Wikipedia:コメント依頼/Kengaku 他

幸福の科学に関わる宣伝的な編集を続けている複数のアカウントに関して、コメントを依頼します。--青木(おおぎ)高校生 2010年3月17日 (水) 11:09 (UTC)[返信]

これまでの経緯[編集]

利用者:Kengaku会話 / 投稿記録 / 記録[編集]

利用者:Kengaku会話 / 投稿記録 / 記録さんは2009年6月14日 (日) 08:02 (UTC)にアカウントを作成され、初めての編集は2009年6月14日 (日) 08:36 (UTC)にノート:真理党へ編集されたものです[1]。その編集は、真理党記事内から関連項目幸福実現党の削除を要求するものでした。[返信]

最近はSamghaさんが作成した記事のパトロールを行っておられます。また、Samghaさんの利用者サブページ、利用者:Samgha/下書きAノート / 履歴 / ログ / リンク元を編集されたことがあります。

追記 現在Samghaさんが作成したリダイレクトが過剰であるとして、Wikipedia:リダイレクトの削除依頼/2010年2月にて削除の審議をおこなっていますが、その審議でKengakuさんが存続票を投じています[2]

作成記事[編集]

利用者:Samgha会話 / 投稿記録 / 記録[編集]

利用者:Samgha会話 / 投稿記録 / 記録さんは、2009年11月8日 (日) 04:36 (UTC)にアカウントを作成されました。初めて作成された記事はボディ・ジャックであり、2009年11月8日 (日) 06:51に作成されたようですが、Wikipedia:削除依頼/ボディ・ジャックによって削除されています。[返信]

利用者‐会話:Koufukunakamaでは、Koufukunakamaさんを装って会話ページへの質問に回答しており[3]、その後Koufukunakamaさん自身が署名を自身のものに書き換える、[4]ということがありました。

作成記事[編集]

上記記事の多くに、宣伝的であるなどとして削除依頼が提出されています。

利用者:Koufukunakama会話 / 投稿記録 / 記録[編集]

利用者:Koufukunakama会話 / 投稿記録 / 記録さんは、2009年12月4日 (金) 10:55 (UTC)作成、2009年12月4日 (金) 10:57 (UTC)初編集です。[返信]

上に記しましたように利用者‐会話:Koufukunakamaへ質問が書き込まれた際、SamghaさんがKoufukunakamaさんになりすましてその質問に回答したことがあります。

結論[編集]

上記のアカウントは幸福の科学関連の編集を継続的に行っており、またその他の事象からも同一人物であるものと思われます。このアカウント群が全て同一人物の多重アカウントであるのか、また多重アカウントだったとして、この利用方法は多重アカウントの不正利用にあたるのか、皆様のご意見をお願いいたします。

ノートにおいても、チェックユーザーの提案を行っています。--青木(おおぎ)高校生 2010年3月17日 (水) 11:09 (UTC)追記など--青木(おおぎ)高校生 2010年3月21日 (日) 14:19 (UTC)[返信]

被依頼者によるコメント[編集]

第三者によるコメント[編集]

