Wikipedia:井戸端/subj/脚注(出典)欄の被告の実名記載について

脚注(出典)欄の被告の実名記載について[編集]

ウィキペディア初心者です。「尼崎事件」の脚注(出典)欄に、メディアの記事名として被告の実名が記載されていましたので、編集で実名部分だけ除去しました。履歴には残っています。この実名記載ですが、除去前まで「○○(苗字)被告」「××(名)被告」の両方が記載されており、この2つを組み合わせることで被告のフルネームが分かってしまいます。私は編集で除去しましたが、削除依頼を出して履歴からもきれいさっぱり削除したほうがよろしいのでしょうか。あるいは脚注(出典)欄の場合は、削除の方針は適用されず、除去等の必要はないのでしょうか。私が2日前に除去したところ、再び記載され、戸惑いを感じています。--49.132.1.176 2012年10月24日 (水) 03:19 (UTC)[返信]

コメント 題記の件ですが、先週世間を騒がせたある事象に関して同じようなケースがありまして、現在、ある事件記事の削除依頼が出ております。従いまして、今般の尼崎の事件もそれと同じように削除依頼を出してコミュニティの判断を仰ぐのもひとつの手段であると思います。--利用者:Geogie会話 / 投稿記録 / 記録 2012年10月24日 (水) 03:30 (UTC)[返信]
コメント 私も、実名を書く意図は無いのですけど、出典の記事名に実名が入っていたことに後で気がつくことがあります。今回の例は版指定削除を依頼する形になると思います。もっとも、出典として名前を入れない事で、効力が無くなるのではの危惧はあります。個人的には広島刑務所中国人受刑者脱獄事件の様に、「出典元の記事には実名が使われているのもあるため、それらの記事に関しては実名部を『(実名省略)』に置き換えている。」と出典欄に書いて、その問題の解消を狙っています。それらの関するガイドラインが、余り整備されていないのが現状です。--Taisyo会話2012年10月24日 (水) 03:56 (UTC)[返信]
コメント もっとも、出典無しで根拠無い書き込みをする場合(事実と剥離している例も多いです)も多いですので、出典は無いよりかは有った方が本当は良いのです。--Taisyo会話2012年10月24日 (水) 03:58 (UTC)[返信]
前からもっている個人的な考えなのですが、刑事事件記事に関して、ワンクリックで確認できるようなことをウィキペディアでわざわざ伏せることにあまり意義が感じられないです。理屈の上では名誉毀損に訴えられるおそれはありますが、訴えるんだったら出典の記事を報道したところが先かなと。特に尼崎事件の出典はほぼすべて、ウェブニュースで占められていますが、リンク切れになったときに記事タイトルはその情報を見つける上でものすごく重要になります。書誌情報の改変は検証可能性の観点から問題があるように思います。--Bugandhoney会話2012年10月24日 (水) 15:08 (UTC)[返信]
コメントえと、ウィキペディアではずっとそれが表示され続けるというのが問題になりえます。日本では「時の経過」と呼ばれていて、最近EUでは「忘れられる権利」として多少話題になってます。新聞系のサイトでも、一定期間の後に掲載をやめるところが多いですし、リンク切れはその結果生じていること。2012年1月の「広島刑務所中国人受刑者脱獄事件」でも多くがリンク切れで、紙のメディアとしては流通していない状態になっています。実名を出していたなら各報道機関は情報を止めているのに、ウィキペディアだけが提供し続けていることになります。
これを避けるには、本人なり関係者の依頼があるまで放置、という方法も考えられますが、事件後しばらくは公知ってことになるけど、報道がされなくなったり、または刑期を終えたりして通常の生活をしているような頃までのどこかで脚注(あるいは本文)を除去しておく必要がある。
アクセシビリティという点では、事件概要と新聞社名と日付があれば一応は足りますし、より確実にするためには、紙面を確認し、何版何面という情報を残すのがよいです。
書名のように、避けるのが難しい場合はしょうがないと思います。--Ks aka 98会話2012年10月24日 (水) 16:35 (UTC)[返信]
「表示され続けるというのが問題」になったという司法判断があれば教えてください。刑期を終えたりして通常の生活をしているような頃までのどこかで脚注(あるいは本文)を除去しておく必要があるというのはノンフィクション「逆転」事件を意識しているんですよね。ウィキペディアの記事は事件があったときの報道を元に事件があったときに執筆されているのであって、前科をあらためて報道するのとは違うと思うのですが。
