Wikipedia:コメント依頼/Sixty-one

Sixty-oneさんの編集行為について、以下のような趣旨でコメントを依頼します。--Baumkuhen 2008年1月10日 (木) 02:35 (UTC)[返信]

依頼の趣旨[編集]

Sixty-oneさんは、「夫婦別姓」においてたびたび編集を行われています。

※なお、IP:61.127.98.248会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisも、アカウント取得前のSixty-oneさんです。[1]

夫婦別姓問題は現時点で積極推進の立場と導入反対の立場とで意見が分かれており、さまざまな場所で議論が行われています。Wikipediaの記事としては、それを踏まえて中立的な観点からの記述を心がける必要があると考えております。

しかし、Sixty-oneさんはこれまでの編集において、たびたび積極推進の立場に偏った視点からの記述を繰り返しています。Wikipedia:大言壮語をしないに示されるような、過度の修辞の使用による印象操作的な記述[2]や、故意に推進の立場に不利になる記述の削除[3]などを続けておられます。

ノートにおいて過去に同様の議論があったように見受けられますが、その中においても、いかに自分の記述が「正しい」かを強く主張されるのみで、いかに中立的な記述を目指すか、という視点には欠けておられるように見えます。それだけに留まらず、Wikipediaの「中立的な観点」という基本方針そのものに不服である姿勢も述懐されています。[4]

また、他者の加筆内容を「自分が検証したところ、間違いであると判明しました」との一方的な理由でコメントアウトするなど、独善的な編集姿勢が目立ちます。

この記事における編集合戦すれすれの状況の原因は、ひとえにこの方の編集態度による部分が大きいと判断せざるを得ないため、ここにコメント依頼させていただきました。

みなさまのご意見をよろしくお願いいたします。

参考[編集]

議論[編集]

独自研究を排除しつつ、自らの独自研究や「特定の方向を推進するような表現を用いて」を書いているように思える。 ウィキペディア上のルールは厳格に守られる性質を持ち合わせていない。Wikipedia:ルールすべてを無視しなさいのような考え方も尊重される(これも現在議論の段階)。しかし、「大言壮語をしない」や「特定の方向を推進」のような表現は避けるべきであるし、中立的な表現を無視してはならない。恣意的な表現の変更は百科事典として避けるべき。このような編集には反対。--海☆eoxyl 2008年1月12日 (土) 01:19 (UTC)[返信]

本人より申し上げます。先に示されている通り、私は2006年8月より「夫婦別姓」の項目の編集に参加しております。ノートで申告しているようにID取得は2007年2月20日です。2006年8月以前は静観しておりましたが、私としては夫婦別姓の法制化に抵抗感を持つ方(=中立的ではない)の意見を中和し、中立的に近づけようと努力しています。

まずBaumkuchen様の誤解をひとつ指摘します。私はかつてノートに「中立性についての違和感」[5]を書きましたが、本文を読めば分かるように、その趣旨はWikipediaの編集方針にある中立性に不服を示しているのではなく、「中立性」を大義名分に不当な削除や編集が行われることに抗議したものです。加えて私は「誰の立場から見ても明らかな事実であるかどうかを重視します」と宣言しており、これこそがWikipediaにふさわしい中立性であると信じています。

それから今回のBaumkuchen様のコメント依頼について1つ違和感があります。前に私はBaumkuchen様にノートで相談することを申し入れましたが[6]、これまでBaumkuchen様は一度もノートで議論することはなく、このコメント依頼では私を悪者に仕立てるような印象操作をしています。このようなことをするねらいは、おそらく今後私に「夫婦別姓」の項目を編集できなくさせるためでしょう。

前々からとても苦々しく感じておりますが、「夫婦別姓」の項目では現行法が抱える問題点(法的な婚姻では同氏しか選べないこと=民法750条)およびその不都合に触れようとすると「中立的ではない」と削除や編集されてしまうことが多いです。この部分こそが「夫婦別姓」の本質であり出発点であるのに、そこを隠そうとするのは現行法の改正を阻止したいという思惑があることにほかなりません。Baumkuchen様は自分こそが中立的とお考えのようですが、民法改正や男女共同参画に関してはかなり積極的な反対派です。

