Wikipedia:井戸端/subj/飲食店の項目にメニューや、値段は必要あるのか?

飲食店の項目にメニューや、値段は必要あるのか?[編集]

ラーメン二郎や、山田うどん森永LOVEなど、Category:レストランチェーンや、Category:ラーメンチェーンの中に(他にもあるかもしれないが・・・)、メニューが記載されているページがそれなりにあったりしますので、メニューが記載されているものがあるが、こうやってメニューを紹介されていると広告・宣伝に近い意味があると思うのだが・・・。また、宣伝でないとしても、知識・データベースでしかなく、やはり不必要だと思いますが・・・。はてしてこのメニューや、値段は必要なのでしょう?--こみか 2009年1月24日 (土) 14:25 (UTC)[返信]

  • (コメント)不要と考えます。価格はもちろん、メニューの「一覧」であれば不要です(当該企業のサイトを閲覧するか、電話で聞くか、直接店舗へ行けばいい)。記述に値するとすれば、それがその店舗やサービスの特徴的な部分を説明するうえで必要な場合(名物メニュー、特徴的な価格(価格の数字が語呂合わせになっているなど))でしょうか。--しいたけ 2009年1月24日 (土) 14:30 (UTC)[返信]
  • 利用者に近い立場から言えば、営業時間、一店舗当り座席数、メニュー、値段、店舗数、内装デザイン、マスコットなど、経営に近い面から見れば資本関係、取引銀行、上場・非上場、従業員数、客層、売り上げ規模、利益、経営陣のキャラクター、経営スタイルなど。これらが外食産業の各チェーン、店舗に対する、おおよその基本情報となります。あなたが執筆者であるときは、ソースをハッキリさせた上で不足してる部分の情報を追加してあげるようしてください(高級店とか大衆店とか、居酒屋風とか定食屋風とか、そんな曖昧な言葉だけで記述していかないようにしてください)。そしてあなたが読者であるときは、あなたにとって必要な情報だけを拾い、あなたが興味のない情報は飛ばしてください(当然ですね)。--was a bee 2009年1月24日 (土) 15:38 (UTC)[返信]
たとえば蒙古タンメン中本の項目のように、メニューの解説をすることがその店の理解を深めるのに役立つならば有益だと思います。単なるメニューの羅列であれば不要とされてしまうのは仕方ないかもしれませんね。ラーメン二郎はメニューを列挙するよりもトッピングその他の用語を解説した方が店の雰囲気がよく分かるような気がします。そういえば大勝軒は単独項目になってないんですね、詳しい人に書いてほしいなあ。--cpro 2009年1月24日 (土) 15:47 (UTC)[返信]
  • (コメント)例をあげると「25年間に渡り為替レートと価格連動した一ドルランチを提供した」とか特筆性がある場合以外は価格は不要と考える。メニューも「日本で最初にハヤシライスを提供した」というような特筆性がある場合以外は品目は不要と考える。なので、たいていのケースでは特筆性を欠くので不要になると考えます。--あら金 2009年1月24日 (土) 16:05 (UTC)[返信]
えーと、ありえんレベルの議論だなぁ、と。 メニュー戦略(レパートリと価格)はどんな会社であれ、例えばマクドナルドであれ吉野家であれ、経営トップのレベルまでいかないと判断できない、外食産業における非常に重要な戦略要素です。メニューが多様であればコストがかかりますし、少なければ客を採りこぼします。そこに戦略があり、各店の特徴があります(あと基本的なのは立地ですね)。こみかさん、しいたけさん、cproさん、あら金さん、当然こんなレベルのことは踏まえたうえで要・不要の判断・発言をなさってますよね?もし食べる側の立場からしか見てないならPOVです。--was a bee 2009年1月24日 (土) 16:14 (UTC)[返信]
メニューデータのほかにそのデータを比較した意味について解説しているのなら特筆性はありますが、「データだけ示して、意味はご随意に解釈してください」というのでは百科事典の目的を逸脱しています。少なくともデータの意味を説明できている必要があります(他の記事でデータの意味について説明しているのであればリンクが張られているでょう)。--あら金 2009年1月24日 (土) 16:28 (UTC)[返信]