報道各社が一定期間後に無料記事を引き上げるというのは、有料記事にプレミアをつけるという経営戦略であってプライバシーの保護とは関係ないと思います。事件報道でなくてもそのうち見れなくなりますよね。こういう記事は有料記事データベース(Factivaとか聞蔵とかヨミダスとか)を用いれば、当時の状態で読むことができます。要するにリンク切れになっている事件報道記事は消えてなくなるわけではなくて、手間とお金さえかければ読むことができます。また、こういう経営戦略を採っていないところでは、たとえば47NEWSであれば、無料だからと記事を引き上げたりはしないので、かなり古い事件でも実名・顔写真入りで読むことができます。それで、引き上げられた無料記事を有料記事データベースで探すときに固有名詞が取り除かれた不完全な記事見出しとリンク切れになっているURLしかないとなると(要するに「尼崎事件」の例)探すのがものすごく難しくなります。検証可能性の観点からお勧めできないです。
EUの"Right to be forgotten"というのは、本人から依頼があれば各デジタル事業者がそのデータを削除する、という取り決めのようです。本人から依頼があったときにウィキペディアの記事から名前などを削除することまでは反対しません。「時の経過」というのはうまく調べられませんでした。プライバシーの保護は大事ですけど、各報道機関や他のオンライン百科事典がしていないようなことまで、日本語版ウィキペディアがしなければならないというようなことはないと思います。--Bugandhoney会話2012年10月24日 (水) 22:06 (UTC)[返信]
コメント 確かに。被告者名の完全非公開になることは無いとする指摘は、正しいと思います。公式なWEBアーカイブや、エレクトロニック・ライブラリーなどの過去の記事を検索できるサービスがありますし、新聞の縮刷版やマイクロフイルムは戦前のもありますから、調べようと思えば調べることは出来ます。ただ、Wikipedia:削除依頼/広島刑務所中国人受刑者脱獄事件は記事名の実名記載で実際に削除されています。現状ではその様な方針であること。また、その様な方針が問題だと思うのであれば、変えていく議論が必要だと思います。現状の意識では、版指定削除するべき案件になっています。--Taisyo会話2012年10月24日 (水) 22:55 (UTC)[返信]
「前科をあらためて報道するのとは違う」の根拠はなんですか? 犯行時から「誰それは人を殺した」と書かれていたものも、後になってから「誰それは人を殺した」と書くのも、侵害していることには変わりません。むしろ前者のほうが、長期にわたって侵害し続けています。インターネットでの時の経過の扱いや検討はそれほど十分にはなされていません。まとまった検討としては、1年前の宍戸常寿「デジタル時代の事件報道に関する法的問題」[1]が丁寧です。
「尼崎事件」は最近続報があったみたいですけど、リンク切れがあるってことは、各報道機関は誰でもアクセスできるネット上での配信は取りやめているのですし、誰でも編集できるのではない形で運営されているオンライン百科事典であるヤフー百科事典では尼崎事件もその主犯とされる人物の名前も得ることはできません。ちょっと古いところで「神奈川金属バット両親殺害事件」の犯人名で平凡社のネットで百科も検索してみたけどヒットしませんよ。
有料記事データベースで探すときでも、日付と版と面があれば探すのは難しくないです。毎索なんかだと87年以前はキーワードではろくに検索にひっかかりませんし。
上に挙げた宍戸先生の記事でもあまり触れられていないですが、百科事典記事と報道では役割が違いますから、そこがどう転ぶかというのは、ちょっとわかりません。報道や、同記事で軽く挙げられている南京事件京都師団事件のような「学術書」とは、当時のことをそのまま残すことや実名を挙げる必然性が変わってくると思います。--Ks aka 98会話2012年10月25日 (木) 17:07 (UTC)[返信]