その証拠に「フェミナチを監視する掲示板」[7]の「[55927] Wikipedia管理者の検閲」というスレッドにある、Wikipedia「夫婦別姓」の項目についての意見交換を指摘いたします。投稿番号56030、56052、56059、56063などを読めば分かるように、この掲示板で「板東太郎」と名乗る方がBaumkuchen様であり、夫婦別姓の推進勢力を「フェミ」と侮蔑し、Wikipediaから排除しようと画策していることが分かります。

長文になって申し訳ございません。Baumkuchen様が私の編集に不服であることは理解しましたので、あらためてノートに記しておこうと思います。あくまで検証可能な事実を「中立性」と信じて編集を続けていこうと思います。どうぞよろしくお願いします。--Sixty-one 2008年1月12日 (土) 17:38 (UTC)[返信]

とりあえず、[8]のような編集は自分は中立性を欠いているように感じます。双方に恣意的な編集を行う余地があり、論争の元になるのではないでしょうか。「賛成派の立場からの中立的な編集」「反対派の立場からの~」意識する、しないに関わらずどちらかよりになりやすいのかもしれません。双方の編集に吟味が必要に思います。書き込みボタンを押す前に「本当にこれで中立的な表現だろうか?」と自己懐疑する感じが必要なように思いますね。--海☆eoxyl 2008年1月12日 (土) 21:58 (UTC)[返信]
中立的な観点というWikipediaの考え方で、私が感心したのは「敵のために書く」ということです。この考え方によれば、「削除」というのは中立的な観点にそむいたやりかたで、「敵」を激昂させて編集合戦を招くけだと思います。ではどうすればよいか。それは、「□」という記述を「○の立場の人は、△という根拠により□と主張している。」と修正することだと思います。これならば、「○」の立場の人も、「書かれていることは事実だ」として承認すると思います。「夫婦別姓の法制化に抵抗感を持つ方(=中立的ではない)の意見を中和」したいとのことですが、「中立的な観点」から「『夫婦別姓の法制化に抵抗感を持つ方』は、△という根拠により□と主張している」などと編集するようにしてはどうでしょうか。そうすれば、不毛な編集合戦を減らすことができると思います。Sutou 2008年1月12日 (土) 22:52 (UTC)[返信]

(見出しを取りました) 海☆eoxyl様、Sutou様、コメントおよびアドバイスありがとうございます。 中立性には配慮していますが、問題があれば個別にノートで具体的に議論していければと思っております。繰り返しになりますが、明らかな(=検証可能な)事実に絞るという方針は変わりません。その中でSutou様がご指摘するように主語・主体を明確にするというテクニックが有効だということが最近分かってきました。こうした手法で折り合いがついた記述もあります。 ただ「中立性」や「独自研究」の乱用で当方の記述が削除されること、コメントタグに嫌みを含めたり、このコメント依頼もそうですが私への嫌がらせにはやや辟易しています。Baumkuchen様の中立性にもかなり疑問がありますが、そこをいちいち糾弾しては不毛ですので中立的な記述に近づけることに力を割いていければと思います。取り急ぎ、ご意見へのお礼まで。--Sixty-one 2008年1月13日 (日) 17:30 (UTC)[返信]

質問[編集]

みなさんコメントありがとうございました。

ここでみなさんに質問をさせていただきたいと思いますので、よろしければお答えをお願いいたします。

(質問)Sixty-oneさんによる以下の編集内容[9][10]

  1. しかし婚姻の成立(法律婚)に夫婦の同氏を要件とするのは、いまや日本のみとなった。

  2. 夫婦別姓(夫婦が婚前の名前を維持可能かどうか)で比較すると、従来の通説では日本に並びトルコやタイなどが夫婦別姓を選択することができない国として挙げられていた。しかし近年情勢が変化し、婚姻後の夫婦がともに婚前の名前を維持する選択肢がない国は「世界広しといえども日本だけ」<ref>2007年2月21日 衆議院内閣委員会</ref>となった。

「あくまで検証可能な事実」「中立性には配慮し」た記述、「誰の立場から見ても明らかな事実」「Wikipediaにふさわしい中立性」に基づいた記述で、「夫婦別姓の法制化に抵抗感を持つ方(=中立的ではない)の意見を中和し、中立的に近づけ」るものであり、

一方、1.に対するBaumkuhenによる削除(独自研究のおそれ)、および2.に対する以下の編集内容[11]

しかしそれを踏まえたうえで、あえて夫婦別姓(夫婦が婚前の名前を維持可能かどうか)という観点で比較すると、日本に並びトルコやタイなどが法律上明確に婚氏統一が定められている国として挙げられていた。しかし近年、婚氏統一が明文化されている国は「世界広しといえども日本だけ」となったと主張する者もいる。<ref>2007年2月21日 衆議院内閣委員会</ref>

「夫婦別姓の推進勢力を「フェミ」と侮蔑し、Wikipediaから排除しようと画策している」のであり、「『中立性』や『独自研究』の乱用」であり、「Sixty-oneさんへの嫌がらせ」である、という理解、解釈が正しいと思われますか、思われませんか?

