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Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/京都大学吉田寮 20181212

京都大学吉田寮 - ノート[編集]

選考終了日時:2018年12月26日 (水) 00:13 (UTC)

  • 賛成 :推薦者票--運動会プロテインパワー会話2018年12月12日 (水) 00:13 (UTC)[返信]
  • 反対 :1.出典不足。全く出典がない段落もある。そのため独自研究になっていないか確認できない。2.無駄な内容が多い。例えば「1945年、硫黄島守備隊が玉砕し、沖縄が失陥し、主要都市は空襲に見舞われ、広島と長崎は原爆で灰燼に帰した。 」は京都大学吉田寮と関係があるのか?年表の「食堂の補修が完了」などは大事なことなのか?3.全体的にドキュメンタリーや随筆的な表現が多い。--前向き駐車会話2018年12月12日 (水) 03:09 (UTC)[返信]
  • コメント 1学生寮についてよくここまで調べたとは思うのですが、やや冗長な感は否めません。
    • 記述の仕方について:§歴史 の記述は基本的には寮生、あるいは寄宿生側を主人公に様々な苦難に立ち向かってきた歴史、という体裁になっているのですが(このこと自体の中立性がどうか、という論点もあるかもしれませんが)、既に指摘されているドキュメンタリーや随筆的な表現というか、あまり百科事典的ではない言い回しが目立ちます。例えば「嵐の前の静けさであった。 」「法学者の穂積重遠が仲介に乗り出してくれるという嬉しいニュースも入ってきた。」「しかし何時までも茫然としていてもどうにもならないので、総務は玄関に以下の掲示を出した。」「市中に横行するデマはさらにひどかった。」などは特にそういう要素が強く出た表現です。これの影響もあるのですが、寮の歴史というより学生運動あるいは自治会の歴史となっているように見えます。
    • 情報の取捨選択について:例えば§敗戦などは正直なところ特筆性がある記述は無いように見えます。ここに書かれているような光景は当時日本中で何らかの形で見られたものでしょうし、§沢柳事件の記述について言えば、本部が置かれたのが寮内だったという以外に事件自体と寮の関連性があまり見られないように見えます。117名の舎生の内約半数の60名弱が法科であったことが寮生の多くにとって事件が他人事でなかったことはいいとして、当然彼らが法科の学生の全てではなかったでしょうし、寮の法科学生がその寮生という属性によって何か特殊な立ち回りをしたようでもないようです。全体として寮が少しでも関わっていることを拾い過ぎに見え、もう少し記述を整理した方が見通しがよくなるように思います。
詳細であることが悪いことであるとは思わないので反対はつけませんが、主に§歴史 の構成面から、かなり反対よりのコメントとなります。--TEN会話2018年12月24日 (月) 14:36 (UTC)[返信]

選考終了時点で賛成1票、反対1票のため、今回は見送りとなります。--Tam0031会話2018年12月26日 (水) 13:36 (UTC)[返信]

2019年2月17日(日) 引用先、参照先となっている「京大新聞 京大吉田寮物語」「京大史記」「吉田寮資料集」に係わった者ですが、原典からのミスリードが多数観られ、参照先に書いていないことまで、編集者が「想像」で、ドラマティックにデッテアゲており、歴史との対話という点で、非常に問題と考える。原典にないことは編集者は思い込みで書くべきで無いのは、歴史を扱う者としては重要な資質である。特に1965年~1990年に掛けて、思い込みは顕著、本人の修正がなければ、上記の3点に依拠したミスリードは、信用性が欠けるので、削除を求めたい。 --以上の署名の無いコメントは、2400:2650:8363:d200:48d7:22b4:8c55:22e8会話/Whois IPv4IPv6)さんが 2019年2月17日 (日) 16:46 (UTC) に投稿したものです。[返信]