有罪判決もないのに誰それは人を殺したなどと書くのは、実名を記載する以前に中立性の観点から問題があります。そういうことが議論したいのではなくて、「逆転事件」で問題になったのは前科の公表ですよね。ですから、Ks aka 98さんも刑期を終えたりして通常の生活をしているような頃までのどこかで脚注(あるいは本文)を除去しておく必要があると書いたんですよね?一方で、誰かがある容疑で逮捕されたとか、起訴されたとか、裁判の様子とか有罪判決が下ったとか、その時点で実名入りで報道することは、誤認だとか少年だとか微罪だとかといった例外を除けば、まず問題にされることはないですよね。もちろん、こういう報道も報道された人にとっては不名誉なことですけど、結局表現の自由だとか公共性だとかが優先されるということですよね。出所して普通の生活をしている時点であらためて前科が報道されたら名誉毀損に訴えられるかも知れないですけど、20年前の逮捕の報道を服役後に名誉毀損で訴えるのはナンセンスですよね。それで、「尼崎事件」や「広島刑務所脱獄事件」のウィキペディア記事は、前科の公表ではなくて、それが起きたときに実名入りで報道されたことを報道されたのと同時にまとめたものであって、20年前の事件をその当時の報道を見つけ出してきて記事にしたもの(要するにノンフィクション「逆転」のようなもの)ではないですよね。ですから、容疑者逮捕の報道記事とそれをその時点でまとめたウィキペディア記事は性質としては似たようなものであって、ただちに名誉毀損で訴えられるようなものではないです。ただ、今から20年経ったとして、そのときにはまだウィキペディアがあったとして、20年前の新聞記事は見つけるのは簡単ではなくなりますけど、ウィキペディアはググったらすぐに出てくるという違いは出てくるとは思います。ですから「表示され続けるというのが問題」になったという司法判断があれば教えてくださいと尋ねました。
それで、ウィキペディア日本語版のように事件記事で加害者や被害者の名前を一律・原則的に記載不可にしているオンライン百科事典はないです。
報道記事でしたら47NEWSは各種事件の加害者名、被害者名、顔写真をいまだに載せています。秋葉原無差別殺傷事件広島刑務所脱走事件尼崎事件の初期の報道
要するに何がいいたいかというと加害者名・被害者名を載せるとただちに違法になるなどということはないです。ウィキペディアのガイドラインは法的な問題だけで決めるわけではないですが、ウィキペディアは信頼できる情報源にある情報をまとめるのが原則ですから、人名に関しても一律に掲載不可にするのではなくて、事件の重大性、報道のされ方、各種報道の中で実名扱いなのか匿名扱いのなのか、などといった観点を総合的に判断して実名を記載するかどうか決めればよいと思います。
リンク切れを修復した経験でいうと、日付が分かれば紙面記事はまず見つかります。問題は尼崎事件広島刑務所中国人受刑者脱獄事件には出典に日付がないということです。手がかりは不完全な記事タイトルとリンク切れになったURLだけであって、これだけでは紙面記事を見つけるのは非常に難しいです。この二つの記事はなにも例外的な記事ではなくて、しかし、ウィキペディアの時事記事では、いずれリンク切れになる各社無料記事を記事タイトルとURLだけで済ませるのも非常にありふれた習慣です。--Bugandhoney会話) 2012年10月25日 (木) 22:52 (UTC)取り消し線と補足を追加、二つの記事には日付が入ってます。失礼しました。--Bugandhoney会話2012年10月26日 (金) 12:45 (UTC)[返信]
どうにも話がかみ合わないようなので、こまごま対応させながら書きます。
  • >「そういうことが」から「書いたんですよね?」
    • そうですね。
  • >「一方で、」から「優先されるということですよね。」
    • その時点の報道として、優先されることがある、ということですよね。
  • >「出所して」から「ナンセンスですよね」
    • 事件当時に事件と関係して実名での報道が通常認められているような場合なら、服役後に、現時点では実名を犯罪情報と結びつけた報道は認められないからといって、当時の報道がプライバシーの侵害だと訴えるのはナンセンスです。そのような話をしているのではないですよね。
ただし、服役後かどうかはともかく、「当時の報道」も名誉毀損やプライバシーの侵害にはなりえます。実際に名誉毀損やプライバシーの侵害と認定されるかどうかは分かりませんし、服役後なら時効の問題もありますけれど。事件後まもなくの報道が妥当なものだったとして、それを服役後に訴えても侵害とはならないでしょうけれど、報道当時にその事実を知らなかったが、いくらかの期間の経過の後にその報道を知り、名誉毀損やプライバシー侵害で訴え、それが認容されることはあるでしょう。有罪判決後に、起訴前の報道について名誉毀損が認められた判例はあります。
  • >「それで、「尼崎事件」や「広島刑務所脱獄事件」のウィキペディア記事は、」から「(要するにノンフィクション「逆転」のようなもの)ではないですよね。」
