Wikipedia:コメント依頼/IP114.145.226.81

114.145.226.81[※]氏(以下、『被依頼者』と呼びます。)のノート:セバスチャン・ベッテル#エピソードの記載内容についてでの被依頼者の発言が、Wikipedia:個人攻撃はしないに該当するか、コメントを依頼します。--とんこつしょうゆ 2011年8月7日 (日) 12:35 (UTC)[返信]

※被依頼者のIPは↓このように切り替わりました。

これまでの経緯[編集]

被依頼者がセバスチャン・ベッテルこのような編集をしました。その後118.243.90.233さんが被依頼者の書き込み内容を削除。被依頼者が再び書き込み。それから当時IPだった203.136.197.229=122.130.216.163の私が1回目の削除。その時に要約欄に理由を書き損ないましたが、2回目以降は要約欄に「内容の具体性なく曖昧、出典執筆者が不明、特筆性なし」、3回目は「Wikipedia:存命人物の伝記#悪意のある記述」と削除理由を書きました。編集合戦により全保護になった原因は、被依頼者、118.243.90.233さん、私の三者に責任があると思ってます。すみません。ベッテルの履歴

被依頼者の書き込みには2つの出典がついてましたが、私は「出典の内容が曖昧と抽象的で、読者は出典をいろいろな解釈ができること」や、「被依頼者が書き込んだ内容が出典に見当たらないこと」から

に該当すると思い、削除しました。

それに対して被依頼者は要約欄で「具体性十分、メディアの信憑性十分、特筆性十分。悪意は関係ありません。」と主張。後に当該ノートで「出典ごとリバート同然の行為をした、とんこつしょうゆのほうが先に挑発した。削除するなら先にノートで問題提起すべき」と発言しました。

ここから本題です。ノートで議論を始めたときから被依頼者は自らの主張の合間に、何度も議論のテーマに関係ない発言を私へ向けてきました。そのたびに私は「その発言は議論のテーマに関係なく、個人攻撃に該当するのでやめてください」と伝え、3回目以降の指摘には、どの発言が個人攻撃に該当するかも示しました。

指摘した履歴⇒1回目(下から2行), 2回目(下から4行), 3回目(上4行), 4回目(上から3行目),

その後も続いたため、とコメント依頼をする(10-16行目)と伝えましたが、 被依頼者は「私の発言のどれがWikipedia:個人攻撃はしないのどの項目にあてはまるのか分かりません。根拠のない非難もしていませんし(下から7行主張、~。」と発言されました。

↓以下、個人攻撃に該当すると思われる被依頼者の発言です。
  • 「見当違いも甚だしいです(上から6行目)。個人的な感情での編集はおやめ下さい(最後の行[1]。」
  • 「あなたは検証の可能性をまるで理解できていないようですね(上から4行目)。的外れもいいところです(上から13行目)。あなたがいくら不満に思っても(上から14行目')、[2]。」
  • 「貴方はどうやら、五字分の気に入らない内容にはバイアスがかかってしまうようですね(下から5行目[3]。」
  • 「貴方が過剰にベッテルを保護しようと感情的になっていることの現われであり、それに対してバイアスがかかっていると忠告することは大切なことであり、挑発などと受け取る貴方がはじめから感情的過ぎるのではないでしょうか?下から7行目
  • 「あまり無責任な発言はお控え下さい下の3行。」
  • 「もはや正常な感覚で仰られているとは思えません(下から21行目)。」

↑これら以外にも「独善的」などありましたが、主だったものを抜粋しました。

以上の発言が個人攻撃に該当しないのか、コメントを依頼します。

よろしくおねがいします。

追記

被依頼者のコメント[編集]

IPが変わっていますが『被依頼者』です。

まず始めに、とんこつしょうゆ氏が、私の記述した2つの出典を明記した文章を、何の削除意図も示さず、何の議論も無く2つの出典ごと全て削除したことが事の始まりです。私はこの削除意図を要約欄にて問うと同時にとんこつしょうゆ氏の削除をリバートしたましたところ、何の回答も無く再びリバートされてしまいました。その後、再び要約欄にて『出典明記の内容を削除する意図が不明』と書き込みましたところ、ようやく『内容に具体性なく曖昧、出典執筆者が不明、特筆性なし』との回答を要約欄にて頂きました。

しかし、私の提示して出典には今回具体性は十分にあり、また出典元はルパード・マードック氏のニューズ・コーポレーションの傘下であるBスカイBが運営しているSky Sportsによるサイトであり、世界的に最も信憑性の高いメディアのひとつです。信頼の置ける情報源に『出典執筆者が不明』という理由でリバート同然の行為を行うことが正当化できるとも思えません。特筆性について問うのであれば、先にノートで議論を提起すべきかと思いますが、それもなかったので、結局は私からノートで議論を提起した次第です。