無いよりはあったほうがいいでしょう。飲食店側から見た客単価設定をうかがわせる資料として価値があります。特筆性がなかったとしても有用性はあるでしょう。もちろんコミュニティの決定として特筆性の無さを有用性より優先するとした場合は記述は維持できないかもしれません。非常に残念なことですが。--Himetv 2009年1月24日 (土) 16:55 (UTC)[返信]
記述から意味を取れるかは読み手次第です。対象分野についてほとんど知識がない人には、意味なんて分かりっこありません。それはどんな分野でも一緒です。政治家記事における当選回数、物質記事における化学式、企業記事における上場情報、研究者記事における論文の投稿先の雑誌、ちょっとでも知識がある人ならここから意味が読めます。しかし無知な人にとっては何でこんなことが書いてあるのかさえ分かりません。自分に意味が分からないから万人にとっても無意味、と言う前に、それが有意味であるような文脈があるのかないのか、その最低限の調査をしていただきたく思います。そういうクセを皆が持つこと非常に大切です。でないと、結局Clubpathさんがやってる価値云々の議論と一緒で、「方針として個々人から価値判断の資格を奪う」というような息苦しい状況に遅かれ早かれなっていくでしょう。それは望ましい方向と思えません。(Google 外食産業 メニュー)。--was a bee 2009年1月24日 (土) 17:49 (UTC)[返信]
説明責任は一連の執筆者にあるのであって、読者に転嫁するのはいかかなものかと考えます。たとえば客購買単価を店の特筆性として示すには、前提として業界での平均客購買単価と比較しなければ意味がなく平均客購買単価は個々にメニューの生データを示すのではなく、集計したものをその店のメニューと比較できるように整備しなければその生データが有用であるとは言い難いです。また従業員数・店舗数にしても「有価証券報告書」で企業の営業実態の指標として従業員数・店舗数が基準化されているので企業を比較する上での意味が発生します。したがって、そのような関連付けのない生データとしてのメニューに有用性があるというのは根拠に欠けると考えます。言い換えると、そういう概念の関連付けを通して百科事典の目的が果たせるのですから、それを執筆者が読者に役割転嫁するというのは本末転倒と考えます。--あら金 2009年1月24日 (土) 18:00 (UTC)[返信]
メニューの膨大な店もあれば、絞り込んで非常にメニューの少ない店舗もあります。どういう店の記事に関して、どういう読者にとって、どういうシチュエーションでの有用性、を語っているのか。「ラーメン二郎について、あら金さんにとって、今」不要、なのか「全ての外食産業記事について、全員にとって、常に」不要、なのか。--was a bee 2009年1月24日 (土) 19:02 (UTC)[返信]
メニューを書く必要性はなんですか? 単なる一覧なら、ウェブサイトを見た方が正確でしょう。特色あるメニューならいいけど、単なるラインナップなら、データベースに過ぎません。--ゆきち 2009年1月24日 (土) 20:49 (UTC)[返信]
トヨタのラインナップ、任天堂のハード、レコード会社の所属アーティスト、タレントのレギュラー番組、小説家の作品リスト、同位体の一覧、化学物質の比重、化学式、全てデータベースです。この節、上から一回読んでください。--was a bee 2009年1月24日 (土) 20:59 (UTC)[返信]
読者にとって必要な情報を拾い、不要な情報を読み飛ばす。何か調べものをするときには普通の行動ですね。でも、ありとあらゆる人が「必要だ」とする情報をすべて盛り込む必要はありません。なぜなら、ウィキペディアは百科事典であり、リストやデータの集積場所ではないからです。一般に紙の媒体で市販されている百科事典で各外食産業のメニューと値段のリストを載せているものがあったらぜひ教えてください。それが「出典の明記」です。「必要だ」とする根拠が「誰かが知りたいだろう」では弱すぎます。一覧記事は本来は必要最低限であるべきで、今の一覧記事乱立状態は決して好ましくありません。一覧記事は包括的に各記事への水先案内としての意味合いが強くて、記事になる予定もないものをダラダラとリスト化するのは問題です。--Balmung0731 2009年1月24日 (土) 22:41 (UTC)[返信]
