Wikipedia‐ノート:中立的な観点/英語版の翻訳

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en:Wikipedia:Neutral point of view の翻訳作業

査読を求めています[編集]

バランス[編集]

en:Wikipedia:Neutral point of view#Balance

仮訳です。--Tondenh会話2012年4月6日 (金) 05:35 (UTC)[返信]

===バランス===

この中立性では、それぞれの観点についてその重要性と比例しての重み付けを求めています。もしも評判のよい情報源らが互いに矛盾しており、かつ同程度に重要であるのなら、その両方の調査法と成果をバランスよく記述してください。これによって対立点を明確化し、続いて二次・三次情報源によりその対立する論を評することにつながります。

提案 5月頭に反映したいのですが、いかがでしょうか。--Tondenh会話2012年4月26日 (木) 13:02 (UTC)[返信]

equal validity[編集]

en:Wikipedia:Neutral point of view#Giving "equal validity"

仮訳です。--Tondenh 2012年2月12日 (日) 15:32 (UTC)[返信]

==== 等倍の妥当性 ====

全ての主要な観点(all significant viewpoints)らを言及することはどの記事でも大切ですが、しかしWikipediaのその方針は少数派の観点(minority view)や突飛な反論(extraordinary claim)なども、みな主流学術界にて共通に受け入れられた説(commonly accepted mainstream scholarship)のような調子で記述せよとしているとは、言及・解釈されてはなりません。

世界には様々な言説があり、主流のものと少数のものがあります。後者の例には、地球平面説・テンプル騎士団の聖杯発見説・アポロの月面着陸捏造説などがあたります。 Wikipediaでは、現時点で受け入れられていない陰謀説・疑似科学・空想歴史・もっともらしい空説などを、学術界で一般的な学説であるかのように権威を持たせて記載してなりません。 Wikipediaはそれらの論には、百科事典執筆者として賛成的にも反対的にも関与しません。 Wikipediaは単に、不適切に正当化されている事項を含めず、学術界の権威や世界的な考えを尊重して記載しているだけにすぎません。

記事の構造[編集]

en:Wikipedia:Neutral point of view#Article structure

仮訳--Tondenh 2012年2月12日 (日) 08:02 (UTC)[返信]

===記事の構造===

記事の中心となる構造は、中立性を崩さないよう注意が必要であり、観点ごとの派生記事不適切な加勢などの問題を避けなければなりません。 特別な記事構造を持つものであろうとそれは例外なき方針であり、全体的な論調は幅広い意味で中立なものでなければなりません。

主題に対しての観点のみに基づいて、単純に記事・コンテンツを分離し、記事中でそれぞれを文中位置や節によって分離して記載するやり方は、百科事典的ではない構造です。たとえば賛成論と反対論を対比させて記載するような執筆方法が挙げられます。 [structure 1]

主題について、「事実・異論なき点」と「議論が分かれる点」という点で節分けしようとする試みは、その分割された要素について"論争的である"と見なされるため、失敗に終わりやすいです。 別々に節分けすることで、双方の観点を無視したり、節分けに対して互い争う合うのではなく、議論を尽くすことで中立な物語的文章を作り上げることを目指してください。

見出し・脚注・その他の要素などについても、不適切に特定の観点に偏らないように注意を払ってください。 構造・スタイルについても、読者が全ての要点と関連する観点について公平・平等に信頼性を持てるように気をつけてください。 [structure 2]


  1. ^ 記事中にて、批判を集約したセクションや賛否("pro and con")セクションは最も一般的な例になります。 これに該当するかどうか、ならばどのような構造が適切なのかは様々な議論があります。(en:Wikipedia:Avoid thread mode, en:Wikipedia:Criticism, en:Wikipedia:Pro and con listsも参照)
  2. ^ ありがちな例としては、あまりに論争ばかりを読ませる記事や、構造がレジュメのような状態になっている記事があります。(Wikipedia:レイアウトの指針en:Wikipedia:CriticismWikipedia:編集合戦も参照)

提案 5月頭に反映したいのですが、いかがでしょうか。--Tondenh会話2012年4月26日 (木) 13:02 (UTC)[返信]

スタブ[編集]

適切な重み付け[編集]

en:Wikipedia:Neutral point of view#Due and undue weight

仮訳。一部Wikipedia:独自研究は載せないの既訳を取り入れ。 --Tondenh 2012年2月11日 (土) 15:30 (UTC)[返信]

===<span id="Undue weight"><span id="DUE" /><span id="UNDUE" /><span id="WEIGHT" />適切な重み付け===

Wikipediaの目指す中立性では、それぞれの記事の重要点が全て、信頼できる文献に基づき、各観点の勢力割合に比例して提供されることを求めています。 「適切な重み付けを行い、不適切な重み付けをしない」とは、少数派の観点について、多数派の観点と同じだけの詳細な記述であってはならないいうことです。一般的に、少数派の意見はその全体を含めるべきではありません。 例えば地球の記事では、現代の地球平面説論者を直接的に取り上げるべきではありません。その観点は少数派であり、地球平面説の支持者へ不適切な加勢を行うことになるからです。

とりわけ少数派観点については、少数派は多く注目を集める傾向があるため、文章量が多く割かれがちです。 しかしそうだとしても、記事は多数派観点の文献に基づいて適切に執筆されるべきであり、少数派の観点ばかりを掲載すべきではありません。 特に、文章中のどの部分の記載が少数派観点であるかは常に明確にすべきです。 さらに、多数派の観点は読者が少数派の観点と違いが理解できるように十分に詳細を執筆し、また少数派と論争があるとされるポイントは明確に抽出され、描写されるべきです。

テーマについてどの程度詳しく執筆すべきか。例えば地球平面説など現在は支持者が極少数もしくは存在しないような歴史的な観点の場合、現代での位置づけを軽く記載する程度にとどめ、続けて歴史上提示された多くの説の一つとして記載し、現在は疑われている歴史的論であると中立的に記載します。 その他の少数派の観点について例示するには、読者のミスリードを避けるためにより多くの多数派観点に基づく説明が必要になります。en:Wikipedia:Fringe theoriesWikipedia:中立的な観点/FAQの助言も参考にしてください

Wikipediaは、少数派の観点が多数派の観点並みに注目に値するかのように、論争を記述してはなりません。 ごく限られた少数派の観点は、その観点の専門記事を除いて記述すべきではありません(例えば地球平面説など)。 有意義な少数派の観点に不適切な加勢を行ったり、あるいはごく限られた少数派である観点を記載すると、その点で論争が活発であるかのように誤読を起こしてしまいます。 Wikipediaは、対立する観点を信頼できる文献に基づき、その勢力に比例した陳述割合でテーマを記述することを目指します。 この方針は記事本文だけではなく、画像・ウィキリンク・外部リンク・カテゴリ・その他の素材についても同様です。