また、2.についてさらにその後のSixty-oneさんの編集[12]

こうしたことを踏まえたうえで、あえて夫婦別姓(夫婦が婚前の名前を維持可能かどうか)という観点で比較すると、日本に並びトルコやタイなどが法律上明確に婚氏統一が定められている国として挙げられていた。しかし近年、婚氏統一が明文化されている国は「世界広しといえども日本だけ」となったと指摘する声もある。<ref>2007年2月21日 衆議院内閣委員会</ref>

についてはいかがでしょうか? --Baumkuhen 2008年1月16日 (水) 01:33 (UTC)[返信]

その認識は正しいと思う意見[編集]

その認識は正しくないと思う意見[編集]

中立の意見[編集]

どちらの記述も、部分的には正しくてなおかつ不完全だと思います。表現を変えれば、「どっちもどっち」というのがわかりやすいかもしれません。ただし、わたしからはBaumkuchenさんもSixty-oneさんも、意見の違いがあったり多少感情的になったりしている部分はあっても、真摯に議論しているように思えます。

Sixty-oneさんは「国会における議員の発言」は権威ある情報源であるため、「夫婦の同氏を要件とするのはいまや日本のみとなった」という記述は事実であると主張したいのだと思います。一方のBaumkuchenさんは、それはごく一部の人の意見に過ぎない、ということを主張したいのだと思います。

私の考えでは、国会でのやりとりだけを根拠に「夫婦の同氏を要件とするのはいまや日本のみとなった」ということを事実として述べることには違和感があります。権威ある情報源ということであれば、やはり専門書の記述ということになるでしょう。しかし、「指摘する声もある」という曖昧な表現が百科事典にふさわしいとは思えません。

そこで提案したいのは、「2007年2月21日 衆議院内閣委員会」でのやりとりをもう少し詳細に書くことです。

  1. この発言をした人を明記し、「世界広しといえども日本だけ」はその人の発言であるということを明示すること(←現在の版ですでにできているようです)
  2. それに対する政府答弁の内容
  3. もしあるのならば、このやりとりに対する権威ある第3者(著名な研究者など)のコメント

また、「世界の氏名制度比較」全体についてはあらためて専門書など情報源を明示した記述が行われることを記載します。現状では、情報源がはっきりしないために、「中立性に問題がないか」「独自の研究になっていないか」というおそれが拭えません。

繰り返しになりますが、お2人とも総じていえば真摯な議論をされていると思うので、お互いに譲り合ってよりよい記事にしていただくことを希望します(私自身はこれよりずっとくだらない非生産的な議論にはまりこんでしまって不快な思いをしたりしているので、ある意味うらやましいです)。j8takagi 2008年1月20日 (日) 15:43 (UTC)[返信]