なんでもかんでも一覧記事ににして良いとも思いませんし、当議論の主旨のメニュー価格一覧を記述するのは是か非かについては今この段階では議論参加や個人の意見表明はしませんが、私はWikipediaが紙媒体の百科事典のコピーである必要性があるとは思ういませんし、起草意図がそうである(例えばですが、プロがそれをやると色々問題?があるので、ネットにおける大衆の知識披露欲?をくすぐってただで百科事典のコピーもどきを作ってしまおうとかみたいな・・・)とは認識していません。出典明示の件とは別に、既存の百科事典に書かれていないものは全て記述すべきでは無いというのは私は奇妙な理由だと思いますし、もしそこにwikipediaの記事作成・校正の優先すべきよりどころがあるとしたなら、おそらく現状態の大多数は削除対象になるんでしょう(別に多数が削除対象だから許されるという意味の言ではありませんのであしからず)ね。言葉尻を捉えての攻撃などではないという断りをした上でなんですが、Balmung0731さん自ら書いているその文章の意味をそのまんま理解するなら、「wikipediaも百科事典なんだから、既存の紙媒体の百科事典と同じであるべきであり、それと違う記述内容はやはり書くべきではない、つまり、「別におかしい記述全てについて個人が記述や校正の責任を追う必要も無い(←これはもちろん当然ですよね。そんな責任はどこにもないはずです。)が、自由に各人が書き加えながら既存の百科辞典の複製を作って完成に近づけているものだ。」となりますよね?(「いやそんなことは全く思っていない」というのなら、すみません、私の前述言い換えは勝手な読み違いになりますが、でも、、、、私にはBalmung0731さんが、議論対象になっているものをWikipediaの記述では是となる理由の重要な一つに掲げているとしか私(読み取り手)には読めないのですが・・・どう読んでも、『是である理由のひとつ』にあげている文章ですよね。)私は百科辞典であるという点にはいささかも反論も異論もありませんが、既存の百科事典の再現であるべき(そこから外れるものは禁止にすべき)とは思っていません。(注:それじたいが私の間違いで、「いや、wikipediaは既存の百科事典のコピーを各人のボランティアで作っているんだ」というのならご指摘下さい。認識を改めて生きたいと思いますので。)その辺りの全体的な認識は、(総意とまではいかないにしても)参加各人のご意見はどうなんでしょうか?またここでのご意見が仮に総意と等しいものであったとして、じゃぁそもそものWikipediaの本当に意図するところはどこなんでしょう(やっぱり既存百科事典のコピーを作ろうとしている?)か?--陸奥 2009年1月25日 (日) 08:18 (UTC)[返信]
かなり極論に走られている気もしますし、「本題は脇に置いておいて」という前提だともうすでにこの議論に参加すらしていないので返事をする必要もないと思いますが、私が紙媒体のコピーを作るべきと考えているという解釈はかなり意地悪としか言いようがなくて、少なくとも「百科事典的である」必要はあります。--Balmung0731 2009年1月25日 (日) 21:41 (UTC)[返信]
Balmung0731さんの言う「百科事典的」とはどういう意味でしょうか?ブリタニカ的ということですか?ブリタニカは先日ネット経由の編集受け付けを発表しましたね[1]。歴史的に見れば、無料公開、閉鎖、プレビュー型公開ときて、ウィキペディア方式の取り込みを始めた、ということになります。Encyclopedia of lifeなんてのもあります[2]。これは予算規模でいうと現状世界最大の百科事典プロジェクトです。見れば分かりますが画像と文章とデーターベースと羅列的なリンクで構成されています。Balmung0731さんは「百科事典的」ではなく、「初心者が調べものを行うことができるような体裁を保っている」みたいなことを言いたいのではないでしょうか?