記事はいかなる側面においても不適切な加勢を行ってはなりません。 記事のそれぞれの側面を、テーマごとの趣旨に基づき適切な重み付けを行うように努めてください。 例えば、記事のテーマに絡む事件・毀誉褒貶・ニュース報道などの個別の議論は検証可能かつ中立でしょうが、記事のテーマ全体の重要性からすれば不釣り合いです。 これはとりわけ報道などで現在進行中の話題を扱う際に問題となります。 不適切な加勢はいろいろな形が取られることに留意してください。記述の詳細度・テキストの質・目立つ場所への配置・文中での列挙順などが挙げられますがこれに限られません。

ジミー・ウェールズのメーリングリスト投稿(this post from September 2003 on the WikiEN-l mailing list)の要約:
  • もしあなたの考え方が多数派に属するのであれば、広く認められている参考文献を示してその観点を実証することは容易なはずだ。
  • もしあなたの考え方が言及するのに意味があるような少数派に支持されているのであれば、同じ意見を持っている著名な支持者の名前を挙げるのは容易に違いない。
  • もしある観点が極めて小さな(あるいは極めて限定された)少数派に支持されているのであれば、それが正しいかどうかに拘らず、あるいはあなたがそれを証明できるかどうかに拘らず、その内容はウィキペディアで言及するに値しない。

適切な重み付けを行う際に心にとめておいて欲しいのは、信頼できる文献に基づいて観点の勢力を判断することであり、Wikipedia編集者や一般大衆が勢力を判断するのではないということです。

加えて、もしあなたが支持者が極少数または存在しない言説について論証できるのだとしても、Wikipediaはその証明を開示する場ではないのです。それが既に信頼できる文献に掲載され議論済みであれば、それを適切に記載することが可能でしょう。独自研究はしない検証可能性も参照してください。

提案 4月末に反映したいのですが、いかがでしょうか。--Tondenh会話2012年4月16日 (月) 19:27 (UTC)[返信]

独自研究の文は外しておくべきかと思います。
感じとして自然につながるのはわかりますが、それは三位一体のつながりに乗って感じるからであり、一体のものを三位に分けて別々においておくことが基本方針だからです。
また、重みをつけるという節に、自分の論証を乗せない、というのは分類違いでしょう。--以上の署名のないコメントは、Uduki1会話投稿記録)さんが 2012-04-28 01:38:38 (UTC) に投稿したものです。インデント調整、署名補填。--ikedat76会話2012年4月28日 (土) 01:48 (UTC)[返信]
「英語版方針の翻訳」と言いながら、英語版にないものを翻訳者の判断で混入させ・なおかつ・その箇所が明示されていない。適切なことなのか疑問を感じます。--ikedat76会話2012年4月28日 (土) 01:48 (UTC)[返信]

revised 1[編集]

確かに英語版のどの版か明示しないとやりにくいですね。。仕切り直します。--Tondenh会話2012年4月28日 (土) 03:10 (UTC)[返信]

http://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Wikipedia:Neutral_point_of_view&oldid=473465868

Neutrality requires that each article or other page in the mainspace fairly represents all significant viewpoints that have been published by reliable sources, in proportion to the prominence of each viewpoint.

Giving due weight and avoiding giving undue weight means that articles should not give minority views as much of or as detailed a description as more widely held views.

Wikipediaの目指す中立性では、それぞれの記事の重要点が全て、信頼できる文献に基づき、各観点の勢力割合に比例して提供されることを求めています。

「適切な重み付けを行い、不適切な重み付けをしない」とは、少数派の観点について、多数派の観点と同じだけの詳細な記述であってはならないいうことです。

Generally, the views of tiny minorities should not be included at all. For example, the article on the Earth does not directly mention modern support for the Flat Earth concept, the view of a distinct minority; to do so would give "undue weight" to the Flat Earth belief. 一般的に、少数派の意見はその全体を含めるべきではありません。

例えば地球の記事では、現代の地球平面説論者を直接的に取り上げるべきではありません。その観点は少数派であり、地球平面説の支持者へ不適切な加勢を行うことになるからです。

In articles specifically about a minority viewpoint, such views may receive more attention and space. However, these pages should still make appropriate reference to the majority viewpoint wherever relevant and must not represent content strictly from the perspective of the minority view.

Specifically, it should always be clear which parts of the text describe the minority view. In addition, the majority view should be explained in sufficient detail that the reader can understand how the minority view differs from it, and controversies regarding aspects of the minority view should be clearly identified and explained.

とりわけ少数派観点については、少数派は多く注目を集める傾向があるため、文章量が多く割かれがちです。しかしそうだとしても、記事は多数派観点の文献に基づいて適切に執筆されるべきであり、少数派の観点ばかりを掲載すべきではありません。

特に、文章中のどの部分の記載が少数派観点であるかは常に明確にすべきです。さらに、多数派の観点は読者が少数派の観点と違いが理解できるように十分に詳細を執筆し、また少数派と論争があるとされるポイントは明確に抽出され、描写されるべきです。

How much detail is required depends on the subject. For instance, articles on historical views such as Flat Earth, with few or no modern proponents, may briefly state the modern position, and then go on to discuss the history of the idea in great detail, neutrally presenting the history of a now-discredited belief. Other minority views may require much more extensive description of the majority view to avoid misleading the reader. Wikipedia:Fringe theories and the NPOV FAQs provide additional guidance. テーマについてどの程度詳しく執筆すべきか。例えば地球平面説など現在は支持者が極少数もしくは存在しないような歴史的な観点の場合、現代での位置づけを軽く記載する程度にとどめ、続けて歴史上提示された多くの説の一つとして記載し、現在は疑われている歴史的論であると中立的に記載します。その他の少数派の観点について例示するには、読者のミスリードを避けるためにより多くの多数派観点に基づく説明が必要になります。en:Wikipedia:Fringe theoriesWikipedia:中立的な観点/FAQの助言も参考にしてください
Wikipedia should not present a dispute as if a view held by a small minority deserved as much attention overall as the majority view. Views that are held by a tiny minority should not be represented except in articles devoted to those views (such as Flat Earth). To give undue weight to the view of a significant minority, or to include that of a tiny minority, might be misleading as to the shape of the dispute.

Wikipedia aims to present competing views in proportion to their representation in reliable sources on the subject. This applies not only to article text, but to images, wikilinks, external links, categories, and all other material as well.

Wikipediaは、少数派の観点が多数派の観点並みに注目に値するかのように、論争を記述してはなりません。ごく限られた少数派の観点は、その観点の専門記事を除いて記述すべきではありません(例えば地球平面説など)。有意義な少数派の観点に不適切な加勢を行ったり、あるいはごく限られた少数派である観点を記載すると、その点で論争が活発であるかのように誤読を起こしてしまいます。

Wikipediaは、対立する観点を信頼できる文献に基づき、その勢力に比例した陳述割合でテーマを記述することを目指します。この方針は記事本文だけではなく、画像・ウィキリンク・外部リンク・カテゴリ・その他の素材についても同様です。

An article should not give undue weight to any aspects of the subject but should strive to treat each aspect with a weight appropriate to its significance to the subject. For example, discussion of isolated events, criticisms, or news reports about a subject may be verifiable and neutral, but still be disproportionate to their overall significance to the article topic.