一点だけ。「一方のBaumkuchenさんは、それはごく一部の人の意見に過ぎない、ということを主張したいのだと思います。」ということではありません。要約欄や履歴を見るとわかりますが、厳密な言い方をすると「一議員の発言内容を根拠に、その発言内容の示す事柄(日本だけである)を客観的事実として記述するのは検証可能性の観点から問題がある」ということです。「そのような発言があった」というのは検証可能な事実なので、記述してよいわけです。そもそも「日本だけである」というためには、世界180以上の国や地域の法律制度を漏れなく調査、検証する必要がありますが、そのような作業をだれがいつどのように行ったのか、何も書かれていないわけですから、Wikipedia的には「検証不可能」とせざるを得ないでしょう。それがわかる出典が添えられてさえいれば、私は何もしませんでした。ただそれだけのことです(つまるところj8takagiさんと同じ見解です)。私にはSixty-oneさんがどうもそのあたりの「検証可能性」とは何か、ということをあまりご理解いただけていない(からこそそのような「事実」とする記述をする)のだとしか思えないわけです。--Baumkuhen 2008年1月21日 (月) 02:08 (UTC)[返信]
誤解、失礼しました。該当する部分の記述については、BaumkuhenさんもSixty-oneさんも現在の記述でほぼ納得されているという理解でよいでしょうかね。あと、「『検証可能性』とは何か、ということをあまりご理解いただけていない」とのご指摘について、情報源を示しているという点を考えればそうも言い切れないように思います。j8takagi 2008年1月21日 (月) 15:42 (UTC)[返信]
J8takagi様、貴重な時間を割いて該当項目を読んでくださったこと、ご意見をくださったことにお礼申し上げます。状況はほぼJ8takagi様がご理解くださっている通りです。私は国会の発言という権威ある根拠をもとに加筆しましたが、検証性が不十分との指摘をうけ、後から自ら改良した[13]次第です。その後、Baumkuchen様の修正についても異議は申し立てておりません。
ただ腑に落ちないのは、この小宮山氏の発言に関する記述は12月31日以降編集されることなく、問題点をノートなどで指摘されることなく、1月16日になって問題が掘り返されていることです(Wikipedia:礼儀を忘れない、にある言いがかりに相当するのではないでしょうか)。ここにある当初の問題提起とは別件でもあり、こうしたあら探しがいつまで続くのか、わたしは途方に暮れています。--Sixty-one 2008年1月21日 (月) 07:33 (UTC)[返信]
Baumukuhenさんの書き込みについて、言いがかりやあら探しではなく、Wikipediaの記事をよりよいものにしていくための指摘、とは考えていただけないでしょうか。現実問題として、Baumukuhenさんに100%純粋にSixty-oneさんを個人攻撃する意図がないとはいえないかもしれませんが、それでもお互いに歩み寄る余地はあると思います。j8takagi 2008年1月21日 (月) 15:42 (UTC)[返信]

質問・2(コメント依頼を出されたユーザーは編集不可か?)[編集]

私からも質問させてください。Baumkuhen様はSixty-oneに対し、[夫婦別姓]の編集禁止を命じました(夫婦別姓のノート 2008年1月18日 (金) 01:39 を参照)。Wikipediaではコメント依頼が出されたユーザーは編集不可となるルールになっているのでしょうか。その点だけ、どなたかご教授いただければ幸いです。

現在の記述ではなく過去の経緯をあげつらい、自分にとって苦手な相手を編集に参加できないように牽制するだけではなく、編集を差し止めることまで命じるのは行き過ぎではないかと思います。 --Sixty-one 2008年1月18日 (金) 05:43 (UTC)[返信]

編集の差し止めを命じることはできないし、行き過ぎだと思います。Baumkuhenさんの意図が「命じる」ことだったのかどうかはわからないですが。だけど、編集すれば揉めるような場合は、少し手を止めてもいいのではないかと思います(「自粛を強制する」という卑怯な言い方かもしれません)。j8takagi 2008年1月20日 (日) 15:55 (UTC)[返信]
本件依頼の理由として「Wikipedia:大言壮語をしないに示されるような、過度の修辞の使用による印象操作的な記述」を挙げさせていただきましたが、図らずもその傾向がこのご質問にも現れていると言わざるを得ません。「編集をお控えいただくようお願いいたします」とお願いしたことを「編集禁止を命じた」と言い換えたり、相手が何も言及していないことを独自に想像や推測で補って、それがあたかも既定の事実であるかのようにそれを前提として何かを述べておられる様が見られます。私が問題としているのはこのような傾向に関してであり、このような傾向のまま、夫婦別姓のような中立性に慎重を要する記事において、真にバランスの取れた中立的な判断ができるのかどうか、その点にたいへん大きな危惧を抱いているのです。そのあたり、指摘に対して真摯に自省していただける方であればよいのですが。仮想敵を作って「自分は攻撃されている」と思い込んでおられるようにも見受けられますので、私から何かを申し上げてもお聞き入れくださらないのではないでしょうか(だからこそ第三者のコメントを依頼すべきだろうと判断したわけですが)。--Baumkuhen 2008年1月21日 (月) 02:21 (UTC)[返信]
現状において確かなことは、Baumkuchen様はわたしに編集しないよう求めているということです(現時点では一応従っています)。第3者の提案ではなく、です。これは一方的であり、道理にかなっているとは思えません。--Sixty-one 2008年1月21日 (月) 07:44 (UTC)[返信]
Baumkuhenさんの仰るように、たしかにSixty-oneさんは必要以上に「『自分は攻撃されている』と思い込んで」いるような節も感じました。だけどここまで議論が白熱すれば、ある程度はそう思うのも仕方がないのかな、と思う部分もあります。Baumkuhenさんが丁寧な言葉遣いや冷静な議論を心がけているのは感じています。しかし、今回はそれだけでは不十分な部分もあったのかな、と思いました。例えば、Sixty-oneさんに「編集を控えることをお願いする」のであれば、自身も編集を控えることを宣言して実行すべきだったんじゃないかと思います。j8takagi 2008年1月21日 (月) 15:42 (UTC)[返信]