なんで私の意図を勝手に推測されてるのかよくわからないんですが、ある意味では当たってます。でも、リストが優勢の百科事典なんてものはありえません。ご紹介のEOLを見てみましたが、このプロジェクトの特徴はすでにわかっている約180万種の生物の百科事典を作ろうというもので、上限がそもそも決まってます。まずはリストから作って空きを埋めていくという作業にはまったく疑問を感じません。リストに掲載されている種はすべて「記事になる予定のあるもの」だからです。リストが目立つのはEOLで使われているシステムの特徴であって、執筆者がこぞってリストを乱造しているわけではないと思うんですが、違いますかね?トヨタのラインナップだとか、化学式や同位体の一覧なんてのも出てましたが、トヨタの車種は新旧によらず少なからず個別の記事になってますし、化学式や同位体は世界的な組織で認められているもので、誰かの一存で増えたり減ったりするものではありません。メニューや値段は、企業の一存や物価の変動などで変わってしまうもので、鉄道の時刻表のようなものです。日産やホンダが作ったカローラ(トヨタ車)ってのはありえませんから、おのずとトヨタの車種は個別の記事になりえます。ですが、外食産業のメニューは、例えばカレーライスはとてもありふれたメニューで、「A店のカレー」「B店のカレー」という個別の記事は非常に難しいように思えます。つまり、一覧があるからと言ってトヨタや化学式や同位体と同列にしないでほしいということです。任天堂のハード、レコード会社の所属アーティスト、タレントのレギュラー番組、小説家の作品もそれぞれの項目について記事になりえますし、質はともかく、かなりの数が記事になっているはずです。ある店のカレーついてカレーライスに説明が書いてあるのならリンクを設けても良いでしょうが、それでも全メニューを網羅するリストである必要はありません。その店には他の店にはない特徴的なメニューがあって、他の記事に説明がないようであれば、それに関する節や記事を設けて記述すればよいのではないでしょうか。また、マーケティングという言葉が頻繁に出てきていますが、メニューと値段の一覧だけで何がわかるのか門外漢の私には理解しかねます。本来であれば、メニューの選定や増減、価格の設定や改定に関して企業にどのような意図や戦略があったかということを説明するのが初心者に優しいってことなんじゃないですか?特に、マーケティングの勉強の入口に立った人にはそういった「前例の解釈」が必要です。リストだけ載せて「何かを読み取れ」というのは少々乱暴すぎやしませんか。そういった意味では、「初心者でもわかりやすい体裁」を私は求めています。百科事典には今現在のことだけを書くのではなく、過去にあったことを理由や経緯をそえて書くことも大事なことです(過去のことになったからと記述を消していく人がたまにいますが)。未来のことは書けませんから、百科事典に書くのはおのずと過去のことが圧倒的に多くなるはずです。メニューが改定されたからといってそれを逐一リストだけを改訂していてもそれは単にデータの更新にすぎません。つまり、まったく説明のないリストにはデータの羅列以上の意味は何もないということです。突き詰めていくと、私の言う「百科事典的である」とは「説明がある」ことです。その内容について国語辞典以上で、独自研究でないことは言うまでもありません。--Balmung0731 2009年1月26日 (月) 07:32 (UTC)--Balmung0731 2009年1月26日 (月) 08:17 (UTC)(追加)[返信]
さてと、、、上記は私だけに向けた反論?だとは思ってはいませんが(あるいは私の前言などはなっから眼中にないかもしれませんが笑)、それを受けてあえてレス(別に反論ではありませんのであしからず。)として私的な意見を述べるなら「別にそれはそれで全く間違っていないですよね。」となります。(因みにこれはこれで私の主観からの意見です。)また付け加えるなら私は現状形としてあるルールを越えた範疇での話をしたつもりです。ただ私は、(あくまで例えばですが)「気に入らない相手は殺してしまってもいい」というルールがあったとしたらば、ルールなんだからそれには万民が従うべきだ。とは私は思いません。(断っておきますが、「だからルールには従う必要が無い」という主張もするつもりもありません。"然るべきルール"には従うべきだとは思います。然るべきでは無いルールは何かしら是正されるべきではあるとは思います。)