Wikipedia:査読依頼/セルギエフ・ポサードOMON伏撃事件 20190209

セルギエフ・ポサードOMON伏撃事件 - ノート[編集]

2000年、チェチェン紛争の最中におきた興味深い事件の記事です。ロシア語版か英語版の翻訳で立項しようと考えたのですが、いずれもなんだか不十分な記事に思え、それならと自分でロシア語報道を漁って書いてみました。如何せん、およそ19年前の事件でありながらロシア現地においてもまだ現代"史"にはなりきっていない出来事のようで(なにせ、事件当時の政権が未だに存続し、チェチェンでの紛争も継続していますので)、事件全体(背景からその後の裁判まで)を概観できるようなまとまった資料があまりありませんでした。自然、本項目も逐次的な報道資料に拠らざるを得ず、いくつか未整理の箇所が残ってしまったのですが、それでも、なにが起きたのか、どういった裁判が行われたのか、といった記事の骨組みとなる基本的な点についてはなんとかロシア語版・英語版を上回る水準に達することができたように感じます。

以上のような記事の現状を踏まえた上ではあるのですが、今回の査読依頼では、まず最優先課題であるロシア語の翻訳が適切かどうかを、ロシア語に堪能な方に検証していただきたく存じます。特に裁判に関する記述については重点的に見ていただけるとありがたいです。あまりロシアの司法制度に詳しくないため、[1]などを参考にしてできるだけ正確な記述を心掛けたつもりではありますが、不適切な点も多々あろうかと思います。本来なら翻訳検証依頼にはPortal:ロシアなどを使ってもよいのでしょうが、製作中で、残念ながら長らく更新もされていないようなので、査読依頼にお邪魔させていただくことにしました。もちろんその他の点についてのご指摘・ご感想も広くお待ちしております。--Rasalghul会話2019年2月9日 (土) 15:12 (UTC)[返信]