    • 事件後まもなくに限定して言えば、そういった記事は、そうですね。
  • >「ですから、容疑者逮捕の報道記事とそれをその時点でまとめたウィキペディア記事は性質としては似たようなものであって、ただちに名誉毀損で訴えられるようなものではないです。」
    • その時点でまとめたものは、ただちに名誉毀損で訴えられるようなものではないとは思います。
ただし、性質として似たようなものとは言えないでしょうね。名誉毀損で言えば、ウィキペディアの編集者は、取材をしていませんし、配信サービスの抗弁はほぼ受け入れられていませんし、個人のホームページでも報道機関と同程度のものを求められていることを考えれば、真実相当性が認められない可能性がありますね。また、ウィキペディアでは正当な論評の法理を使うのは難しいでしょうね。
そして、容疑者逮捕の報道記事は、容疑者が逮捕された時期に流通し、その後は市場から姿を消しますよね。ウィキペディアの記事は、その後も残ります。そこが違う。
  • >ただ、今から20年経ったとして、そのときにはまだウィキペディアがあったとして、20年前の新聞記事は見つけるのは簡単ではなくなりますけど、ウィキペディアはググったらすぐに出てくるという違いは出てきます。ですから「表示され続けるというのが問題」になったという司法判断があれば教えてくださいと尋ねました。
    • これ後回しにしますね。
  • >それで、ウィキペディア日本語版のように事件記事で加害者や被害者の名前を一律・原則的に記載不可にしているオンライン百科事典はないです。
    • ウィキペディアも一律不可ではないですよ。実名が書かれている記事もあります。はてなは誰もが編集できるキーワード集で、百科事典ではないですね。コトバンクの「秋葉原無差別殺傷事件」は、「知恵蔵2008」の転載でしたけれど、ある年の話題の出来事をまとめて、しばらく市場に流通した後に市場から消え、入手が難しくなる性質を持つ媒体として作られるものですよね。コトバンクがいつまで掲載するつもりなのかは分かりません。西山事件/沖縄密約暴露事件の文章は、かなり古いですね。執筆の高須正郎氏は96年か97年頃に亡くなっているようです[2]
いずれにしても、これらの記事が歴史的に重要であり当事者の実名も記す必要があると考えるなら書けばいいですし、それぞれの運営母体には一定のリスクを負って書くことにするという判断も認められますから、これらで書かれているからどう、というものではないです。
  • >要するに何がいいたいかというと加害者名・被害者名を載せるとただちに違法になるなどということはないです。
    • わかってます。そして、複数の点がまとめて語られていますが、すべてが違法になるわけではないですし、ただちに違法になるわけではない。しかし、すべてが違法にならないということもないです。多くの事件後まもなくに作られた書かれた内容の記事は、事件後まもなくの期間内には、という意味で「ただちに」違法にならないでしょう。
  • >ウィキペディアのガイドラインは法的な問題だけで決めるわけではないですが、
    • 法の制限を越えて決めることはできませんよね。法的な問題があるにもかかわらず、ガイドラインでそれを認める記述をしたり、推奨したりしてもいいというわけではないですよね。
  • >ウィキペディアは信頼できる情報源にある情報をまとめるのが原則ですから、人名に関しても一律に掲載不可にするのではなくて、事件の重大性、報道のされ方、各種報道の中で実名扱いなのか匿名扱いのなのか、などといった観点を総合的に判断して実名を記載するかどうか決めればよいと思います。
    • ここでまた時間の経過の問題を忘れてしまっているようです。これもあとでもう一度取り上げます。
  • >「リンク切れを」から「非常にありふれた習慣です。」
    • ウィキペディアの習慣がどんなものであれ、それでは問題が生じるなら、それを変えればいいのだし、変える必要があるものもある。あとは、書誌情報の不足の問題。それらは、検証可能性ではなくて、検証容易性の話ですよね。一般には、見出しを書誌情報の一部として書けばいいです。それを否定するつもりはないです。問題としているのは、一定期間の経過の後における「実名と犯罪情報が結び付けられるような形での見出し」です。
さて、『逆転』の例をご存知なら、それだけで足りると思いますが、念のため確認しましょう。「表示され続けるというのが問題」にならないという判示があれば、教えてください。
もう少し書いておきます。新聞は、20年後には改めて公表し、あるいは公表し続けてはいないけれども、ウィキペディアでは公表し続けている。