それとも一つ、今あるウィキペディアにあるルールが、自分が気に入らないものを排除する最大の後ろ盾に利用(悪用?)されている、されようとしている議論を多々目にします。だからこそそこを補完する意味で議論の場があり、合意のルールがあるんだとは思いますが、それでもなおかつ傾向としては「ルールなんだから従え。ハイおしまい。」(第三者の立場で議論を拝見して、本当にそのルール遵守を理由に掲げている人の真意が本当にそのルールの意味を理解しかつ賛意したうえでそれを理由にしているのか甚だ疑わしいと感じることが少ない)という傾向が強いことに多少の懸念なりを感じています。(「気に入らないルールなら改定の提案をすればいい」、「改定の必然性があるなら賛同を得るはずだから、やりたければ手順はあるんだから好きにやればいい」などは、言うまでもなくその通りなのでその観点で反論なり議論なりは不毛だと考えています。言うまでも無い当たり前の事は議論しようがありませんから。苦笑)あ、くどいようですが、私は別に今回の矢面に立っている飲食店んpメニューや値段は一覧にしてしかるべきだとは思ってもいなし主張もして無いので、その点に関してはあしからず。--陸奥 2009年1月25日 (日) 16:46 (UTC)[返信]
  • (コメント)陸奥さん、『然るべきでは無いルール』があると思われるのでしたら、ガイドラインの運用変更・確認または改定のための議論を、当該ガイドラインのノートに提起してください。なお、当セクションは飲食店の項目についての記述の是非を議論していますので、あなたが展開されている「Wikipedia私論」についての議論(または雑談)を続けたければ、別途セクションを立ててください。(個人的には、そのような議論は興味がありませんが。)--しいたけ 2009年1月26日 (月) 10:12 (UTC)[返信]
あくまで(しいたけさんへの)個別の応対という意味で書きます。本旨の議論の内容そのものではないので、第三者の方々には申し訳ありません。(スルーしてください。)そういう意味では議論でもないししいたけさん言うところの私論の展開ともまた別(あくまでご意見?への応対です。)だということを断っておきます。『然るべきでは無いルール』があると思われるのでしたら、→何処をどう読んだらそうなるのかは不思議でたまらないのですが、私はそんな断言や指摘は一切述べてませんので、当該ガイドラインのノートに提起してください。これは実に的外れなご意見なりご指摘だと受け止めています。と、まぁ一応前述ご返答申し上げますが、、、、実はそんなことご本人、分かってるんですよね?私がそんなこと言ってもいないこと。挑発的だととらないで頂きたいのですが(と申し上げても無理かもしれませんが)確かに、一見して当方への指摘形式の文章を構成している個々は正論のパーツの組み合わせで成されていますが、そういう、自分に賛同しない言を述べてきた相手を封殺する目的で相手をさらりと小ばかにしたり皮肉めいたことを加味したり、言ってもいないことをあたかも言ってるみたいな印象を誘引して押し込めるみたいな議論テクニックはどうなんでしょうか。とは申せ、Yes/Noの二択の結論を導き出すための議論には私の意見なりはあまり寄与するものではないのは自身で分かりつつも敢えて述べさせていただいた面もあります。ですので続けたければ、別途セクションを立ててください。←この要求の方向性は汲み取りたいと思います。(あくまで主旨を汲み取るという意味であって、そんな議論セクションなど立てる気はありませんけどね。理由はいろいろありますが、別にそちらに示す必要性は感じないので一々述べませんけど。)ではこれでこの話は終わりにしたいと思います。失礼いたしました。(特に反応なりは求めていませんので差し支えなければ無反応で構いません。)--陸奥 2009年1月26日 (月) 14:45 (UTC)[返信]
すぐ議論が哲学的な方向に行きますね。三点。まずこの節はタイトル自体が疑似問題です。全ての場合に妥当する答えなんてそもそも誰も出せないのでその方向で議論してもムダです。全ての記事について全てのメニューを記述するとか、全ての記事について常にトリビアネタだけ記述するようにするとか、そういう全域に網をかけれるルールなんてありえません(作ればgdgdです)。二点目。外食産業のマーケティングについて学んだ事のある人はこの中でどれぐらいいますか?三点目。まず読者のこと、そしてネット上でのウィキペディアの立ち位置を考えましょう。ルールはいつもその後です。--was a bee 2009年1月25日 (日) 19:08 (UTC)[返信]