This is a concern especially in relation to recent events that may be in the news. Note that undue weight can be given in several ways, including, but not limited to, depth of detail, quantity of text, prominence of placement, and juxtaposition of statements.

記事はいかなる側面においても不適切な加勢を行ってはなりません。記事のそれぞれの側面を、テーマごとの趣旨に基づき適切な重み付けを行うように努めてください。例えば、記事のテーマに絡む事件・毀誉褒貶・ニュース報道などの個別の議論は検証可能かつ中立でしょうが、記事のテーマ全体の重要性からすれば不釣り合いです。

これはとりわけ報道などで現在進行中の話題を扱う際に問題となります。不適切な加勢はいろいろな形が取られることに留意してください。記述の詳細度・テキストの質・目立つ場所への配置・文中での列挙順などが挙げられますがこれに限られません。

: From Jimbo Wales, paraphrased from this post from September 2003 on the WikiEN-l mailing list:
  • If a viewpoint is in the majority, then it should be easy to substantiate it with reference to commonly accepted reference texts;
  • If a viewpoint is held by a significant minority, then it should be easy to name prominent adherents;
  • If a viewpoint is held by an extremely small (or vastly limited) minority, it does not belong in Wikipedia regardless of whether it is true or not and regardless of whether you can prove it or not, except perhaps in some ancillary article.
ジミー・ウェールズのメーリングリスト投稿(this post from September 2003 on the WikiEN-l mailing list)の要約:
  • もしあなたの考え方が多数派に属するのであれば、広く認められている参考文献を示してその観点を実証することは容易なはずだ。
  • もしあなたの考え方が言及するのに意味があるような少数派に支持されているのであれば、同じ意見を持っている著名な支持者の名前を挙げるのは容易に違いない。
  • もしある観点が極めて小さな(あるいは極めて限定された)少数派に支持されているのであれば、それが正しいかどうかに拘らず、あるいはあなたがそれを証明できるかどうかに拘らず、その内容はウィキペディアで言及するに値しない。
Keep in mind that, in determining proper weight, we consider a viewpoint's prevalence in reliable sources, not its prevalence among Wikipedia editors or the general public. 適切な重み付けを行う際に心にとめておいて欲しいのは、信頼できる文献に基づいて観点の勢力を判断することであり、Wikipedia編集者や一般大衆が勢力を判断するのではないということです。
Also, if you are able to prove something that few or none currently believe, Wikipedia is not the place to present such a proof. Once it has been presented and discussed in reliable sources, it may be appropriately included. See: Wikipedia:No original research and Wikipedia:Verifiability. 加えて、もしあなたが支持者が極少数または存在しない言説について論証できるのだとしても、Wikipediaはその証明を開示する場ではないのです。それが既に信頼できる文献に掲載され議論済みであれば、それを適切に記載することが可能でしょう。独自研究はしない検証可能性も参照してください。


反対

表面的な数字に偏り過ぎです。ここで言うpropotionとは、直線的比例ではなく、乗数や指数に近い感覚もあるのだと思います。数学的な比例のように印象づけるのはよくないと思います。さらに調べるといろいろ歪んでいます。結局、根本的に信用できません。

propotion、 prominence 、major、minorityに疑問。

1

少数派minority、という語のイメージの中心は、メジャー(大多数)に対するマイナー(比重の軽いもの)ですから、「マイナーな派」というのが正しい意味だと思います。たとえば6対4の場合、「少数派の意見はその全体を含めるべきではありません」というのはむしろ偏ってしまう。ましてや4対3対3だったら無意味です。
なので、「少数派の意見はその全体を含めるべきではありません」を、「マイナーな少数派の意見はその全体を含めるべきではありません」と書くべきです。少数派、多数派という語には最低始め一回、マイナーな、メジャーなと付けるべきだと考えます。

2

また、日本人は比例を算数の用語として知りますが、英語でいう in propotion to はもっと日常的に広い感じでは。辞書には、釣り合いが取れているという訳もあり、大ざっぱな意味です。またその:語感の中には、数だけではなく一つ一つの重みも含むと思います。

もし厳密な比例だと解釈したら、どうやって公正に数を知るのでしょう。

学者の書く信頼できる文献といえば学術誌レベルですが、どれだけの編集者が読めるでしょう。
産業的な分野なら研究論文の数で勢力がわかるでしょうが、社会的なまたは価値観的な分野だと、文献の載る雑誌もかなり傾向があるかもしれません。
現在の文は、純粋に数=重みとしているようですが、数の信頼できるような、信頼度の一定したサンプリングがふつうの編集者には難しい。「少数派が注目を集める傾向」という説明を見ると、そんな現象は学術的なメディアではなさそうな感じで、信頼できる文献の難しさを想像させます。無理な注文をされると噂から数をとってきそうです。
これから考えても、単純な数学的比例というのは原文のニュアンスと大きく違っていると思います。
なので直訳の「比例」を、意訳として「だいたい比例的に」または日本の日常語的に「割合に応じて」または辞書の例から「釣り合った程度に」と訳すべきでしょう。

3

さらに、「the prominence of each viewpoint.」の直訳は、「各観点の名声」ですから数で数えられないものであり、「勢力割合に比例」 とは完全な誤訳です。よって、:「in proportion to the prominence of each viewpoint.」は「各観点の名声の割合に応じて」です。
また、「fairly represents all significant viewpoints」は「それぞれの記事の重要点が全て・・提供される」ではなく、「すべての重要な観点が公正に提供される」です。
まとめると、あなたの文案は、「すべての重要点が勢力の数に比例して」なのだけど、忠実に訳してみると「すべての重要な観点が名声に応じて公正に提供される」となります。数字が全てというあなたのはまるで違います。
また同じ文の中で、"viewpoint"を"観点"と訳したり"記事の(重要)点"と訳したりいいかげん。

4

またさらに、2番目ブロックの文、「一般的に、少数派の意見はその全体を含めるべきではありません。」とは、少数派が「tiny minorities」ですから、「ちっぽけなマイナー派群」=「あまりに小さな少数派をいちいち」とすべきです。tinyを無視しています。
始めだけを訳してみてこれです。これほど次々と出てくるとは思わなかった。これでは意図的に見える。

5

次の訳例として太字の部分を取り上げると、「対立する観点を信頼できる文献に基づき、その勢力に比例した陳述割合でテーマを記述する」との訳文です。原文は、

present competing views in proportion to their representation in reliable sources on the subject. なので、私の直訳は 「その主題において信頼できる情報源の陳述割合に応じて、競争している複数の見方を提供する」です。