質問・3(これは独自研究か?)[編集]

現在夫婦別姓において、記載されている以下の内容が独自研究にあたるかどうか、もしよろしければご意見をいただければと思います。

また、父称は父親の名を示すものなので、父を同じくする兄弟姉妹間では同一になる。これについて「兄弟の名前の一部を同一にすることを強制されているのはスラブ語圏のみである」という分析、解釈は、決して誤りとはいえないまでも、「そうあるべきでない」という価値判断を含んだ説明になっていることは明らかである。

問題なのは上記「これについて」以降の部分です。「兄弟の名前の一部を~スラブ語圏のみである」という部分には出展がなく、加筆したBaumkuchen様ご本人も「その部分はたとえです」(2008年1月22日 (火) 06:30 (UTC))と述べておられます。たとえをもとに編集者の主観や考えが述べられているということは、独自研究に相当するのではないかと考えています。せめて趣旨に近い内容が記述されている文献があれば、それを引用するという形にできればいいのではと思うのですが。--Sixty-one 2008年1月24日 (木) 04:46 (UTC)[返信]

(質問への回答ではありません)まず、このコメント依頼の場ですべき質問であるかどうか、落ち着いて冷静にお考えいただけたら、と思います。
売り言葉に買い言葉、のようなことをされるのではなく、まずは指摘されているご自身の編集姿勢や、Wikipediaの方針理解に関して、第三者のコメントを聞く、ということを重視していただきたいと願っております。
さて上記のSixty-oneさんからの質問に関してですが、すでに該当記事のノートで議論になっているところですので、ここでは私の一つの疑問を簡潔に提示しておこうと思います。
いったいSixty-oneさんは、上記の記述に関して、具体的にどういう内容の「出典」が提示されればよいと考えておられるのか。
その点が不明確なまま、ただ「出典、出典」と繰り返されているのは、以前にご自身の記述が「検証可能性」を理由に削除されたことへの感情的な反発からなのでしょうか?
「出典」を求めておられるのは、「出典が記されることでWikipediaの記事としてよいものとなる」ことを考えておられるのか、それとも「出典を出せないという理由で削除したい」からなのでしょうか。つまり、本当に「出典が記されること」を期待し、それを喜ぶ姿勢で書かれていることなのか、自分の好まない記述を削除する理由を得たいだけなのか、ということです。みなさんにもそのあたりの点をご勘案いただけたらと思います。--Baumkuhen 2008年1月25日 (金) 07:48 (UTC)[返信]
それともう一点。いまだによく理解できないのが「『兄弟の名前の一部を~スラブ語圏のみである』という部分には出展出典がなく」のくだりです。
「『月には兎が住んでいる』というのは古い迷信であり」という記述に対して「『月には兎が住んでいる』という部分には出典がなく」というのは、よく意味がわかりません(他の多くのWikipedia編集者の方が同感だと思われますが)。
「古い迷信であり」の部分に出典があったほうがよい、という意見なら理解できるのですが。それでも、周知の事実や直感的にだれもがわかるレベルの事実であれば、出典を求めるまでもありませんし、ましてそれを理由に積極的に削除すべき、とまでは言えないでしょうけれども。
『』内が事実である、と書いてあるのであれば『』内に関する出典を求めるのが正しいですが、『』内はおかしい、と書いているのに『』内に関する出典を求める、というのはさっぱり理解ができません。--Baumkuhen 2008年1月25日 (金) 07:58 (UTC)[返信]

意見を記載する場合でも出典は必要[編集]