擬似問題であるというならば、どこが誤っていたかおしえてください。そして、必要・不必要等結局どうなのでしょうか?と思ったので、選択肢をつくります。
  1. メニューや値段は全ての場合について必要である。
  2. メニューや値段は基本的に必要だが、○○に満たない、または、○○な場合は不必要
  3. メニューや値段は基本的に不必要だが、○○の場合はあってもよい。
  4. メニューや、値段は全ての場合において不必要である。
  5. その他(具体的におねがいします。)
以上の5つのうちどれでしょうか?2または3の場合は、どんな場合かもつけてください。--こみか 2009年1月26日 (月) 03:28 (UTC)[返信]
間に失礼します。どう役に立っているのか、どう邪魔になるのか、を問うのであれば、必要か、という問い方は間違っています。必要かどうかと言えばウィキペディア自体がそもそも別に必要ではありません。なくても誰も死にませんから。ですから当然必要ではありません。有用かどうかと言うならば、その意味では2に近く、長すぎて可読性を損なう場合に統計値(総メニュー数、平均単価)を併用する(代用ではなく)、と言う程度のものです。当たり前の記述態度でしょう。--was a bee 2009年1月27日 (火) 16:31 (UTC)[返信]
◆「べき」論で申し訳ないですが、個人的には「メニューは全ての場合について必要である(ただし「価格」は、何らかの理由がない限り不要。ex.トンでもなく安い値段で良質なメニューを提供した、とか)」と思います。だって「Wikipediaに掲載する→特筆性は当然満たしているよね?→であれば(飲食店であるなら)メニューには当然、なんらかの特色があってしかるべきでしょ?」という、まあ(自分で言ってしまうのもアレですが)いたってシンプルな考えです(ま、メニュー以外で特筆性を満たす飲食店もあるだろうけど、そういうのは多分今回の想定ではないのかなという気がしました)。
ま、現状だと、そうもいえない記事だってあるだろうから、「メニューや値段は基本的に必要だが、特色なき場合には不必要」というところにまずは着地点を見出しておくのがいいかな、と思います。--ish-ka a.k.a.lisky@s.i.b! (talk/wikimail/contributions)2009年1月26日 (月) 10:12 (UTC)[返信]
横レス失礼^^。メニューと値段の一覧だけなら単なるデータの羅列に終わっていることになるのでそれら各メニューの画像及びそれぞれの料理で使用されている材料やカロリー等が記載されていると嬉しいです^^--Chacmool 2009年1月26日 (月) 11:50 (UTC)[返信]
  • (コメント)Wikipedia:特筆性の解釈について、ちょっと意見が違うので、具体例を書いてみます。たとえばの話(あくまでも「議論のための例示」ですから、内容の真偽についての質問はご遠慮ください。)ですが、「餃子を1日100万個販売すると標榜しているチェーン店」があります。このチェーン店は餃子が主力商品のひとつであり、店名に「餃子」の文字を入れている。自社工場で作られた餃子の具や皮を各店に配送したうえで、皮の中に具を包み込む作業は各店舗とも手作業でやっている。焼き加減を聞いてくれる。学生街の店を中心に、x人前食べたら無料などのイベントをやっている店舗もある・・・といった事を記述したうえで、実は餃子だけではなくラーメンも力を入れていて様々な種類があるほか土産用のパッケージ商品(半生めん)も販売しているとか、各店独自のメニューや定食メニューを設けるなど、各店にある程度裁量が任されている等々・・・そういう事を書くべきではないでしょうか(もちろん、Wikipedia:検証可能性を満たすということが大前提)。単に「この店では焼きそばもあるよ!チャーハンもあるよ!酢豚もあるよ!」という程度の記述はあまり必要性を感じませんし、利便性を重んじるなら「メニューの詳細は公式サイトを参照」とでもしたほうが良いと思いますし、内容も正確です(便利とか不便という問題ではありませんが、店舗の取り組みとして栄養価を公開しているなら、それは特筆性に値するかもしれませんね)。--しいたけ 2009年1月26日 (月) 12:38 (UTC)[返信]