  • (コメント)依頼者が問題視しているのは(1)特定の分野で宣伝的な項目の立項を繰り返していること(2)別アカウントで利用者サブページの編集や会話ページでの返答を行っていること(3)別アカウントの立項をパトロールしていることの3点くらいでしょうか?(1)は行為自体の是非を別にすれば多重アカウントの利用方法として不正とは言えないと思います。行為に問題があれば個々のアカウントごとに注意すれば良いだけです。(2)については、自ら別アカウントであることを表明したも同然ですが、それ以上でも以下でもありません。(3)は微妙ですが、私自身がパトロール機能を活用していないことから、そこまで問題とは考えていません。
    個人的には多重アカウントの使用に良いイメージを持ちませんが、現在のところ同一ノートページや依頼系のページへの複数アカウントでの書き込みが見られないことから、多重アカウントの不正利用とまでは言えないのではないかと思います。よって、現在のところCUの必要性はないと考えています。これらアカウント群に問題があるとすると、(1)だと思いますので、その点に絞ってコメントを求めたほうが良かったのではないでしょうか。--あるふぁるふぁ 2010年3月21日 (日) 20:19 (UTC)[返信]
    • (コメント)あるふぁるふぁさんと同意見だけど、(1)のなかでも問題にすべきは「宣伝的な項目の立項を繰り返していること」であって、「特定の分野での立項を繰り返していること」ではない。特定の分野(今回の場合は幸福の科学関連)を集中的に編集すること自体は何ら悪いことではない。自分も含めて編集分野に一定の傾向があるのは仕方が無いことである。--あばさー 2010年4月3日 (土) 14:39 (UTC)[返信]
    • (コメント)結局、青木(おおぎ)高校生さんが止めさせたいのは、幸福の科学や幸福実現党にとって「宣伝的」な項目の立項自体ですよね?幸福の科学や幸福実現党についての事実、また書籍の内容や関連情報を確認したい私たちネットユーザーにとっては、Wikipediaに立項されていること自体が大変助かっています。もし項目の内容が「宣伝的」なら訂正して、項目に事実だけは載せてほしいです。『日本の繁栄は、絶対に揺るがない』のように項目自体が削除されるのは、不便を覚えてとても残念です。また、すぐ「宣伝的」と言われますが、確かに、もし中身の確認できない情報商材のようなものをとても良いもののように書いたら「宣伝的」かも知れませんが、市販・公開されていて、多くの人が普通に中身が良いと思うかも知れないものを、普通に紹介したときに「宣伝的」と取るのは行きすぎと思います。もしも普通は悪いと感じる事実を普通にそのまま書いたら誹謗中傷しているかのように言われ、普通は良いと感じる事実を普通に書いたら「宣伝的」だの、果ては「洗脳」だのと言われるのでしょうか。もしそうなら、そのように言う方のほうが、よほど「主観的」な判断を押しつけていると思います。--Demian 2010年4月3日 (土) 15:59 (UTC)[返信]
      • コメント それは、百科事典であるウィキペディアの利用法として間違っているのではないでしょうか。ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません
        確かに日本の繁栄は、絶対に揺るがないという書籍について調べたい方には、日本の繁栄は、絶対に揺るがないという記事は有用だったかもしれません。ですがウィキペディアにはWikipedia:特筆性という百科事典への収録基準があり、日本の繁栄は、絶対に揺るがないは特筆性がなかったものと判断しております。
        もちろん、特筆性を満たした項目を多数作成されることは問題ないと思いますが、特筆性がないような項目を宣伝的な文で多重アカウントを駆使しながら量産するのはどうかと思います。そういったことはウィキアでやるべきでしょう。ところで、「洗脳」とか「主観的」とか誰のお言葉でしょうか。--青木(おおぎ)高校生 2010年4月3日 (土) 17:06 (UTC)文意が通らないところの補完。--青木(おおぎ)高校生 2010年4月3日 (土) 19:25 (UTC)[返信]
        • (コメント)Wikipedia:特筆性についてのご説明ありがとうございます。結局、誰にとっての特筆性なのかという話になりますが、たとえば、幸福の科学や幸福実現党についての事実を追い、今後の行く末を予測したい私のような人にとっては、『日本の繁栄は、絶対に揺るがない』は、立党間際にどのような内容の本を出版していたのかがわかるという点で、続く『国家の気概』の項目同様に、非常に参考になります。
          もしも本の売上目当ての立項であったりすれば許されることではありませんが、項目があって本の概要がわかるのは大変ありがたいので、修正して宣伝臭だけ消してもらえればと思います。
          宗教学ないし政治学の観点でも、これまでに無い観点が示されたと思われる点で、特筆性はある本だと私は思います。さらに、海外、特にアメリカや中国の人にとっては、こういう本が日本で出ること自体、特筆性が強いのではないでしょうか。--Demian 2010年4月3日 (土) 19:12 (UTC)[返信]