『逆転』事件の判示に拠れば、「ある者が刑事事件につき被疑者とされ、さらには被告人として公訴を提起されて判決を受け、とりわけ有罪判決を受け、服役したという事実は、その者の名誉あるいは信用に直接にかかわる事項であるから、その者は、みだりに右の前科等にかかわる事実を公表されないことにつき、法的保護に値する利益を有するものというべき」であり、「その者が有罪判決を受けた後あるいは服役を終えた後においては、一市民として社会に復帰することが期待されるのであるから、その者は、前科等にかかわる事実の公表によって、新しく形成している社会生活の平穏を害されその更生を妨げられない利益を有するというべき」です。
ただし、事件それ自体を公表することに歴史的又は社会的な意義が認められるような場合には、事件の当事者についても、その実名を明らかにすることが許されないとはいえないし、「その者の社会的活動の性質あるいはこれを通じて社会に及ぼす影響力の程度などのいかん」によって、また「その者が選挙によって選出される公職にある者あるいはその候補者など、社会一般の正当な関心の対象となる公的立場にある人物である場合」と、列挙されます。後2者については、ここでは考えなくてもよいでしょう。
事件当時の報道は、たとえば、刑法230条の2第2項(2.前項の規定の適用については、公訴が提起されるに至っていない人の犯罪行為に関する事実は、公共の利害に関する事実とみなす。)もありますし、公衆の関心も高く、あるいは捜査機関などの正当性をチェックするというような意義もあると考えられますから、実名による犯罪情報の報道が認められることは多いです。実名を公表して伝えることの利益と、前科にかかわる事実を公表されないことにつき法的保護に値する利益の比較衡量の際に、前者が後者を上回ったと考えられるということです。
比較衡量の要素としては、「その者のその後の生活状況」、さらに「事件それ自体の歴史的又は社会的な意義、その当事者の重要性、その者の社会的活動及びその影響力について、その著作物の目的、性格等に照らした実名使用の意義及び必要性をも併せて判断すべきもの」が挙げられています。「その者のその後の生活状況」「その当事者の重要性」は、判断の要素となっています。また、少年法の推知報道絡みで、比較衡量の要素として「プライバシーに属する情報が伝達される範囲」というのは示されています(最高裁平成一五年三月一四日第二小法廷判決、破棄差戻、 民集五七巻三号二二九頁、判時一八二五号六三頁、判タ一一二六号九七頁掲載) 。また、ウィキペディアは百科事典であり、報道ではありません。新聞や週刊誌よりは、研究書や学術書に近いもののはずですが、報道には迅速性が求められるが、学術書にはよりいっそうの事実の確認が必要だともされています。先にも触れましたが、真実相当性は通常取材などが求められますし、職業として調査・研究をしていなくても、同等の調査が求められます。伝聞として書いたからといって許されるわけではないですし、配信メディアの法理も認められていない。
事件後一定期間を過ぎたときには、社会復帰に努めようとしているでしょうし、公衆の関心は低下しています。特に当事者の重要性が高く、実名使用の意義が認められる場合を除けば、私人による事件の多くは、実名と過去の犯罪情報を結びつけることが、新しく形成している社会生活の平穏を害されその更生を妨げることに繋がるでしょう。『逆転』事件では、12年余の歳月の経過の間に、被上告人が社会復帰に努め、新たな生活環境を形成していた事実から、法的保護に値する利益を有していたことは明らかとしています。
今から20年経ったとして、そのときにはまだウィキペディアがあったとして、20年前の新聞記事は見つけるのは簡単ではなくなっているような事件について、つまり20年後には社会的な関心が持続していないような事件について、ウィキペディアはググったらすぐに出てくるという状態ならば、実名と過去の犯罪情報を結びつけることが、新しく形成している社会生活の平穏を害されその更生を妨げることに繋がります。
なお『逆転』事件の判決文は、公表する/されるという表現を用いています。このことから、継続的に表示していればよいのではないかと考えているのかもしれません。事件当時には認められていた実名での事件報道が、時の経過によって、どこかで認められないものになる。その転換点を跨いで、裁判となった事例は、ぼくは知りません。しかし、書籍であれば、発売による公表後、しばらく経った後に動きが止まり、しかし在庫が残っている状態というのがありえます。そのような場合も、侵害は認められています。また、ネットでの公開についても、削除されるまで、犯罪が継続しているという判断がなされた判決があります。