◆ああ、かなり思惑は近いと思います。特筆すべき点だけを特筆すべきであって、俺も「あれもこれも」はいらんと思うです。しいたけさんの例であれば、「餃子」と「ラーメン」くらいを載せるに留めるのがベターだと思いますよ。例えば、この節の頭で言えば(まあいったことある人ならわかると思うし、それで話題にもなるくらいなのですが)ラーメン二郎のアレは異常だと思うんで、そこだけを特筆しとけば十分だと思います。最初に食べに行ったとき、完食して出てきたときには両腕の痺れに教われました。喰いすぎで。脱線失礼。その意味で言えば、ラーメン二郎はちょっと書きすぎかもわからんです。あくまで本店と支店の対比で書いてるんだろうから、なんとも言い難いですが。でも価格はいらない。といったところでしょうか。--ish-ka a.k.a.lisky@s.i.b! (talk/wikimail/contributions) 2009年1月26日 (月) 17:01 (UTC)[返信]
>「この店では焼きそばもあるよ!チャーハンもあるよ!酢豚もあるよ!」
データがそうものにしか見えないのになんで価値判断しようとするのか、ということです。もう一度聞きますが、外食産業のマーケティングについて学んだ事のある人は何人いますか。こうした婉曲な表現が理解できないならもう少しハッキリ書きます。あなたは自分が知りもしないことの価値を判断しようとしてます。これでも分からないなら更にはっきり書いときます。あなたはこのテーマに関して素人です。
>なんとも言い難いですが。でも価格はいらない。といったところでしょうか。
値段なしで店舗の特徴を判断ができるというのは実に驚くべき主張です。普通の思考を行ってください。--was a bee 2009年1月28日 (水) 16:04 (UTC)[返信]

特筆すべきということばが独り歩きしていますが、主題そのものから独立した立場にある情報源に基づいた、複数の、些細でない形で発表された著作(作品・仕事)に取り上げられていれば、それは百科事典として特筆すべき内容です。したがって、一定の範囲において有名になった飲食店ならば、価格を含むリストがあってもかまわないでしょう。

先にいわれているように、メニューや価格設定は飲食業界にかかわったものから見れば、店の客層や仕入れ営業形態などを大いに反映していることが読み取れます。そしてメニューや価格設定は有名な店舗については多くの資料が検証可能です。一方、店の客層や仕入れ営業形態などのメニューに変わる多くの情報が論じられていれば、それによってメニューや価格設定の記載に代えることができます。ただし、マクドナルドのように有名な場合を除いて経営について細かく論じた書籍が出版されている飲食店はまれでしょう。したがって、中立な立場から店舗を記載する手段として置き換えうる情報がないならば、メニューや価格設定の記載は選択できるべきだと思います。

したがって、メニューを書くよりこっちのほうがいい、という案が個々の記事で提案され、合意されるまではメニューの記載があっても削除するべきではありません。--Southerntask 2009年1月28日 (水) 03:56 (UTC)[返信]

  • (コメント)『中立な立場から店舗を記載する手段として置き換えうる情報がないならば、メニューや価格設定の記載は選択できるべき』というような(やむを得ない)理由と個別ノートでの議論があるなら、記述を否定するものではありません(但し、当該議論にもよりますが、全てのメニューを列挙する必要はないでしょう)。もちろん、『店の客層や仕入れ営業形態などを大いに反映していることが読み取れ』る方が、検証可能性を満たす資料を提示しつつ解説などを記述していただいたほうが望ましいとは思います。--しいたけ 2009年1月28日 (水) 07:57 (UTC)[返信]

私もそのほうが望ましいと思います。したがって、該当する飲食店に興味があり、その分野に明るく、解説ができる人物が現れるまで数年程度メニューだけの状態になってしまうことはやむをえないことだと思います。店の客層や仕入れ営業形態などを読み取れる方は多数いるでしょうが、かといって、検証可能な書籍などの資料が出版されることは稀でしょう。

そして、誰かが読み取った結果を記事に記載すべきか、それとも各人が解釈できる情報を記載すべきかも重要な点です。たとえば企業の記事には、単独と連結の売上高、営業利益、純利益などが記載されており、会計のわかるひとにはそれらから会社の規模、利益率、経営コストが読み取れますが、それを誰かの解説で置き換えられたらとたんに情報が失われます。多くの数学の記事には数式がありますが、これに誰かの解説が付加されたならば数式は削除すべきかといえばそうではありません。したがってきわめて出版の多いよく研究されているマクドナルドや吉野家などの飲食店を除けば、検証すべき資料にメニューが記載されている限り百科事典に記載してよい情報です。