この違いは、個々の部分的テーマについて、そのテーマごとに文献の陳述割合を直接取ってくるか、総合的な立場全体として勢力比率を決めて部分テーマもそれに比例させるかの違いです。また、互いを競争的にするか、片方を決定的にするかという違いもあります。つまりあなたのは多数派に決定的に加勢しています。

6

これらは、意図的に数を印象操作して多数派を捏造し、それで情報を支配しようとわざと誤訳していると疑って当然のレベルです。たとえば素人にはわからないいい加減な文献の名前を並べ立てて、こちらが多数派だからすべてこちらに合わせろ、という手法に使えそうです。今までそういうことをした人はいなかったのでしょうか。
これが独自研究からとってきた部分ということなのでしょうか。ならそれらはすべて廃棄すべきです。
現在でも、「対立する観点との相対的な勢力差を正確に示す」ということが要点として書かれているのだし、新しい翻訳が必要とは言えません。かえって細かく指図に従おうとしてものを考えなくなっていく危険があります。
明確にずれた解釈翻訳をして、2,3ヶ月おいただけで異議がなかったら反映できるというのが本当なら、ウィキペディアの最中心である中立方針が危険に対して脆弱な体制だと言えます。最低限、自ら確認した積極的賛同者が複数ない限り、こういう根本は変えるべきではないと思う。それとも、4月末に反映というのは、「ノート中立方針」への反映だったのでしょうか。
原文との対応表示は結構なことでした。今後、翻訳はいったんすべて原文と直訳をおいて、その上で文案を示すようにするべきです。とくに三つの編集方針については。

--Uduki1 2012年5月1日 (火) 13:15 (UTC)

確かに表現が数量寄りでしたね…再考します。あと別に取って食いはしないので、運営ページ関連の議論で捨てアカウントは勘弁していただけないでしょうか。。--Tondenh会話2012年5月2日 (水) 00:57 (UTC)[返信]


観点ごとの派生記事[編集]

en:Wikipedia:Neutral point of view#Point of view forks

仮訳--Tondenh会話2012年3月17日 (土) 18:04 (UTC)[返信]

=== 観点別記事の作成 ===

観点別記事の作成(point of view fork)とは、そのテーマについて既に執筆済みの記事が存在するのにもかかわらず、新しい記事ページを立ち上げることでNPOV指針への抵触を回避しようとする行為です。これはある事実や視点について、特定の毀誉への言及を避けたり逆に注目させたりする形を取られることが多いです。観点別記事の作成は、Wikipediaでは許されていません。

記事分割のケースを除いて、テーマについての事実と主要な要素の全てについて、単一の記事に掲載することが要求されます。 いくつかのテーマではそれが広範囲なものとなるため、一つの記事中では全ての事実について言及しきれない場合があります。 例えば「進化論」「進化に関する事実と理論」「創造論」「進化論と創造論との論争」などと分割している場合があります。 こういった形の記事分割が許されるのは、それがNPOVを満たす形で執筆され、かつ他の記事との合意形成を忌避しようとする形ではない場合のみに限られます。

コメント 「観点ごとの派生記事」は「観点別記事の作成」といった訳の方が良いのではないでしょうか。この節で扱われているのは、新しく作られたページについてではなく、新しいページを作る行為について述べている部分であると考えるからです。また、Wikipedia:ページの分割と統合にも分割すべきでない事例として追加することになるでしょう。
話は変わりますが、この節の役割は重要であると思います。日本語版においても、改名提案のこじれなどでこの節に該当するような提案が行われることがあるからです。--有足魚会話2012年3月27日 (火) 22:23 (UTC)[返信]
修正してみました。ここは重要な節なのですが、これはここまでのPOV文章を全て踏まえた上ではないと理解が難しいと思うので、先に他の節の文章を固めてからになりそうです。--Tondenh会話2012年3月28日 (水) 16:05 (UTC)[返信]

前提とする事項を置く[編集]

en:Wikipedia:Neutral point of view#Making necessary assumptions

仮訳--Tondenh 2012年2月13日 (月) 14:40 (UTC)[返信]

=== 前提とする事項を置く ===

記事を書く際に、トピックの全体が前提とする事項を置く必要があるケースがあります。 例えば進化論について書く際には、進化論と創造説の議論を全ての記事において蒸し返すのは不親切です。 実際のところ、その前提事項に対して誰かにより論争が存在すると言われずに済むトピックは無いのですから。 これは生物学での進化論に限らず、哲学・歴史・物理学などでも同様でしょう。

そういった前提事項を置くことは一手間でしょうが、次の法則が参考になるでしょう。

もしその前提について、既に他のページで細部にわたって議論が尽くされたものなら、そのページで再び前提事項について議論するのはあまり良いことではないでしょう。でも、そのことは強い言い方ではなく控えめに指摘するのが適切ではないでしょうか。

反映済み[編集]

中立的な観点とは[編集]

以下のエッセイでは、このポリシーについて踏み込んで説明しますが、このエッセイ自体、多くの議論の賜物ですと、オリジナルがエッセイだった時代の名残が残っているので、いくらか整備できればと思います。--Tondenh 2012年2月4日 (土) 06:37 (UTC)[返信]

==中立的な観点とは <span id="ASF">==

Wikipediaコミュニティは、"中立性"の意味するところを十分に理解し、様々な信頼できる出典を注意深く分析することで、 読者に対して明確かつ正確にそれらの情報を伝えることを目標としています。Wikipediaは 論争を記述するが、その論争には介入しないことが方針です。編集者は、各々が独自の観点を持っているでしょうが、誠意を持って完全な情報を提供することに努めなければなりません。ある特定の観点を視点を広めてはなりません。また中立的観点とはある特定の観点を除外するという意味ではありません。

百科事典として適切な中立性のレベルを達成するために、次の原則を守ってください。

  • 意見を事実として記さない。 一般的に、記事にはそのトピックについて重要な意見を含んでいます。しかしその意見はWikipediaの意見として記述してはなりません。その代わりに、それが特定のテキストの出典として提示したり、誰かにより正当化されていたり、大多数の観点などとして述べられるべきです。例えば「大量虐殺は悪行である」と述べてはいけません、しかし「ジョーンは大量虐殺は人間の悪の縮図であると記している」と述べることはできます。
  • 深刻な論争がある主張を事実として記さない。 もしその主張について異なる信頼できる出典間で衝突があるのなら、その主張については事実ではなく意見として扱い、文中では直接その主張を記述することは避けてください。
  • 単なる意見であれば、異論なき主張として示さない。信頼できる出典によって反論や論争なきものとされた事実の主張は、一般的にWikipediaの意見として記述されるべきです。そのトピックが異議無き情報であることに特に反論が無いなら、その主張が誰のものかを記述する必要はありません(しかし出典脚注は検証可能性を満たす助けとなります)。また、その節について論争が存在するような表現をもって記述すべきではありません。
  • 非断定的表現が好まれます。明瞭性とのバランスも考慮する必要がありますが、中立的観点は、トピックや信頼できるソースの主張に対して対して同情も攻撃もしません。ある意見について組み入ることなく、公平無私な言い回しをしてください。
  • 対立する観点との相対的な勢力差を正確に示す。そのトピックについて異なる観点を記載する際には、その相対的な勢力差が適切なレベルで反映されるよう記述してください。同等であるとの誤った印象を与えたり、特定の視点を不適切に重点的に記述することを避けてください。例えば「サイモン・ヴィーゼンタールによるとホロコーストはドイツによるユダヤ人の絶滅計画であったが、デイヴィッド・アーヴィングはその分析に異議を唱えている」といった記述は、ある領域についての大多数の観点と極少数の観点を同等に伝えてしまっています。