今回、当初とんこつしょうゆ氏は内容に出典元にも具体性なく曖昧だと言っていましたが、何度かのやり取りの後に、出典元にいくつかの具体例が記述されていることを提示したところ、『ようやく具体例が出た』と仰っていました。これは最初から出典をしっかりお読みになっている方からは出ることの無い発言です。出典に具体例の記述があることをご存知ないような発言でしたので。もちろん具体例は、はじめから出典に記述されていました。なので私は、とんこつしょうゆ氏が出典をお読みになっていないことを指摘し、出典を読みもせずにリバート同然の行為をしたことを非難しました。

それから以降は、当初の『内容に具体性なく曖昧、出典執筆者が不明、特筆性なし』という削除意図から逸脱して様々なガイドラインを持ち出して私の記述が削除が妥当だとする旨を何度か繰り返していましたが、そのガイドラインの解釈の多くがご自分に都合の良い解釈であることを指摘しました。

具体的には、まずはじめにWikipedia:個人攻撃はしないからでしたが、私の記事本文への書き込みがWikipedia:個人攻撃はしないに抵触すると仰ってきましたので、これは執筆者同士のいざこざを避けるためのガイドラインであり、記事名となっている人物に対するガイドラインではないこと、また私個人が記事名となっている人物(ベッテル)に対して評価を下しているのではなく、そのような評価が検証可能な事実として存在することを述べました。明らかにガイドラインをご自分の都合の良いように解釈して適用してきたと感じましたので、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#ルールの悪用だと指摘しました。

次に、『執筆者名のない出典が不適切』であるかの様な発言を当初の要約欄から繰り返し仰っていましたので、これがどのガイドラインに抵触するのか再三確認しました。結局一切の回答は頂けませんでしたので、これもWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#ルールの悪用だと指摘しました。

次に、『Wikipedia:存命人物の伝記#評論家の意見』を持ち出して、『評論家の意見は有用と載ってますが、今回の出典元は誰が執筆者であるかも不明で、誰が書いたか分からない評価を元にして、本記事に書き込む必要性はない』との発言がありましたので、そのガイドラインは『評論家の意見を引用する際の注意点を記したものであり、『評論家の意見を用いるべきであり、それ以外のソースがあてにならない』などどこにも記されていません。』と指摘しました。明らかにガイドラインを都合の良いように解釈しており、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#ルールの悪用だと感じましたのでそのように指摘しました。また同時に、再び『執筆者名のない出典が不適切』とするガイドラインの提示をお願いしましたが、これにも回答はありませんでした。

次に、私の記述が『出典元に一言も書かれてませんよ。 Wikipedia:引用のガイドライン#引用の要件には「(同一性)原則として被引用文を改変しないこと」と定められてます。』との発言がありましたので、『「被引用文を改変しないこと」は、文章を引用した際に適用されるガイドラインです。はっきりと、「引用するときは」と書かれています。引用する場合に適用されるガイドラインです。今回私は原文からなんら引用などしておりません。』と回答しましたが、これもまるで原文から引用しなくてはならないかのような発言ですので、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#ルールの悪用だと感じました。「出典から文章を必ず引用しなくてはならないとはwikipediaのどのガイドラインにあるのか教えて下さい。」と問いましたが、一切回答は頂けませんでした。

その後、私が2つの出典を出していることに対して、『もしAが信頼できる媒体で発表されており、Bも信頼できる媒体で発表されているなら、AとBを組み合わせてCという観点を推進するような記事を書いてもよいと誤解するウィキペディア編集者が、しばしば見受けられます。しかしこれは、ジミー・ウェールズの言葉を借りれば「新たな叙述あるいは歴史解釈」を生む「ある観点を推進するような、発表済みの情報の新たな合成」の典型であり、独自研究に相当します。』との発言がありましたので、『AB2つの媒体から、その2つの観点とは異なるCという観点を作り出した場合に情報の新たな合成だと言っているものであり、AもBもベッテルに対する評価は同じであり、それを検証可能にしているだけです。私の書いた記事はCという観点を作りだしたのではなく、AとBという共通する観点を検証可能にしているだけのことです。的外れな引用はおやめ下さい。『ベッテルのレーシング技術が常に疑問が持たれてる』という観点以外になんら新たな観点の合成などしていません。』と回答しました。これも明らかに都合のよろしいように解釈されていると感じます。明らかに私の記述内容とは無関係であり、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#ルールの悪用だと指摘しましたが、これについてもその後とくにコメントは頂いておりません。