ノート:夫婦別姓とこの欄を読んで思っていることを述べさせていただきます。

Baumkuhenさんは、自分の記述に関して出典(情報源)を示すべきです。今までの編集や議論を見ると、Wikipediaの公式な方針であるWikipedia:検証可能性をよく理解されていないように思います。関連して、Wikipedia:信頼できる情報源で「意見」について説明している部分も参照すると良いと思います(「信頼できる情報源」自体は公式の方針ではありませんが、「検証可能性」での説明を補う重要なドキュメントだと私は考えています)。

今回に関していえば、「人名に関しては世界中で複雑な制度が多数あり、世界の多くの国で夫婦別姓が制度化されているということはいえない」という主張(=意見)を「誰が」「どこで」しているのかを示す必要があります。もしそれを示せないのであれば、そうした主張はBaumkuhenさんの「独自の研究」であると見なされても仕方ないでしょう。

> 「『月には兎が住んでいる』というのは古い迷信であり」という記述に対して「『月には兎が住んでいる』という部分には出典がなく」というのは、よく意味がわかりません

上記Baumkuhenさんの発言について、Wikipediaに「月には兎」という記述をするならば、やはり出典が必要です。この場合は当然「月に兎が住んでいる」という事実は示せません。そのかわり、「月に兎が住んでいたという迷信を信じる人がいた」という事実を示す資料を示すべきです(ちなみにに、「他に日本では、月の海は、ウサギがもちつきをしている姿に見立てられる」という記述があります。この部分も本来は、日本のどのような書籍に載っているのかなどがわかるような出典が必要です)。

方針「検証可能性」には、次のように記載しています。

> 信頼できる情報源を欠く編集は、除去されるのもやむを得ません。

この部分に関しては、例えば、Wikipedia‐ノート:検証可能性#確認:「出典不明示は削除」は、オールマイティな規定ではないのような議論は行われています。たしかに出典がなければ機械的にすべて記述を削除するような行動は、たしかに良くないと私も思います。しかし、Wikipediaではできるだけ情報源(出典)を示すべき、ということには変わりありません。特に今回のように(記事の性質上)中立性に問題が発生しそうであり、現にほかの編集者と議論になっているようなケースでは、とくに出典の明示が求められると考えます。j8takagi 2008年2月2日 (土) 03:53 (UTC)[返信]

お答えすべき点について、お答えします。
「人名に関しては世界中で複雑な制度が多数あり、世界の多くの国で夫婦別姓が制度化されているということはいえない」という主張については、私はそのような主張を記述してはいません。よく本文をお読みください。そのうえで上記のような「主張」にあたる部分があると思われる場合は、その部分をご指摘ください。
この場合は当然「月に兎が住んでいる」という事実は示せません。そのかわり、「月に兎が住んでいたという迷信を信じる人がいた」という事実を示す資料を示すべきですについては、私も以下のようにまったく同じことを書いています。
「古い迷信であり」の部分に出典があったほうがよい、という意見なら理解できるのですが
私の書いていることの意味がよく伝わっていないのだと思いますが、Sixty-oneさんは繰り返し「月に兎が住んでいる」という出典を示せ、といわれています。ですから、その記述内容に対して、その部分の出典を求めるのは的外れ、とご説明しているはずです(読み取り辛かったようであればすみません)。
つまり「そういう迷信があった」という事実に関して出典を求めるのならわかりますが、Sixty-oneさんはずっと「兎が住んでいる」という事実に関しての出典を、といわれていますので、その誤りを指摘しているのです。ご理解いただけますでしょうか?
そして、父称とはどのような名前か、という事実に関しては出典を挙げることは可能です(挙げるまでもなく公知の事実ではありますが)。ばかばかしい気はしますが、「出せないから逃げている」というような印象操作をするネタにされるのもつまらないですから、いちおう一例を挙げておきます。
「人名の世界地図」ISBN 978-4166601547
そして「比較にあたって注意が必要」という事実に関しては、特に異論がない、だれにでも明白な事実であると思います。むしろ異論があるなら、ぜひお聞きしたいです。「注意は必要ない」という、明確な根拠と事実の裏づけがある説明があれば、ですが。こういう部分にも出典を求めて「出典を示せないなら削除」というのは、行き過ぎであると思います。
そういうことをすると、Wikipediaの多くの記述が恣意的な削除の対象になりかねません。
もう一度J8takagiさんにもよく記述を読んだうえでお考えいただきたいと思います。いったい、具体的にどの記述のどの部分に関して、どういうことを示す「出典」が必要なのか、ということをです(出すのがいやだとか出せない、という話ではなく、Sixty-oneさんの主張、説明では的外れな指摘にしかなっていないから、対応しようがない、と言っているのです)。-Baumkuhen 2008年2月10日 (日) 02:58 (UTC)[返信]
ずっとやりとりを拝見しておりました。
例えば、
「日本には古来から火星人が暮らしている」、というのは間違いである。
と記述した場合、「〜は間違いである」の部分に出典が求められるというのはBaumkuhenさんのおっしゃる通りです。しかしそれと同時に、上記の記述がWikipedeia本文でなされた場合、<誰か「日本には古来から火星人が暮らしている」という内容の言明をした者がある>と読者には推理されます。Sixty-oneさんはそこを気にしていられ、J8takagiさんはそれも含めて「自分の記述に関して出典(情報源)を示すべき」とされたのだと思います。もし「日本には古来から火星人が暮らしている」ということを言ったものがどこにもいないのであれば、上記の文章は意味不明なものになるはずで、荒らしとして削除されるべきものです。--КОЛЯ 会話 2008年2月10日 (日) 06:10 (UTC)[返信]