翻訳してみました。査読願います。--Tondenh 2012年2月4日 (土) 08:08 (UTC)[返信]

(表記では太字の後に解説を続けるよりも、太字で改行して解説をした方が個人的には好みですが、それは置いておきます)重み付けが明記されていないものに対してしばしば上から下に順位を付けて、上にあるものが優先という主張がされますので、これらの原則に順位付けが無いことは明記する必要があるでしょう。『対立する観点との相対的な勢力差を正確に示す。』は、ここだけ現実の問題を取り上げており、仮想ケースである『意見を事実として記さない。』や例自体が無い他の3種と比較しても違和感があります。私が書くなら例を挙げませんが(そもそも、両者の宣伝になってる気もするし、いらん論争引き起こしそうですし……)。このくだり、20:15, 5 November 2008に、a better exampleとして議論も無く追加されたものであり、反映させる必要は無いでしょう。--open-box 2012年2月6日 (月) 00:04 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。ホロコーストの例はWP:NPOVFAQで出ていましたが、架空の例にするなら「人類の起源については、ダーウィンによる猿からの進化説、リチャード・ロウによる火星からの移住説がある」はどうでしょうか。他にはFAQだと「地球は平らである」論も例に挙がっているようです。また、重み付けで論争になっているとはちょっと知りませんでした…どのノートのなります?--Tondenh 2012年2月6日 (月) 03:25 (UTC)[返信]
中立的な観点ではなく記事名の付け方の方で時折見られる事態ですが(不慣れな人は、「認知度が高い・見つけやすい・曖昧でない・簡潔・首尾一貫している」を、並列では無く順位で考えてしまうことがあるのです)、同様の事態がこちらで発生することを懸念しています。「地球は平らである」の方が妥当でしょうね。人類起源と異なり、普通は様々な方法で「平らじゃない」と認識できることなので、(ネタを除いて)「地球は平らである」と主張されても容易に退けることが出来ますから。--open-box 2012年2月6日 (月) 04:35 (UTC)[返信]
では「列挙は順不同」と「地球の形状は、フェルディナンド・マゼランの調査では球体だとされ、ジョン・ハンプテンはわん曲した平面体だとしている」の例記載でやってみます。--Tondenh 2012年2月6日 (月) 05:05 (UTC)[返信]

==中立的な観点とは <span id="ASF">==

Wikipediaコミュニティは、"中立性"の意味するところを十分に理解し、様々な信頼できる出典を注意深く分析することで、 読者に対して明確かつ正確にそれらの情報を伝えることを目標としています。Wikipediaは 論争を記述するが、その論争には介入しないことが方針です。編集者は、各々が独自の観点を持っているでしょうが、誠意を持って完全な情報を提供することに努めなければなりません。ある特定の観点を視点を広めてはなりません。また中立的観点とはある特定の観点を除外するという意味ではありません。

百科事典として適切な中立性のレベルを達成するために、次の原則(順不同)を守ってください。

  • 意見を事実として記さない。 一般的に、記事にはそのトピックについて重要な意見を含んでいます。しかしその意見はWikipediaの意見として記述してはなりません。その代わりに、それが特定のテキストの出典として提示したり、誰かにより正当化されていたり、大多数の観点などとして述べられるべきです。例えば「大量虐殺は悪行である」と述べてはいけません、しかし「ジョーンは大量虐殺は人間の悪の縮図であると記している」と述べることはできます。
  • 深刻な論争がある主張を事実として記さない。 もしその主張について異なる信頼できる出典間で衝突があるのなら、その主張については事実ではなく意見として扱い、文中では直接その主張を記述することは避けてください。
  • 単なる意見を異論なき主張として記さない。信頼できる出典によって反論や論争なきものとされた事実の主張であれば、一般的にWikipediaの意見として記述されるべきです。その言説が異議なき説であることに特に反論が無いのであれば、その主張が誰のものかを記述する必要はありません(しかし出典脚注は検証可能性を満たす助けとなります)。また、その説について論争が存在するかのような表現で記述すべきではありません。
  • 非断定的表現が好まれます。明瞭性とのバランスも考慮する必要がありますが、中立的観点は、トピックや信頼できるソースの主張に対して対して同情も攻撃もしません。ある意見について組み入ることなく、公平無私な言い回しをしてください。
  • 対立する観点との相対的な勢力差を正確に示す。そのトピックについて異なる観点を記載する際には、その相対的な勢力差が適切なレベルで反映されるよう記述してください。同等であるとの誤った印象を与えたり、特定の視点を不適切に重点的に記述することを避けてください。例えば「地球の形状について、フェルディナンド・マゼランの調査では球体だとされ、ジョン・ハンプテンはわん曲した平面体だとしている」といった記述は、ある領域についての大多数の観点と極少数の観点を同等に伝えてしまっています。

以上の点を反映し、また誤字修正と表現を工夫してみました。--Tondenh 2012年2月6日 (月) 14:06 (UTC)[返信]