          • コメント 個人的には、Wikipedia:特筆性 (書籍)なども鑑みるに、日本の繁栄は、絶対に揺るがないには特筆性がなかったように思います。個々の案件についてこれ以上深い議論になるようでしたら、このコメント依頼ではなくその項目のノートページにて議論しましょう。--青木(おおぎ)高校生 2010年4月3日 (土) 19:25 (UTC)[返信]
            • (コメント)幸福の科学の教義や行動の変化、また幸福実現党が打ち出してくる政策やその行動の変化は、そのほとんどが幸福の科学グループ創立者の大川隆法氏の直近の講演・講義・セミナーに基づいているように思えます。例えば『日本の繁栄は、絶対に揺るがない』については、幸福の科学のデフレ対策の一つが初めて出されています。このように、幸福実現党の政策の変化や、幸福の科学の教義や行動の変化によってすぐ確認できる大川隆法氏の一連の著作は、著名な政治的運動や宗教的運動に重大な貢献をしている点で、Wikipedia:特筆性 (書籍)で言う一般的な特筆性が無いとはもう言えないでしょう。違いますでしょうか?
              立項され、書籍に収められた講演等の日付と簡単な内容が記されていること、また前書き・後書きなどで出版時の著者の考えが知ることができるのはありがたいです。例え幸福の科学や幸福実現党への批判者にとっても、「あの時の説法に基づいて出てきた政策あるいは行動だな」とヒモ付けして検証できる点で有用でしょう。
              ただ、書籍売上の宣伝としか思えない記述や、逆に著作権侵害、また、事実に基づかない記述などの内容があれば、内容を修正されるべきと考えます。--Demian 2010年4月4日 (日) 04:30 (UTC)[返信]
      • (インデント戻します)それには、検証可能信頼できる情報源による出典がありますか。そのご主張が信頼できる情報源によるものなら特筆性が存在するでしょうし、そうでないなら単なるあなたの独自研究です。--青木(おおぎ)高校生 2010年4月4日 (日) 16:11 (UTC)[返信]
        • 青木(おおぎ)高校生 さんが戻したインデントに追随します)「幸福の科学グループ創立者にして総裁である大川隆法氏の一連の著作は、著名な政治的運動(すなわち幸福実現党)や宗教運動(すなわち幸福の科学)に重大な貢献をしている。」という仮説と、「大川隆法氏の一連の著作は、著名な政治的運動や宗教運動に重大な貢献をしていない。」という仮説とがありえますが、前者の仮説を当然の事実であるかのように述べる人はたくさん居ても、後者の仮説を述べる人を寡聞にして知りません。
          もしも、青木(おおぎ)高校生さんが、後者の仮説を述べる最初の人(Original Person)になるなら、まさに青木(おおぎ)高校生さんの独自研究(Original Research)であり、大変ユニークな、貴重なご見解になると思います。
          逆に後者の仮説が正しいとする検証可能信頼できる情報源による出典が万一にでも存在しましたら、よろしければお示しください。
          特筆性の存在証明は、神の存在証明とかクオリアの存在証明と同じで、本来、証明が不可能です。いかなる項目であれ、その特筆性の存在は決して証明できないにもかかわらず、ウィキペディアにこれだけ項目が溢れているのはどうしたことでしょうか。--Demian 2010年4月5日 (月) 15:48 (UTC)[返信]
          • お話がそれてきたと感じましたので、ノートの方にお返事しました。--青木(おおぎ)高校生 2010年4月5日 (月) 21:34 (UTC)[返信]
            • ノートで論じられているのは、『日本の繁栄は、絶対に揺るがない』のWikipedia:特筆性 (書籍)ですね。
              しかし、私がここで申し上げたかったことは、『幸福の科学グループ創立者にして総裁である大川隆法氏の一連の著作が、幸福実現党や幸福の科学のような著名な政治的運動や宗教運動に重大な貢献をしている。』とする私のきわめて常識的な見解が、あたかも私の唱えた新説ででもあるかのようにの独自研究の疑いをかけ、検証可能信頼できる情報源を求める青木(おおぎ)高校生 さんの要求に対する疑問です。
              実際、いかなる団体であれ、その創立者にして団体トップの見解であれば、その団体の運動に重大な貢献をしていないことは、通常考えられないからです。もし他の団体の運動に重大な貢献をしていると主張するケースなのであれば、疑り深い人のために、検証可能信頼できる情報源を挙げることは意味があるでしょうが、逆に、たとえば、創業者にして現役の社長の見解が社業に重大な貢献をしていない会社の事例などを一例でも挙げられる人がいるでしょうか?