(インデント戻します。)Baumkuhenさんに対して2点ほど。

> 「人名に関しては世界中で複雑な制度が多数あり、世界の多くの国で夫婦別姓が制度化されているということはいえない」という主張については、私はそのような主張を記述してはいません。

これは、夫婦別姓本文の次の部分を私が要約した内容です。

世界のさまざまな文化においては、人の名をどのようにあらわすか、人は何を指す名前を持ち、どのように名乗るか、ということがそれぞれに異なっている。
...
したがって、このような名称の文化的な差異を論じる場合、他者との異動性のみを抽出して論じることにはあまり意味がないばかりか、誤導を招く危険性もあり、注意が必要である。

いわれてみれば、確かに「名称の文化的な差異を論じる場合、注意が必要」という趣旨であり、夫婦別姓については何も言っていませんね。私の方で、「名称の文化的な差異を論じる場合には注意が必要であるがゆえ、夫婦別姓について簡単に結論はいえない」という解釈を付け加えていました。逆にいえば、そういう解釈でも付け加えなければ、こうした記述がここにある必然性が私には理解できないのです。

2点目。

> 「比較にあたって注意が必要」という事実に関しては、特に異論がない、だれにでも明白な事実であると思います。

「比較にあたって注意が必要」というのはたしかに明白です。しかし、Wikipediaに無条件に記述すべき事実ではないです。例えば、次の記述がWikipediaのニュートン力学などの記事にあるべきかどうかを考えてください。

物理現象は非常に複雑である。したがって、物理現象を論じる場合、ニュートン力学のような単純な法則があてはまる場合だけを抽出して論じることにはあまり意味がないばかりか、誤導を招く危険性もあり、注意が必要である。

ニュートンもそのほかの専門家も、百科事典に記載されるような意見は深く注意を払った上で発表しています。それに対してあえて「注意が必要」などというのは無意味だし、新たな誤解を招きかねないです。

こうしてお話を伺っていると、Baumkuhenさんの記述は「Baumkuhenさんが当たり前だと考えていること」であり、それは「独自の研究」にあてはまってしまうだろうな、という心証が強くなっています。Baumkuhenさんが当たり前だと考えていることも、ほかの人にとっては当たり前ではない、という可能性も考慮してください。その場合、Baumkuhenさんの記述は削除されても仕方がないと考えます。j8takagi 2008年2月11日 (月) 15:03 (UTC)[返信]

このコメント依頼をクローズしては?[編集]

このコメント依頼はクローズし、議論は元のノート:夫婦別姓で続けることを提案します。

コメント依頼当初の目的であった「Sixty-oneさんの編集の仕方」について修正を加えられた現在の記述で問題ない、ということで双方の当事者は合意していると思いますし、それに反対する第3者コメントもありません。また、それ以外の話題についてこのコメント依頼で議論を続けると、議論の場所が「ノート」と分散してしまうので、煩雑だと思います。