その後は、私がガイドラインに抵触しているという指摘は減り、出典記事の本文の単語の使い方や表現方法などを指摘してこの出典元が信頼のおける情報元として不適格であるような指摘に切り替わってきました。1つの例としてとんこつしょうゆ氏の書き込みを下に記します。

ベッテルを否定する文を出典A, 出典Bから抜粋しました。太字は抽象的で曖昧な部分です。
  • 「ベッテルは、マシンの性能を上回ることが求められるレーサーとしてまだ結果を出していない。」
↑マシンの仕様以上に性能を出すのは物理的に無理です。何を言いたいのか、私にはわかりません。
  • 「彼は、本物のレーシングが要求されるときに、このレーシング技術があまり得意ではない。
↑本物の定義は? 本物があるなら、偽物もあるんでしょうか? 本物と偽物の違いは? 「あまり」とはどの程度? 「あまり」の感覚は個人差あります。
  • 「それでも、レース技術が足りないため、~」
↑レース技術の何が足りないでしょう? 一口にレース技術と言われても、いろいろ技術があります。
  • 「彼は凡ミス~」
↑どのようなミスをしたのか、説明が具体的じゃないです。wikipediaの読者は多種多様です。2011ドイツグランプリを観てない読者にも配慮すべきです。
  • 「彼のレース技術が依然としてほとんど実証されていないという不安を思い出させる。」
↑執筆者の不安がどの程度か曖昧。
と、それぞれ具体的な指摘とはいえず、読み手によりいろいろな解釈が出てきて曖昧で抽象的内容です。

これについて私は『貴方は出典元の細かな記載についてあれこれ言っていますが、それはwikipediaのやることではありません。その出典元がある1つの観点を提示しており、その観点が存在することをwikipediaに記載した場合、その出典元を提示すればその観点が存在することは検証可能になります。その内容の単語1つを取り上げて、言うならば言葉尻を捕らえて、こいう表現だからこの出典は意味がない、などとするやり方は、明らかにWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#ルールの悪用です。問題は、その出典元そのものの信頼性であって、文章の賛否ではありません。』と答えました。これらは完全にwikipediaの議論方法としては本来の主旨から逸脱しすぎていると感じました。問題なのは情報元の信頼性であって、執筆者の記した単語の具体性や意図などではありません。

これまでの大まかな経緯を記述しましたが、これらのWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#ルールの悪用の指摘に対して殆ど何の回答も頂けずに次から次へと新たなガイドラインを持ち出してはまたWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#ルールの悪用を繰り返すこと、また当初は明らかに出典を読んでいないかのような発言が見られたことから、当然私はそれらを指摘するだけでなく非難する発言をしました。--以上の署名のないコメントは、122.16.109.71会話/Whois)さんが 2011年8月8日 (月) 00:17 (UTC) に投稿したものです。[返信]

コメント[編集]

「個人攻撃」で揉める場合は、大体、最初は些細な、本当に些細な語句・言い回しが「個人攻撃だ」と指摘され、思いもよらないところからの非難に、反発して、ことの本題を見失っていくことにある、と考える。個人攻撃が許されないのは、相手の人格を非難することによって、議論の筋を逸らさせ、場合によって相手の発言権を奪うことにある。相手を「個人攻撃だ」と非難することもまた、相手の人格を非難し、議論の筋を逸らし、場合によって相手の発言権を奪う行為に繋がる。
特に最初の方のやり取りは、これを「個人攻撃だ」と指摘するのは行き過ぎていたと感じる。少なくとも依頼者は、後半でそうされるように、記事の内容を非難するなら最低でもソースの検証をしたりするべきだった。曖昧だと非難されているが、よほど、とんこつしょうゆ氏の除去理由の方が具体性に欠ける。それを受けて被依頼者が「ルールの悪用」と反発したのは、そう変なことには思えない。それを個人攻撃だと非難すれば、当然、反発して、また、それを個人攻撃と非難して…
後半は売り言葉に買い言葉で被依頼者の言動が個人攻撃に抵触しないとは思わない。だけど、それは決して被依頼者の人格だけの問題ではなく、とんこつしょうゆ氏の初期対応に大きな問題があったと指摘する。そして、現状では英國紳士氏という第三者の介入もあって、それなりに議論の秩序を取り戻してきている。今、わざわざ個人攻撃を問う必要性を感じない。--EULE 2011年8月7日 (日) 17:46 (UTC)[返信]

まとめ[編集]