最近、私の職場ではウィキペディアの編集が流行っているのですが、多くの同僚はあらゆる情報が付加されたほうがウィキペディアらしいと考えています。紙の辞典では調べられないほどの人類の知識の集積がされているのがウィキペディアの魅力であり、掃き溜めのような情報であっても効率よく検索できるのがインターネットの魅力だからです。--Southerntask 2009年1月28日 (水) 10:02 (UTC)[返信]

まず、すでにでていますがWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは単なる知識ベースではありませんをお読みください。Southerntaskさんの同僚さんがどのように考えているかは知りませんが、あくまでwikipediaは百科事典を作るプロジェクトです。はっきり言ってデータの掃き溜めみたいな記事は百科事典の体を成すまでゴミ掃除されるべきです。それと、職場で編集を行うのは正直お奨めしません。なぜならば職場のパソコンでは編集者の同一性が曖昧になることが多く、これはwikipediaにとってもあまり有益なことではないからです。さらに、社内の職務規定に違反している可能性もあります(もっとも、これは私の知るところではありませんが)。
さて、本題ですが・・・私は、ish-kaさんやしいたけさんに近い見方をしています。もちろんケースバイケースでしょうが、問題はそれが特筆すべき事柄になりうるのかという問題が付きまとっています。検証可能性を満たせば何を載せてもよいというわけではないですし、第一、記事の量については短ければ悪いというものでもないですし、長ければ良いというものでもないです。短くても良く纏まっている記事もあれば、バイト数ばっかり多くてどうしようもない記事もたくさんあります(中には新手のブラウザクラッシャーかと思うような代物もあるわけで・・・)。どちらが質がよいのかは、いわずもがななわけで、メニューについても、このあたりは考えていただければと思います。--koon1600 2009年1月28日 (水) 10:47 (UTC)[返信]

ご忠告ありがとうございます。でも私の場合は、職務規定違反にはなりません。それに職場のパソコンなら同一性が曖昧になるというのも理解に苦しみます。私のアカウントを利用している限り、私の名前ではログインできません。私の観察する限り、本業のある専門家は完成された記事をゼロから書くことは多くありません。不完全であっても、項目があり、節があり、データがあったときに、自分の手元に自分の研究につかう論文一覧があれば空き時間に書いてもいいかな、くらいのものです。

そういう意味では、自動化されたプログラムでもできる仕事、誰でもできる仕事、ひまなひとができる仕事、ウィキペディア中毒のひとができる仕事、専門家のできる仕事というのはそれぞれウェイトが違っていて、それらがすべて生かされるからこそウィキペディアは共同作業でうまく成長しているはずです。そして、価値のある情報が提供できる人物というのは項目の種類によっては数年に一度しか現れません。百科事典の体を成すまでゴミ掃除されるべきですという発想は、きわめて人気のある記事についてはいえますが、稀にしか編集者がいない、飲食店などの項目、あるいは高度な専門知識のいる項目でそれをやってしまったら価値のある情報が蓄積されるチャンスはおとずれないでしょう。記事が長くて困るというのなら別のページなり一覧なりにすればいいだけです。--Southerntask 2009年1月28日 (水) 11:18 (UTC)[返信]

詳細は動くでしょうが、Southerntaskさんが上で書かれた方向が一番妥当な方向です。実際長期的にもそうした方向に向かうでしょう(知識ある人々がこのサイトを見捨てない限り、ですが)。とはいえ見れば分かるとおり、ウィキペディアでは言葉で状況を理解できる人間はほとんどいません。こういう記事になる、ということを実際に作って示す以外に物事を伝えることは不可能です。ちょっとずつ書いていくのが妥当です。--was a bee 2009年1月28日 (水) 16:04 (UTC)[返信]