(自称en-0の私が言うのもなんなんですが)三つ目、「単なる意見を異論なき主張として記さない。」ではなく、「議論の余地のない主張を単なる意見として記さない。」ではないでしょうか?原文はそういう書き方だと思いますし、そうでないと続く文と内容がつながらなくなるように思います。--水原紡 2012年2月7日 (火) 07:17 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。確かに「Avoid presenting uncontested assertions as mere opinion.」だと「論争のない主張」ですね…おかしな意訳でした。。「論争の余地のない主張を単なる意見として記さない」でいかがでしょう。--Tondenh 2012年2月7日 (火) 08:58 (UTC)[返信]
ええと。uncontested assertionsの訳語選択についてのコメントでなく、避けるべきなのが「単なる意見」→「uncontested assertions」なのか逆なのか、というコメントでした、と補った上で。「論争の余地のない主張を単なる意見として記さない」であれば気になった点については解消されていると思います。--水原紡 2012年2月7日 (火) 13:10 (UTC)[返信]
いくつかコメントします。
  • 英語版では先頭の文章の'Achieving (中略) "neutrality" means'の部分は次の節が'Achieving neutrality'(「中立性」を成し遂げる)であることから、「Wikipediaコミュニティが理解するところの「中立性」を成し遂げる、とは……」ということでしょう。「Wikipediaコミュニティは、"中立性"の意味するところを十分に理解し……」という訳は少し違うのではないでしょうか。日本語版ではAchieving neutralityの節は無いので、現在の方針の文を生かして「ウィキペディアの中立性についての方針は、様々な信頼できる出典を注意深く分析することで、読者に対して明確かつ正確にそれらの情報を伝える、というものです。」とするのはどうでしょう。
  • 「それが特定のテキストの出典として提示したり、誰かにより正当化されていたり、大多数の観点などとして述べられるべきです。」は"where justified"の部分が正しくないように思います。私訳「誰の意見であるかを文章で明記するか、あるいはそれが許される場合なら、大多数の観点などとして述べられるべきです。」 英語版ではen:WP:WEASELで「(大多数の意見などの表現は)記事の導入部や段落の主題を述べる文ではつかってもよいが、ただし、その場合には記事の本文や段落の残りの部分で明示すること」となっています。
  • non-judgementalの訳語が「非断定的」となっていますが、これでは言葉を濁すことを推奨しているように読めます。「非判断的」という言葉があるようですが、これが妥当な訳語か、一般的かどうかについてははよくわかりません。
--Kusunose 2012年2月8日 (水) 08:05 (UTC)[返信]
  • non-judgementalですが、単純に訳すと、『個人的判断を避ける』(リーダーズ英和辞典)となるようです。ただ、執筆者のみならずWikipedia全体として考えるなら、『判断を下さない』程度に意訳してしまうのはどうでしょう?。--open-box 2012年2月8日 (水) 13:04 (UTC)[返信]
1節と2節についてはその訳に賛成です。3節は「non-judgmental language」を「曖昧な言い回し」とするとWikipedia:言葉を濁さない(en:Weasel word, anonymous authority)とぶつかるので、「判断を下さない表現が好まれる」ですかね…。上手な訳はぱっと出てこないです。。--Tondenh 2012年2月9日 (木) 03:41 (UTC)[返信]

ここまでいただいたコメントをマージしてみます。--Tondenh 2012年2月11日 (土) 14:00 (UTC)[返信]

==中立的な観点とは <span id="ASF">==

Wikipediaの中立性についての方針は、様々な信頼できる出典を注意深く分析することで、読者に対して明確かつ正確にそれらの情報を伝える、というものです。 Wikipediaは 論争を記述するが、その論争には介入しないことが方針です。編集者は、各々が独自の観点を持っているでしょうが、誠意を持って完全な情報を提供することに努めなければなりません。ある特定の観点を視点を広めてはなりません。また中立的観点とはある特定の観点を除外するという意味ではありません。

百科事典として適切な中立性のレベルを達成するために、次の原則(順不同)を守ってください。

  • 意見を事実として記さない。 一般的に、記事にはそのトピックについて重要な意見を含んでいます。しかしその意見はWikipediaの意見として記述してはなりません。その代わりに、誰の意見であるかを文章で明記するか、あるいはそれが許される場合なら、大多数の観点などとして述べられるべきです。例えば「大量虐殺は悪行である」と述べてはいけません、しかし「ジョーンは大量虐殺は人間の悪の縮図であると記している」と述べることはできます。
  • 深刻な論争がある主張を事実として記さない。 もしその主張について異なる信頼できる出典間で衝突があるのなら、その主張については事実ではなく意見として扱い、文中では直接その主張を記述することは避けてください。
  • 論争の余地のない主張を単なる意見として記さない。信頼できる出典によって反論や論争なきものとされた事実の主張であれば、一般的にWikipediaの意見として記述されるべきです。その言説が異議なき説であることに特に反論が無いのであれば、その主張が誰のものかを記述する必要はありません(しかし出典脚注は検証可能性を満たす助けとなります)。また、その説について論争が存在するかのような表現で記述すべきではありません。
  • 判断を下さない表現が好まれます。明瞭性とのバランスも考慮する必要がありますが、中立的観点は、トピックや信頼できるソースの主張に対して対して同情も攻撃もしません。ある意見について組み入ることなく、公平無私な言い回しをしてください。
  • 対立する観点との相対的な勢力差を正確に示す。そのトピックについて異なる観点を記載する際には、その相対的な勢力差が適切なレベルで反映されるよう記述してください。同等であるとの誤った印象を与えたり、特定の視点を不適切に重点的に記述することを避けてください。例えば「地球の形状について、フェルディナンド・マゼランの調査では球体だとされ、ジョン・ハンプテンはわん曲した平面体だとしている」といった記述は、ある領域についての大多数の観点と極少数の観点を同等に伝えてしまっています。
英語版と見比べてみましたが、おおむね問題ないように思います。--有足魚 2012年2月14日 (火) 10:39 (UTC)[返信]
査読ありがとうございます。今月いっぱいで大きな問題が出ないようであれば、本記事に反映しようかと考えています。--Tondenh 2012年2月14日 (火) 15:59 (UTC)[返信]
改訂に批判的です。ニュアンスとしてなんとなくいまひとつだと思います。これはWikipediaの基本方針であるので改訂には十分配慮を行い、いわんとする骨子を正確に反映叙述することが求められると思います。概ね、そのように訳せるというのは異論はないのですが、この方針は微妙なものであり、改訂には十二分な精査、精読が求められると思います。より広く、より長期間の公示を経て改訂されるべきものではないでしょうか。
ただ、ニュアンスがいまひとつだと言われても納得できないと思いますので、わたしの方でも訳してみました。読み比べて貰えますか。

Wikipediaのコミュニティにおいての中立性とは、さまざまな「信頼できる情報源」を注意深く、批判的に分析し、それらの出典に含まれる情報を読者に明確かつ正確に取り次ぐことを意味します。 Wikipediaの狙いは論争を記述することであり、論争に加わることではありません

執筆者が独自の視点を持っているのは当然ですが、完全な情報を伝えるように誠実に努力しなければいけません。ある特定の観点を他方に優先して推進するものではありませんし、ある特定の観点を除外するものでもありません。