「月に兎」の件などについては私からも申し上げたいこともありますが、ここに書くべきことなのか悩ましく思っています。j8takagi

おっしゃることにも一理あるとは思うのですが、現時点でSixty-oneさんが「夫婦別姓」に関して希望されている(お考えになっている)編集方針は、このコメント依頼で取り扱っている問題の延長上にある面があり、微妙にリンクしている観がありますので、もう少し様子を見たいと思っています。
残念ながら、当事者以外の第三者のご意見があまり多くなく、また指摘されている内容について被依頼者であるSixty-oneさんがまだあまり納得されていないように見受けられます。ご意見を拝見すると、この問題について悪いのはBaumkuhenであり、Sixty-oneさんはきわめて公平でWikipediaの方針に沿った正しい編集をしているにも関わらず、Baumukuhenが自分の思想や信条にしたがってそれを阻害したり嫌がらせをしているのだ、という理解をされているようです。
その状態ではこのコメント依頼の役割が完了したとは言えず、火種を残したままとなるように思います。
初めてのことであればよいのですが、どうも履歴を見る限り、過去にも同様の問題が起きていて、似たような展開があったようです。つまり、今回の件が「Wikipediaの方針に関して無理解があったための過ちであり、それはすでに理解して改めた」というようには見えません。
申し訳ないことですが、最初から一貫して、少しでも法改正推進派の視点から見て好ましいように、誇張や出所不明の「事実」を追加しようとしておられ、だれかがクレームをつけたときだけ対応している、というように見えます(そんなことはない、という弁明は聞く用意がありますが)。
恐らくこのようなことを書くと、Sixty-oneさんは、「それはあなたも同じだ」と反論するのではないかと思いますが、それについては私の履歴を見ればわかることで、私は法改正反対派にとって嬉しくない編集も、中立性の観点にしたがって行っています([14]にて、反対勢力を多数と見せようとする恣意的な編集を差し戻しています)。
たまたまSixty-oneさんが推進派の視点に偏った編集を続けたり、中立性を確保するための編集を削除や差し戻ししたりするため、Sixty-oneさんの編集を差し戻したりすることになってしまっただけで、Sixty-oneさんが適切な編集をされた場合はそれを力ずくで排除するようなことはしていません(実際、多数のSixty-oneさんの記述が今も生きています)。
ここでクローズした場合、また今後も同じようなことが繰り返されることになる、その点を危惧しています。ここで、できればSixty-oneさんのWikipediaの方針の理解や、今後の編集方針などを明確にしていただき、将来同じような問題が再発しないことを確認したいと願っています。--Baumkuhen 2008年1月28日 (月) 01:20 (UTC)[返信]

了解しました。上にコメントさせていただいています。ただし、コメントの内容はSixty-oneさんの行動の是非ではないです。j8takagi 2008年2月2日 (土) 03:53 (UTC)[返信]

素朴な疑問[編集]

コメント依頼のクローズが提案されていましたが、私としては静観するつもりです。ただせっかくオープンしているのであれば、くだらないことですが素朴な疑問と思うことを書き込ませていただければと思います。特にコメントは求めません。

このコメント依頼を書いたBaumkuchen様ですが、投稿記録[15]を拝見すると2007年12月20日から精力的に編集活動を開始されています。夫婦別姓に関しては12月27日から、そのわずか2週間後にはこのコメント依頼を出しています。Wikipediaのルールにもお詳しいように見受けられ(ご自分に都合の良い解釈も見受けられますが)、少なくともこれまでそれなりのWikipedia経験をお持ちと考えるのが自然です。

前にも夫婦別姓には普段のIDではなくIPアドレスで投稿を続けた方もおいででした。私としては普段とは違うIDで編集することについては、項目内で同一性が保たれているなら異存はありません。ただ不思議なのです。新しいIDで心機一転するのがいけないとは言いませんが、なぜ、Baumkuchen様が新しいIDを作成したのか。なぜ、それまでのIDで編集しないのか……。これ以上は申し上げません。

内心ではBaumkuchen様の主張や言動について異論もありますが、ここで最初に述べたようにWikipediaにふさわしい中立的な記述に近づけることを優先し努力しようと考えております。また、私はWikipediaの経験が浅く不手際もありますが、根拠なく書くことはありません。ご理解いただければと思います。

あとこれまで誤字の指摘や表記修正など、かげながら手助けしてくださっている方々にこの場を借りてお礼を申し上げておきたいと思います。ありがとうございます。--Sixty-one 2008年1月31日 (木) 04:24 (UTC)[返信]