              検証不可能な事実を記述しているならばまだしも、わざわざ検証するまでも無いような事実にいちいち信頼できる情報源を求めて、さもなければコメントは独自研究で意味が無いかのように言うのは、ルールの精神に反したルールの悪用ではないかと感じます。独自研究は載せない方針は、他の人のコメントに反駁するためではなく、トンデモ記事排除の目的で立てられたものだからです。
              また、相手のコメントに独自研究、すなわちトンデモの疑いを持ち出す振る舞いも、一般的には無礼な行為と感じられました。
              ご自身のこれまでの主張に都合の悪いコメントに、独自研究、すなわちトンデモの疑いを表明し、過去を言い逃れして正当化したいのであれば、ここでコメント依頼をする意味も無いのではないでしょうか。--Demian 2010年4月6日 (火) 11:00 (UTC)[返信]
              • 論点を把握できておらず申し訳ありません。個人的には、執筆者の見解はすべて独自研究だと考えております。ですから、Demianさんの『きわめて常識的な』見解でさえもDemianさんの見解なのであれば独自の研究なのだと考えております。件の見解が本当に『きわめて常識的』なのであれば、すぐに信頼できる情報源からの言及がみつかるでしょうし、その『きわめて常識的』な見解に対して私さえもが『きわめて常識的』と考えてしまえばそれさえもが独自の研究になってしまいますから。余談ですが、『きわめて常識的』というのも避けたい言葉ですね。
                しかし、Demianさんの『重大な貢献をしている。』とする見解には納得できます。『納得できる』というのは私の見解であり、私の個人的視点、独自の研究ですが。また、私が今それに対して出典を求めても記事内に記入するわけではなく、出典が見つかっても大きく意味のあるものではないので、やはり出典は必要ありません。変なことを要求してしまいすみません。ノートにもコメントをします。--青木(おおぎ)高校生 2010年4月6日 (火) 23:31 (UTC)[返信]
                • 私も、Wikipediaには全く不慣れで、青木(おおぎ)高校生さんにはいろいろなことを教えていただいたことは深く感謝しております。
                  以下は、教えていただいたことから連想したまったくの思いつきの見解です。
                  さて、ここに打つコメントも、研究(Reserch)かどうかはさておいても、私の独自性(Originality)はコメントの中に必ず表われると思うのです。なぜなら、私たちは他律的な自動機械として言葉を打っているのではない以上、言葉の源泉(Origin)は必ず私自身の中にあるからです。これが意味することは、人は自分が書く言葉に責任があるということです。だから、変なことを書けば、他の人から責任を取るように責められるわけです。もし私が言葉を打つBotか何かなら、源泉(Origin)はBotを操っている人となり、その人が責められるべきということになりますが、私はそんな操り人形ではありません。
                  そして、Wikipediaの記事も、人が考え、また考えて打つ以上、その人の独自性の入らない記事など無いと思います。書いた人に責任を問えない記事など無いと思います。すなわち、いかなる意味でも独自研究(Original Research)の可能性を消し去れる内容の記事など、あり得ないのではないかと私は思います。
                  ただ、Wikipediaは、コメントも含めて匿名で編集できます。よって、トイレの落書き並みに無責任な記述をしても、オフラインでの責任を問われず、逃げ切ることができます。だからこそ、書かれた記事の真実性を担保するためには、「出典は何ですか?」「その出典は信頼できますか?」「誰でもその出典にアクセスして確かめられますか?」などと、しつこく言うのかと推測しました。
                  ちなみに独自研究(Original Research)は、独創的な研究の意味ですから、本来、一般社会では良い意味ですね。人類の進歩に本当の意味で貢献するのは、いわゆる独自研究だけです。アルキメデスの原理ピタゴラスの定理万有引力相対論のような独創的な理論は、科学者としての夢です。しかし、何らかの意味で独創的な考えの発表の場を、責任を問おうにも問えない匿名の百科事典記事にするのは「違うでしょう?」と言われているのが独自研究は載せない方針の意味かと思いました。
                  いずれ、人は匿名であろうと、よって責任を問うことはできなかろうと、それでも自分の言葉は、責任を持って語るべきだと思います。検証可能信頼できる情報源の出典にだけ内容の責任を負わせて、自分の言葉の真実性には責任を負おうとしない人は卑怯だと思います。しかし、独自研究は載せない方針が、自分の言葉に責任を負わないですむ口実になっていないかと感じました。