百科事典に適切な中立的観点を達成するために下記の原則を参照してください。
--Truesight 2012年2月19日 (日) 03:17 (UTC)[返信]
(補足)たとえば、「Wikipediaは 論争を記述するが、その論争には介入しないことが方針」(Tondenh氏訳)ですが、訳としては間違っていないのですが、この書き方では「論争に介入しない」がクローズアップされてしまい、もう一方の目的である「論争を記述する」がぼやけてしまいます。英語版は明確に双方を目的として掲げており、そのニュアンスを反映できていないことになります。こうした細かい部分をみると残念ながら良く配慮された英訳であるとは思えません。Tondenh氏の意気込みを否定している訳ではなく、氏の訳にもいいところが一杯あると思うのですが、改訂には時間をかけて幅広い意見を募り慎重に行って欲しいと思う次第です。--Truesight 2012年2月19日 (日) 03:43 (UTC)[返信]
私としてはTruesightさんの訳をそのまま取り入れても全く問題ないのですが、ニュアンスの話となると、この後のアクションの取りようが無いです。あと1ヶ月、2ヶ月と更にコメント期間を置くことにはいいと思うのですけど、期間について何らかの目処等ないでしょうか。WP:RSのように、特に理由がはっきりしないまま草案状態で放置されるのは残念なので…。--Tondenh 2012年2月19日 (日) 06:12 (UTC)[返信]
目処として、一般的に異論がないと看做される期間は一週間です。ですからそういう意味では今月一杯異論を募るという期間のご提示においてはクリアできているのですが、ここでの議論は決定内容の重大性に比して小規模に過ぎるのではないか、もっと大規模な議論となって然るべきでないかと思うのです。期間を長くすればそれなりに執筆者の耳目にもとまり、参加者が増えるだろうと思うのです。逆に言えば、既に大規模な議論が展開されているようであったなら、期間を長くしろとは申しませんでした。Tondenhさんには拙訳に賛成いただいてありがたいのですが、もっと大勢のベテランの皆さんの意見を聞きたいというのが正直なところです。方針は、Wikipedia全体に影響を及ぼす重大なものです。ですから、手を付けるのであれば慎重に耳目を広くし、粘り強く取り組んでいかねばならないかなと思うのです。そして、そうして作成された改訂は恐らく皆さんが遵守するに足る素晴らしいものになるのではないでしょうか。もしどうしても参加者が得られないようであれば(今月一杯、参加者がおられない場合)、改めて、丁寧に精査しお手伝いしたいと思いますが、とりあえず、どなたかベテランの参画を待ちたいところです。--Truesight 2012年2月19日 (日) 06:55 (UTC)[返信]
ほかにコメントを待っていましたが、特にいただけませんでした。。--Tondenh (会話) 2012年3月1日 (木) 04:38 (UTC)[返信]
そのようですね。では早速ですが、冒頭に出てくる信頼できる情報源のリンクですが、英文だとWikipedia:検証可能性#信頼できる情報源を指しているようですのでそちらをリンクすべきだと思いますがいかがでしょうか。その他の点は良く読んでから再度コメントさせてください。以上とりいそぎ。--Truesight (会話) 2012年3月1日 (木) 13:03 (UTC)[返信]
他も読みましたが、特に問題となるような部分はなさそうです。既に指摘済みの点のみご対応願いたく存じます。--Truesight会話2012年3月4日 (日) 05:38 (UTC)[返信]
コメント Tondenh氏の案で特に異論ありません。といいますか、現行版はウィキペディア初期、かなり古い時代の翻訳文書であるため全体にエッセイ調であって、Wikipedia:方針とガイドライン#内容の基準に沿っているとはいえず、重要な方針でありながら冗長でわかりにくいといった状況にありますので、早いところ更新するに越したことはないと思います。 ちなみに、以前個人的にen:NPOVの2010年版をおおざっぱに翻訳したものがあります(利用者:Kurz/中立的な観点2010)。古い版の訳である上に訳し方もいまいちですが、多少は参考にできる部分があるかもしれません。--Kurz (会話) 2012年3月1日 (木) 13:16 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。そちらの訳についても他の節の翻訳([[Wikipedia‐ノート:中立的な観点/英語版の翻訳])に参考にさせて頂ければと思います。--Tondenh会話2012年3月4日 (日) 06:08 (UTC)[返信]

ここまで、頂いた点をマージします。--Tondenh会話2012年3月4日 (日) 06:08 (UTC)[返信]

==中立的な観点とは <span id="ASF">==

Wikipediaのコミュニティにおいての中立性とは、さまざまな「信頼できる情報源」を注意深く、批判的に分析し、それらの出典に含まれる情報を読者に明確かつ正確に取り次ぐことを意味します。 Wikipediaの狙いは論争を記述することであり、論争に加わることではありません

執筆者が独自の視点を持っているのは当然ですが、完全な情報を伝えるように誠実に努力しなければいけません。ある特定の観点を他方に優先して推進するものではありませんし、ある特定の観点を除外するものでもありません。

百科事典に適切な中立的観点を達成するために下記の原則を参照してください(順不同)。

  • 意見を事実として記さない。 一般的に、記事にはそのトピックについて重要な意見を含んでいます。しかしその意見はWikipediaの意見として記述してはなりません。その代わりに、誰の意見であるかを文章で明記するか、あるいはそれが許される場合なら、大多数の観点などとして述べられるべきです。例えば「大量虐殺は悪行である」と述べてはいけません、しかし「ジョーンは大量虐殺は人間の悪の縮図であると記している」と述べることはできます。
  • 深刻な論争がある主張を事実として記さない。 もしその主張について異なる信頼できる出典間で衝突があるのなら、その主張については事実ではなく意見として扱い、文中では直接その主張を記述することは避けてください。
  • 論争の余地のない主張を単なる意見として記さない。信頼できる出典によって反論や論争なきものとされた事実の主張であれば、一般的にWikipediaの意見として記述されるべきです。その言説が異議なき説であることに特に反論が無いのであれば、その主張が誰のものかを記述する必要はありません(しかし出典脚注は検証可能性を満たす助けとなります)。また、その説について論争が存在するかのような表現で記述すべきではありません。
  • 判断を下さない表現が好まれます。明瞭性とのバランスも考慮する必要がありますが、中立的観点は、トピックや信頼できるソースの主張に対して対して同情も攻撃もしません。ある意見について組み入ることなく、公平無私な言い回しをしてください。
  • 対立する観点との相対的な勢力差を正確に示す。そのトピックについて異なる観点を記載する際には、その相対的な勢力差が適切なレベルで反映されるよう記述してください。同等であるとの誤った印象を与えたり、特定の視点を不適切に重点的に記述することを避けてください。例えば「地球の形状について、フェルディナンド・マゼランの調査では球体だとされ、ジョン・ハンプテンはわん曲した平面体だとしている」といった記述は、ある領域についての大多数の観点と極少数の観点を同等に伝えてしまっています。

提案 今月いっぱいを見て、大きな問題が無ければ反映して良いでしょうか。--Tondenh会話2012年3月8日 (木) 16:58 (UTC)[返信]

賛成 そろそろ月末ですが、念のため改めて賛成を表明しておきます。--Kurz会話2012年3月28日 (水) 13:09 (UTC)[返信]

チェック 反映しました、皆様おつきあいありがとうございました。引き続きWikipedia‐ノート:中立的な観点/英語版の翻訳も見てくださる方がいると助かります。--Tondenh会話2012年3月31日 (土) 14:16 (UTC)[返信]

