) 00:04 (UTC)[返信]
  • 賛成 多くの文献を丁寧に読み込んでしっかり書かれていると思います。攻防史や外交史が中心になっているので、以下のコメントにあるように内部の支配体制や文化についての記述がもっと欲しいところですが、おそらくそれに関する研究はもちろんのこと、考古学的資料や文献資料自体が乏しいのでしょうね。
全般
  • 追加しました。
  • 原典資料として参照されているのは『三国史記』や『隋書』『日本書紀』など外国の資料ばかりのようですが、百済自体の文字資料は残っていないのでしょうか。滅亡したとは言え、これだけの支配体制が整っていて、渡来人が日本に文物を伝え漢字を導入するくらい知識人も豊富にいた国に何も記録が残っていないというのは考えがたいのですが。正史と呼べるほどかっちりした記録でなくても、各種の公文書やあるいは碑文木簡のようなものも知られていないのでしょうか。
  • 歴史書は「かつてあった」ことわかるのみで現存しているものはありません。井上氏に従うなら、『三国史記』の編纂段階で百済史料は残存率が悪かったと見られているようです。『日本書紀』に引用されている「百済三書」は百済本国で作成されたものと主張する学者もいますが、有力説というわけではなさそうです。碑文も新羅と高句麗のものしか見つかっていないと思います。例外は唐が残した大唐平百済国碑銘くらいでしょうか。ですので「外国の史料ばかり」であるのは史料の現存状況を反映したものとなっています。百済自身の文字資料としては武寧王陵出土の墓誌や買地券、木簡があるようですが、私の知識では本文の記述と絡めて言及することができませんでした。パルティアの記事のように「§史料」を設けても良さそうですが、若干独自研究気味になりそうなので悩みます。
  • 民衆の支配機構と生活文化について
百済(の支配地)における民衆支配の機構はどうなっていたのでしょうか(徴税、課役など)。また、どんな国のどんな時代であっても民衆の生活史に関する記録はきわめて残りにくいものですが、百済の民衆生活や文化についての研究は何かないのでしょうか。
  • 統治機構について詳細が書かれた参考文献を発見できず、民衆の生活史に関する記述の追加は私の方では難しそうで、他の有識者の登場を待つという感じになります。勝ち残った新羅の律令制の実態からしてほとんど不明であるということなので、私としては基本的に史料が無く研究が進んでいないと理解しています。『旧唐書』や『新唐書』には、民衆の家の様子(李氏朝鮮時代のそれと大きくは変わらないようです)や、地方支配制度についての記述はあるのですが、何分にも一次史料ということになると思うため、その記述をそのまま載せるのはためらわれます。考古学的の方からはオンドルについてはちょっと書けるかもしれませんが、百済の主要都市だった漢城や熊津の都市部の遺跡は現代の都市の下に埋まっているため、都市民の生活に関する情報は限られているようです。
§2 歴史
  • 「三国時代の朝鮮半島」の図
それぞれ韓国の教科書、日本の教科書で見られる範囲、とされていますが、図の出典はそれぞれ何でしょうか(もちろん原典資料の図を直接コピーしたはずはありませんが、境界線とか領域については参照した出典があるはずで、それらのことです。)コモンズのファイルページをたどって行っても原典の書かれたデータは見当たりません。図の出典(というか準拠資料)は示せないにしても、せめて同じような図が描かれているテキスト(もちろん「韓国の教科書」「日本の教科書」と呼べるような資料)を示す必要はあると思います。
  • この地図は加筆前から使用されていたもののため、残念ながら出典はわかりません。「日本の教科書」とされている方の地図は吉川弘文館の『日本史年表・地図』のそれに近いですが。個人的には教科書から情報を引っ張ってくることには否定的なので、別途地図を用意したいなとも思いますがちょっと時間がかかりそうです。
§2.2 漢城時代
  • 「この刀は現存しており」
どうでもいいことですが、どこに保管されているのか気になります。倭国に贈られたということは、日本のどこかの寺社か博物館あたりにありそうですが。
  • これはいわゆる七支刀と呼ばれるもので、奈良県天理市の石上神宮に伝存していたもので、今でもそこにあると思います。[1]
§2.3 中期:熊津時代(475–538年)
  • 「別の貴族真氏によってこれを討伐した」
誰が討伐した(つまり討伐の命令を下した)のでしょうか。すでに傀儡王と化していた(と思われる)太子三斤でしょうか。
  • 井上氏の『古代朝鮮』の記述に従えば三斤であるので、そのように文章を変更しました。
§5.1 中国との関係
  • 「中央権力の地位を強化する威信材の役割を果たした可能性もある」
「威信材」聞いたことがない言葉ですが、もちろん意味はよーくわかります。おそらく出典資料の中にある言葉をそのまま持ってきたのだと思いますが、実際のところ(歴史学でも、あるいは社会学や政治学など他の分野でも構いませんが)学術用語として、もしくは一般的な言い回しとして、そういう言葉があるのでしょうか。