  • 報告 規定の期間を満了したため、依頼を終了させていただきます。期間中にコメントをお寄せいただきましたSilverSpeechさんには誠に感謝しております。ご教示を受け記事の改訂に着手しましたが、諸般の事情により期間中に終えられなかったことを心苦しく思います。今後とも、当該記事の改訂作業を続けていきたく考えておりますので、忌憚なくノートへご意見をお寄せください。--Rasalghul会話2019年4月18日 (木) 16:05 (UTC)[返信]
【査読】 ──専門家の方による審査結果。
【検証】 ──参考文献などと照合しつつ正確性を評価。
【書評】 ──専門外の方による評価および助言。
コメント 門外漢ではありますが、なかなか査読がつかないようでしたので簡単にではありますがコメントさせていただきます。参考になれば幸いです。
  1. 記事名
    この事件の正式な日本語名は存在するのでしょうか。信頼できる情報源での使用例があるのなら出典をつけるべきですし、もし単に他言語での名称を翻訳しただけであれば注釈などで補足しておくか、Template:暫定記事名を使用してもよいかもしれません。
  2. 出典のつけ方
    Wikipediaでは、他の利用者が加筆した結果出典のついている範囲がわからなくなったりすることがあるので、できれば1つ1つの文に出典をつけた方が安全だと思います。
  3. OMON
    日本語の場合、複数の部隊を区別するときは「ポドリスクから派遣されたOMONの部隊」「セルギエフ・ポサードの分遣隊」のように呼び分ける方が自然だと思います。「OMON」のような固有名詞に説明を加える書き方はあまり見かけない気がします。
  4. 冒頭部
    1. 最初の1文目はこの事件の定義を説明する部分なので、第二次チェチェン紛争で発生した事件であることを明記しておいた方がいいのではないでしょうか。
    2. OMONと内務省についての記述が少々わかりにくいかもしれません。例えば、「当時のOMONはロシアの警察組織英語版(民警、文民警察)の一部門であり、ロシア内務省の管轄下に置かれていた。」など、なるべく平易な単語を使い、一つの文の情報量を減らした方が専門外の方にもわかりやすいのではないでしょうか。
    3. 「モスクワ郊外の都市」の記述が少々唐突に感じました。私ならOMONが紛争中に派遣されていたという記述の次に「この事件で同士討ちを起こしたOMONの分遣隊は、モスクワ郊外の都市ポドリスクとセルギエフ・ポサードから派遣されたものだった。」と入れます。
  5. 内部対立
    1. 紛争についての知識がない人のために、簡単に紛争の状況についても書いておいた方がわかりやすくなるのではないでしょうか。例えば、「事件の経緯」節の前に「背景」節を作り、「背景」節では当時の簡単な情勢を説明してからグロズヌイでの対立について解説するのはどうでしょうか。1999年8月に紛争が始まり、2002年2月初めにロシアがグロズヌイを制圧してグロズヌイ北西部はスタロプロムィスロフスキー地区臨時内務局(ROVD)の管轄下に置かれ……のように、時系列順、大きい話題から小さい話題へと説明していくと状況が理解しやすいかと思います。
    2. ガンタミロフ元市長の治安部隊というのは、チェチェン人である元市長が現地の住民(チェチェン人)を集めて編成したということでしょうか。対立構造がわかりやすいように、ガンタミロフ派の説明のどこかに「チェチェン」という単語を入れてみてはいかがでしょうか。
  6. 情報の錯綜、伏撃
    全体的に状況が読み取りにくいので、視点をどこにおいているのかが分かるようにできないでしょうか。「村人が目撃した」など情報源を明記したり、セルギエフ・ポサードの部隊が襲われた部分は「グレネードランチャーや機関銃による攻撃を受けた」などセルギエフ・ポサード側の視点であることが分かりやすいような表現に書き換えたりと、工夫の余地はあると思います。
  7. 事件後の動き
    WP:POVの観点から言って、この節の最初に書いてあるような意見は帰属化した方がいいでしょう。誰の意見なのか、もしくはどの報道機関の記事に書かれたものなのかを明示しておいた方がいいと思います。
  8. 内務省幹部の裁判
    法学者小森田秋夫のウェブサイト[2]にロシアの司法についての説明があったので記事と照らし合わせてみましたが、①地区裁判所での第一審で無罪判決②検察が上訴(第一審の判決を破毀するよう申し立て)③最高裁判所での第二審(破毀審)で第一審の判決を破毀、第一審へ差し戻し④別の地区裁判所で審議、恩赦により実質無罪に⑤検察が再度上訴(破毀申し立て)⑥最高裁が検察の申し立てを棄却、4の判決で確定という流れではないでしょうか。「再起訴」の部分はおそらく「再び審議にかけられた」などと書くのが正しい気がします。
  9. バイサエフの裁判
    この裁判と同士討ち事件の関連がわかりにくいので、バイサエフの失踪とOMONの関係について分かる範囲で加筆した方がいいと思います。
返信 (SilverSpeechさん宛) 逐条的に回答させていただきます。
  1. 記事名
    おそらく、信頼できる日本語の報道等においてこの事件に直接触れたものはなく、間接的にバイサエフの事件について触れたものがあるだけです。この記事名はЗасада на Сергиево-Посадский ОМОНのほぼ直訳であり、Засадаが「待ち伏せ」「伏撃」となります。ただ、特に論争を呼ぶ名称ではありませんし、「一時的に翻訳元の記事名を使用している場合」には当たらないため、Template:暫定記事名の使用は必要ないものと思料します。
  2. 出典のつけ方
    文節または段落ごとに脚注を置く方式も禁止されているわけではないため、積極的にはやりません。加筆される方の責任において脚注の補遺を行っていただければいいのではないかと思います。もちろん脚注の対応関係の破綻に私が気付けば私が作業しますが。
  3. OMON
    OMONは一言で言えばそのまんま「機動隊」であり、「セルギエフ・ポサードOMON」「ポドリスクOMON」は「警視庁機動隊」「大阪府警機動隊」と置き換えていただければよいのではないでしょうか。三里塚や辺野古に全国から機動隊が応援で行っているような、そんな感じです。日本語としてもそこまで違和感のある用法とは思いませんが、初登場時のみ説明を加えます。
  4. 冒頭部
    1. 「2000年3月2日にチェチェン共和国の首都グロズヌイで発生した」の前に例えば「第二次チェチェン紛争の最中の」などと加えることにします。
    2. OMONで説明すべき事項ですし、「所管」と「管轄」でそこまでの違いはない気がしますが、「ロシア内務省が所管するロシアの警察組織である民警」の「暴動対応部門であって日本でいえば機動隊やSATに相当するOMON」、という風に組織図の上の方から説明していったら多少わかりやすくなりそうなので、そうさせていただきます。
    3. ご例示の方向で考えてみます。
  5. 内部対立
    1. これも第二次チェチェン紛争の記事で説明すべきですが、なるべく時系列は書いておくべきと思いましたので、書き加えることにします。
    2. あまりここでチェチェン人の、というと、ロシア人とチェチェン人の紛争であることを強調して、ガンタミロフ派が独立派であるかのような誤解を生みそうでしたので、あえて省きました。
  6. 情報の錯綜、伏撃
    村の住民が目撃したのか、村の検問所にいた民警要員が目撃したのか、断定できる情報が出典になかったため、断定しておりません。主客の入れ替えについては検討します。
  7. 事件後の動き
    この段落については、正直なところ扱いに困っております。50メートル以内の至近距離だったこと、チーホノフ少佐が無線を持っていながら銃撃戦を制止できなかったこと、319高地で行われた戦闘はなんだったのか不明なこと、などはそれぞれ事実として重要なのですが、文章としては陰謀論的な印象があります。NG紙またはA.スクロボトに帰属化したとしてもそれは変わらないので、いっそ個別の事実のみ事件の経緯節にバラして組み込んでしまおうかとも思いますが、そうなると、事件後の動きの記述がいきなり「事件そのもの」ではなく「事件に付随する裁判沙汰」に移ってしまうので、消化不良なんですよね。
  8. 内務省幹部の裁判
    3と4の間で行われたのは一審判決の破棄と検察庁への捜査差し戻しなので、「再起訴」で正しいものと認識しております。なお、5で上訴したのは弁護側(とそれを支援するOMON要員の遺族)です。要するに、何人かの内務省幹部をスケープゴートにしつつ恩赦でなあなあにすることで、事件の真相究明についてうやむやにしようとしているのではないかと、弁護側が異議を唱えているわけですね。そのあたりも含め加筆修正を行っていきたいと考えます。
  9. バイサエフの裁判
    うっかりして、「バイサエフが事件後の掃討作戦で拘束された」という情報が加筆の過程で消えてしまっていたので、補います。
ありがとうございました。私事ながら、現在多忙のため一時的にあまり修正の時間が取れませんが、いただいたご意見を参考に記事の充実を図りますので、よろしくお願いいたします。--Rasalghul会話2019年3月29日 (金) 19:56 (UTC)[返信]
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【その他】 ──表記・文体など