中立性を達成するために[編集]

en:Wikipedia:Neutral point of view#Achieving neutrality

難しいところですが、仮訳です。--Tondenh 2012年2月16日 (木) 13:36 (UTC)[返信]

==中立性を達成するために==

一般的には、出典を明記した情報である場合、偏っていると思われる記述をそのために単に削除する手法は避けてください。 その代わりに、文や説をもっと中立的な言い回しに書き換えられないか試みてください。 偏った情報はたいてい他の情報源からの出典を加えることでより中立的な観点に修正することができますので、中立性に関する問題は可能な限り編集によって解決すべきです。 情報を削除するのは、それが読者に誤解やミスリードを招き、かつその部分を推敲する方法では解決できないとする妥当な理由があると考えられる場合だけです。

この節では一般的な問題についての個別ガイドラインを示します。

提案 簡単なところなので、特に異議なければ反映したいと思います。--Tondenh会話2012年4月6日 (金) 05:21 (UTC)[返信]

チェック 反映しました。--Tondenh会話2012年4月13日 (金) 03:15 (UTC)[返信]

Good research[編集]

en:Wikipedia:Neutral point of view#Good research

仮訳です。--2012年3月28日 (水) 18:02 (UTC)

===良質な研究===

良質で偏りのない研究に基づく、信用され権威のある情報源が存在するのであれば、それはNPOV論争解決の助けとなります。 図書館にて評判の良い書籍・論文を探したり、オンラインで最も信用されている情報源を探してください。 もし何かに関しての高品質な情報源を見つけるのに手助けが必要であれば、記事のノートページで他の編集者に尋ねたり、Wikipedia:調べもの案内にて質問したりしてください。

提案 簡単なところなので、特に異議なければ反映したいと思います。--Tondenh会話2012年4月6日 (金) 05:21 (UTC)[返信]

チェック 反映しました。--Tondenh会話2012年4月13日 (金) 03:15 (UTC)[返信]

中性的な言い回し[編集]

en:Wikipedia:Neutral point of view#Impartial tone

仮訳です。--Tondenh 2012年2月16日 (木) 13:36 (UTC)[返信]

===中性的な言い回し===

Wikipediaの目的は論争を記述することであり、論争に加わりはしません。 論争を中立的に描写するために、一貫して中性的な言い回しで視点を記述することが求められます。 そうでなければ、たとえ適切な観点に基づいて記述しようが、その記事は支持者らによる実況行為に終わってしまうからです。 不適切な言い回しは、意見の形を取られることもありますし、また事実の論述に用いる言葉という形で取られることもあり、さらにトピックの選択・記述・編成などの形で取られることもあります。 中立的な記事とは、記事中の全ての観点について偏見なく正確でバランスが取れており、かつ中性的な言い回しで書かれたものであるべきです。

Wikipedia記事の言い回しは偏見を含めてはならず、ある観点を支持したり排除するものであってはなりません。 論争が過熱している時には、特定の支持者の情報を直接そのまま記述することは避け、代わりにその主張を中立な言い回しを用いて要約して記載できないかを試みてください。

impartialの訳語として「中性的」という言葉を使用することに違和感があります。「中性」には「意見の偏り」という意味は無いと思うからです。代案として「不偏的」はどうでしょう。あるいは「公平な」「公正な」とか。--Kusunose会話2012年3月22日 (木) 02:51 (UTC)[返信]

ここのimpartialはunbiased[1]寄りの意味に訳しますかね。fairだと強すぎるので「不偏的」でいいと感じます。--Tondenh会話2012年3月22日 (木) 15:36 (UTC)[返信]

頂いたコメントをマージします。--Tondenh会話2012年3月28日 (水) 17:52 (UTC)[返信]

===不偏的な言い回し===

Wikipediaの目的は論争を記述することであり、論争に加わりはしません。 論争を中立的に描写するために、一貫して不偏的な言い回しで視点を記述することが求められます。 そうでなければ、たとえ適切な観点に基づいて記述しようが、その記事は支持者らによる実況行為に終わってしまうからです。 不適切な言い回しは、意見の形を取られることもありますし、また事実の論述に用いる言葉という形で取られることもあり、さらにトピックの選択・記述・編成などの形で取られることもあります。 中立的な記事とは、記事中の全ての観点について偏見なく正確でバランスが取れており、かつ不偏的な言い回しで書かれたものであるべきです。

Wikipedia記事の言い回しは偏見を含めてはならず、ある観点を支持したり排除するものであってはなりません。 論争が過熱している時には、特定の支持者の情報を直接そのまま記述することは避け、代わりにその主張を不偏的な言い回しを用いて要約して記載できないかを試みてください。

提案 特に異議なければ4月中頃に反映したいと思います。--Tondenh会話2012年4月6日 (金) 05:21 (UTC)[返信]

チェック 反映しました。--Tondenh会話2012年4月16日 (月) 19:27 (UTC)[返信]

ATTRIBUTEPOV[編集]

en:Wikipedia:Neutral point of view#Attributing and specifying biased statements

==中立的観点に関する議論== ===偏った記述は、帰属化・明確化する===

偏った意見記述は、それを主張する論者に帰属化した形での記述に限って、含めることができます。 例えばWikipediaでは、「ジョーン・ドゥは最も優れた野球選手である」と言わんとする意見について、読み手が事実と受け取るような表現で記述してはいけません。。 「ジョーン・ドゥの野球技術は、アル・カーリンとジョー・トーアといった野球関係者から賞賛されている」といった事実に基づく意見としては記載することができます。 しかしその意見は検証可能性を満たし適切な出典に基づかなければなりません。

他の方法として、事象の詳細を述べることで記述を特定化具体化するという方法があります。 例えば「ジョーン・ドゥは2003年から2006年までの間、メジャーリーグにて打率一位であった。」といった記載ならば、意見として書かずとも、人々は彼が最高の野球選手であったと評するでしょう。

偏った記述や意見を濁した言葉で書き換えようという誘惑には、注意を払ってください。 例えば「多くの人々はジョーン・ドゥは最も優れた野球選手だと考えられている」といった記載では、「誰が?」「どの程度?」といった反論がなされるのは尤もです。 例外的に「多くの人々は…」といった記載が許されるのは、信頼できる文献がそのグループに対し調査を行っている場合などです。

こちら検討したいのですが、いかがでしょうか?特に目に付くのが、記事での論争を避けようとWikipedia:言葉を濁さないに反する手段を選ぶケースが目に付きます。--Tondenh会話2012年8月19日 (日) 09:00 (UTC)[返信]

提案 特に問題なければ、今月半ば頃に反映したいと思いますが、いかがでしょうか?--Tondenh会話2012年9月9日 (日) 14:56 (UTC)[返信]

チェック 反映済みです。--Tondenh会話2012年11月19日 (月) 08:01 (UTC)[返信]