  • 威信は誤字です(^^;、失礼しました。正しくは威信なので修正しました。言葉自体はCiniiで検索するとこれをテーマにした論文が多数見つかるため、歴史学では一般的な用語であると思います。
§5.3 倭国との関係
  • 「...百済は倭国の要望に応じ、548年には労働者の派遣、550年に武器兵糧の支援、551年に食料の支援が倭国から行われた」
前文に「倭国はその見返りとして様々な文物や技術を要求した」とあるので、百済が倭国の要求に応じて倭国に労働者や武器兵糧を送った、と解釈して読んでいました。「労働者や武器兵糧」でも「様々な文物や技術」の一部と解釈できてしまうので。ところが、最後の文で逆であることがわかったので、あれっと思ってしまいました。文脈的に誤解し易い文なので、たとえば、「...百済は倭国の要望に応じた。そして、倭国は百済に対して、548年に労働者の派遣、550年に武器兵糧の支援、551年に食料の支援を行った」のように、主体の入れ替えに合わせて文章をわけた方が良いと思います。
  • ご指摘の通りと思うので、上記の文章を使用させていただいて修正しました。
§ 8 文化
建築、工芸、美術についての解説も欲しいところです。倭国に多くの技術者が派遣されたくらいですから、これらの分野においてもかなり発展していたのではないかと思われます。
  • 現存物品が少なくなかなか厳しいようです。本文中に乗せてある香炉など残された物品は素晴らしいものなので「発展していた」ことはわかるのですが、百済美術全般についての概要を書いた出典が見出せずこれもちょっと私の方では十分な品質の加筆はできない感じです。建築に関して言えば羅城と寺院跡についての記述は追加できそうですが、これもちょっと時間がかかりそうなのでとりあえずは未記載です。
出典
  • 「朝鮮史研究入門 2011」「山本 2011」「金 2015」
アンカーリンク不備。いずれも、ハーバード方式の出典情報から文献情報に飛べません
  • 修正しました。
--Loasa会話2018年4月15日 (日) 15:06 (UTC)[返信]
ありがとうございます。現状の主筆者と言うことになると思うので返信します。詳細はインラインで書きますが、大きな修正はちょっと時間がかかりそうなのでとりあえずの回答となります。--TEN会話2018年4月16日 (月) 15:13 (UTC)[返信]
  • 賛成 よく書かれた記事になっているものと思います。やはり、文化面の記述は弱い感じですね。場所から考えると、今と同様にコメが主食かつ主要産業ということで良いのでしょうか。--Tam0031会話2018年4月18日 (水) 10:22 (UTC)[返信]
  • コメント 選考終了時点で賛成2票のため、選考期間が2週間自動延長となります。--Tam0031会話2018年4月25日 (水) 13:53 (UTC)[返信]
  • 賛成 多くの学術的文献を利用して中立的に書かれた記事だと思います。 「国際関係」節のなかに「中国との関係」、「高句麗との関係」、「倭国との関係」という節が並んでいると「新羅との関係」という節もあっても良いような気もしますが、「歴史」節のなかに「新羅の強大化と外交関係」という節があるので重複しますし、改めて記述を要さないということなのだろうと思います。文化面に関して言えば(上ですでに「寺院跡」のことに触れられていますしご存知のこととは思いますが)、造瓦技術は日本などにも重要な影響を与えたということで研究も多い([2][3])そうなので、一定量の記述があっても良いのかもしれないとは思いました。--伊佐坂安物会話/履歴) 2018年5月8日 (火) 15:12 (UTC)微修正--伊佐坂安物会話/履歴2018年5月8日 (火) 16:03 (UTC)[返信]
  • コメントありがとうございます。「新羅との関係」節は私も欲しいと思い一度書いたのですが独自研究風味たっぷりなものになってしまい加筆はやめました・・。倭と百済の関係については物凄く資料が豊富ですし、高句麗と百済の関係についても論考がわりとあるのですが、意外と新羅と百済の関係をテーマにした論考があまり見当たらなかったです。「比較」はよくされるのですが・・。
倭・朝鮮半島・満州の瓦は一大テーマであるようで、言及自体はご指摘の通りあっても良いと思います。百済に加筆した時に使用した本にも瓦について詳述したものがいくつかあります。ただ、既存の節構造のどこに入れ込むべきか判断できなかったこと、そして最大の問題として朝鮮半島の瓦の画像がコモンズに少ないことから自分の方では言及ができませんでした。参考資料の瓦の形式の説明が文様などの写真と一体となっている物が多く、またどれも非常に詳細に書かれたもので、にわか仕込みでは写真抜きで説明できるような概要にまとめられなかったのが正直なところです。これも今後の加筆されたら、あるいはできたらいいなぁとは思うのですが、当面は私の方ではできない感じです。--TEN会話2018年5月8日 (火) 17:31 (UTC)[返信]

選考終了時点で賛成3票のため、通過となります。--Tam0031会話2018年5月9日 (水) 13:55 (UTC)[返信]