Wikipedia:秀逸な記事の再選考/オスマン帝国 20210502

オスマン帝国 - ノート[編集]

除去/保留/現状維持 3/0/0 この項目の選考期間は、2021年8月2日 (月) 08:22 (UTC)(2021年8月2日 (月) 17:22 (JST))までです。

(再選考の理由)秀逸な記事に選ばれた後に加筆されており、「文化」以降のところがあまり出典がないまま書き足されております。2020年9月22日 (火) 02:18の版で要出典テンプレートがつけられ、一応要出典がついたところを全てTemplate:Mainを使って他の記事に飛ばす形に修正してみたのですが、そもそもイズニク陶器などの記事が日本語版に存在しないこともあり、文化についての記述が手薄であるという印象は避けられません。良質な記事であればこれくらいでもOKかもしれませんが、秀逸な記事とするには文化に関する記述が少なくてバランスがあまり良くなく、かなり加筆を行うのでなければ、秀逸な記事の目安である「必ず説明されるべき点から主な関連事項までが含まれ、内容が充実している」を満たすかいささかあやしいのではないかと思います。 --さえぼー会話2021年5月2日 (日) 08:22 (UTC)[返信]

コメント 記載のバランスは確かにあまりよくないかもしれません。参考として、Encyclopaedia Islamica, 2nd という百科事典のオスマン朝の項目を見ると、政治史、社会経済史、文芸文化、宗教生活、建築、絨毯とテキスタイル、製陶金工その他の芸術、絵画、貨幣学の9章立てで、文化史関連の叙述の比重は軽くありません。叙述量を見ると、
  • 政治史は、通史2ページ、王朝の成立から拡大期3ページ、最盛期2ページ、衰退期2ページ、改革と解体3.5ページ、
  • 社会経済史は、概説、ガバナンスが各0.5ページ、農村、農産物、物流が各1ページ、資本蓄積やギルド、都市空間が各0.5ページ、
  • 文芸文化は、17世紀までが5ページ、17世紀以後の伝統的文芸が3.5ページ、タンズィマート期以後のヨーロッパ的文学と国民文学が3ページ、
  • 宗教生活0.5ページ、建築、絨毯とテキスタイル、製陶金工その他の工芸、絵画の各章1ページずつ、貨幣学3.5ページ
という配分になっています。これと比較して現在のウィキペディア日本語版の記事を見ると、社会経済史は叙述なし、文芸文化は2行程度、絨毯や金工などの工芸、貨幣学関連の叙述がありません。政治史の叙述は、前半は軍事史中心でいびつな印象、後半は非常にレベルが高いものの出典が示されていません。イランの18世紀のように戦乱の世紀であったのなら文化史の叙述の分量が少ないのも仕方がないのですが、500年近く(日本で言うと室町時代から大正時代まで)安定した社会が存続したことを考えると、文化史関連の叙述の分量がちょっと少ないかなと思います。
結論としては、この記事を秀逸な記事のリストからいったん外して、誰かの大幅加筆を期待したほうがいいと思います。あと、フィクションの節は節全体が不要です。あと、Iznik pottery の項は、器に限らずモスクや個人邸宅の壁面タイルとしての使用が多かったようなので、イズニク陶の記事名で立項したほうがいいような気がします。あと、メヴレヴィー教団のようなスーフィー・オーダーに関する言及が一切ないのは不自然。--ねをなふみそね会話2021年5月11日 (火) 07:45 (UTC)[返信]

終了 規定により除去で終了とします。--山形祐介会話2021年8月5日 (木) 08:39 (UTC)[返信]