ちょっと付け加えておくと、権利侵害が認められたとしても、新聞記事データベースへの修正まではなかなか認められませんから、過去の版の修正は不要だと考えるかもしれませんが、ネット上の情報については、財産権である著作権においても、アクセス容易性ではなくアクセス可能性で権利の行使がなされることから、人格権においても同様の判断が下されることは考えられます。また、既に作成されたCD-ROMや印刷物、さらには既に流通したそれらのパッケージの修正とは異なり、ウィキペディアでは削除による修正が可能ですから、削除を求められるという可能性は高いでしょう。
以上のことから考え、
  • >ウィキペディアは信頼できる情報源にある情報をまとめるのが原則ですから、
    • だとしても、それは法の範囲内でなされるべきであって、ウィキペディアの都合で免責がなされるわけではないです。また、報道ではなく、百科事典として必要な情報として、まとめればいいことです。
  • >人名に関しても一律に掲載不可にするのではなくて、事件の重大性、報道のされ方、各種報道の中で実名扱いなのか匿名扱いのなのか、などといった観点を総合的に判断して実名を記載するかどうか決めればよいと思います。
    • というのは、その通りです。そして、その判断の要素には、更正を阻害しないということや、その時点での社会的関心の強さというものもあります。そのために、多くの場合、将来にわたって掲載し続けるという前提で、記事に実名と犯罪情報を結びつけて投稿することは、避ける必要があると考えます。
以上のことは、ウィキペディアの事件記事での実名使用についての説明です。事件記事については実名を使用せず、脚注見出しにおいては使用が認められる、と考えているのだとしても、記事で使っていない程度に、実名を用いる必要性は認められていないのですし、基本的には、新しく形成している社会生活の平穏を害されその更生を妨げることに繋がります。先には「アクセシビリティという点では、事件概要と新聞社名と日付があれば一応は足りますし、より確実にするためには、紙面を確認し、何版何面という情報を残すのがよいです。書名のように、避けるのが難しい場合はしょうがないと思います。」と書きましたが、個人的には書名も避けるのが好ましいと考えています。--Ks aka 98会話2012年11月1日 (木) 12:13 (UTC)[返信]

コメント 記事名の改作には反対します。なぜならば題も著作権の範囲に含まれ、引用者の都合で部分的に削除することは作者の意図を曲げることになると考えるからです。改作するならば記事そのものを掲載すべきではないと思います。--2012年10月25日 (木) 06:13 (UTC)

それは大丈夫でしょう。Taisyoさんがしているように、括弧書きを用いて引用者がどの部分をどのように変更したのか明らかにしている場合は、引用のルールから逸脱することはないです。--Bugandhoney会話2012年10月25日 (木) 16:30 (UTC)[返信]

記事「尼崎事件」の出典欄を見ると、列挙の上にちょこんと断りが書かれていて、個別にどの記事のどの部分の台を削除したの説明がなく、このような運用では問題の解決にはならないと思います。上記2012年10月25日 (木) 06:13 (UTC)(2012年10月26日 (金) 02:12 (UTC))

この節を問題提議した者です。みなさま、貴重なご意見、ご案内、ご指摘をありがとうございます。さて、「題も著作権の範囲に含まれる」というご案内ですが、記事の見出しは、著作権法10条2項所定の「事実の伝達にすぎない雑報及び時事の報道」に該当するものと認められ、著作物であるとはいえないという判例があります(平成14年(ワ)第28035号著作権侵害差止等請求事件)。私は記事タイトルの趣旨・内容が違ったものにならない程度の省略は、不法行為にはならないと考えます。--49.132.31.252 2012年10月26日 (金) 03:53 (UTC)[返信]
これは著作権の問題ではなくて検証可能性の問題としてとらえてほしいです。記事タイトルを改変する場合は、それ以外の情報、記事の日付だとか閲覧日だとか、出典の探すときの手がかりを可能な限り増やしてほしいです。署名は--~~~~で入ります。チルダが一個多いと(--~~~~~)日時になってしまいます。--Bugandhoney会話2012年10月26日 (金) 12:45 (UTC)[返信]