                  皆さん、いろんな動機でWikipediaの編集に参加するわけですが、本来、良い百科事典を作るという目的は共通のコミュニティのはずなのです。私も、「Demianの言うことなら、証拠は十分揃ってなくても、きっとその通りなんだろう」と思ってもらえるような、利用者名としての信用を得たいと思いました。
                  (なお、あまりに議論をそらしてしまいましたこと、最後になりましたが、お詫びします。以上)--Demian 2010年4月7日 (水) 16:12 (UTC)[返信]
  • コメント 通りすがりですが、一言コメントさせて頂きます。議論を大幅に巻き戻した上で、差し当たっては論点を限定したコメントとなりますが、ご容赦ください。
まず、数々の書籍に対して、項目が必要かと言う点です。まず大前提として、幸福の科学が日本屈指の新興宗教である点は無視できません。誰も知らない様な泡沫宗教団体であれば、そもそも議論になっていませんね。
各々の書籍についてですが、ほとんどのものは「体裁が整っている」、大きな問題のない記事であると思います。よって、問題とされるのは特筆性です。特筆性と言うものは非常に曖昧でして、JAWPでは「二次資料で述べられている事をもって特筆性を担保する」ことが好まれている様ですが、これを厳密に適用してしまっては非常に窮屈になります。よって以降は一般論で述べさせて頂きますが・・・・・とりあえず状況を確認してみましょう。日本の新興宗教で双璧を成すと考えられる創価学会名誉会長「池田大作」氏の記事では、著書の一覧はあるものの、独立した記事はほとんどありません。が、これをもって大川隆法氏の著書作も記事にすべきでは無い、と言うのは乱暴でしょう。もしかしたら、池田大作氏の記事の方が、未だ不完全であるのかもしれません。
次に、各々の著書について考察してみます。この場で全部を査読、批評するわけにも参りませんので、常勝の法について述べさせていただきます。
  • まず、「概要」についてですが・・・・・・これは、ちょっとこう言うのもはばかられるのですが、信者の方が宣伝を目的として書いた文章にしか見えません(苦笑)。Samgha氏には、より中立的、百科事典的な記述を心がけて頂く様にお願いしたい所です。こと、自身に深く関わりのある記事においては、なかなか中立性を保って書く事も難しいのですが、今後第三者による記述の修正が入ったとしても、それが客観的に見て(これがまた難しい!)適切なものであれば、甘んじて受け入れて頂きたく思います。
  • 「内容」に関しては、このような「雑多な項目の羅列」はJAWPでは好ましくないとされています。要点を纏めて「文章」で表現して頂く様にお願いします。利用案内やコメント依頼、井戸端などで、編集熟達者にアドヴァイスを請うてみるのもよろしいかと思います。
さて、この常勝の法の特筆性ですが・・・・・誰が、どうやって判断するのでしょう。多数決以外の手が思い浮かばないのですが。幸福の科学関係者及び信者や宗教問題研究家(或いはそれに類する人)にとってみれば、全く不要なものですが、これはどんな記事にでも言えるでしょう。そういう話は幸福の科学の中でやれ?それも一理ありそうですが、程度を弁えればですが、JAWPは幸福の科学関係者の方々や宗教問題研究家の方々にとっても開放的で、そして調べ物に便利であってほしいと思います。人数的にも無視出来ない規模でしょう。また、記事の一部は宣伝的でしたが、立項そのものをもってして宣伝目的であると断じる論を、今のところ私は持ち合わせておりません。よって私と致しましては、一連の書籍の特筆性に関しましては、目くじらをたてる程ではない、と、こう愚考する次第であります。念のため、あくまで現時点での私のコメント、と言う事を申し添えておきます。--Hman 2010年4月17日 (土) 07:44 (UTC)[返信]
  • コメントそれでは複数アカウントの方に話を移させて頂きますが、これまで述べられてきた各種証拠は、私には限りなく黒に見えました。行為が問題であればCU依頼と言うことになるのでしょうが・・・・・・。「ブロック依頼等で多重アカウントによる不正行為の疑い」が有るなら要請はできると規定されていますしね。
さて、実際に行為が不正であったかどうかですがWikipedia:多重アカウントで規定されております「偽装となりすまし」において、「多重投票以外にも、ソックパペットで他のウィキペディアンを欺いたり、支持がたくさんあるように見せかけたり(自作自演行為)してはなりません。」と明記されていますし、また、これは遵守されるべき方針であると思います。投稿ブロックに足る案件でしょう。しかしながら「以下のいずれかの行為を故意に継続しており、複数利用者からの中止要請に応じない場合を条件とする。」と規定されておりますので、Kengaku氏、Samgha氏が不適切な行いをしたことをお認めに成られ、今後は慎まれることを表明されれば、コトを荒立てることもありません。被依頼者がこのコメントを読まれましたら、是非ともコメントして頂きたく思います。ナシのつぶてと言うことであれば、必要な手段を執ることに、私は賛成です。--Hman 2010年4月17日 (土) 08:49 (UTC)[返信]