利用者‐会話:BfDXjJtUZv6q

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BfDXjJtUZv6qさんがウィキペディアにおいて実り多き執筆・活動をなされることを楽しみにしております。--Trgbot会話2014年8月3日 (日) 00:20 (UTC)[返信]

出典の書き方[編集]

井戸端や別のコメント依頼で論争をするべきではないので、関係のない我々の意見交換はこちらでお願いします。本題ですが、大艦巨砲主義において末尾に

  • 戦史叢書(朝雲新聞社)各巻、特に「海軍軍戦備(1)、(2)」
  • 世界の艦船(海人社)各号、特に増刊「第二次大戦の軍艦」シリーズ、「各国戦艦史」シリーズ

このように書かれていますが、戦史叢書は102巻、世界の艦船も膨大な量があります。Wikipedia:出典を明記する#出典の示し方の注意点の「3.参照すべき場所、範囲を明確に示す。通常はページ番号を付記する。」に反していますが、修正する意思はあるのかと、あなたの加筆部分に出典の提示を求めた場合に参照した出典の具体的な個所を提示する意思があるのか、この点を確認させてください。--Jack.51会話2018年6月5日 (火) 01:41 (UTC)[返信]

必要ありません。なんとなれば、あれは本当の意味での参考文献だからです。つまりはより詳しく知りたいなら参照すべき文献としての提示であり、もっと言えば、私が書いた部分にあの文献はソースとしてほとんど使われていません。私が書いた部分だけで考えるなら、あの文献の情報はなくても成立します。戦史叢書は日本における戦術思想の変遷や建艦計画の推移を調べるのに、世界の艦船は個別の艦艇のスペック他詳細を調べるのに役立ちますが、むしろ私が書いた部分以外のソースになり得るものです(今議論になっている表を作るのに、あの中から2冊ほど挙げれば必要な情報はほぼ全て集まると何回か書いていますね)。私が実際にソースとして使ったのは、各節中に挙げた個別の文献や記事の方ですよ。なので修正するとしてもそれは文献の用い方についての一言、二言であって、出典範囲の提示というかたちにはなりません。上述の通り、私が書いた部分「以外」の出典にはなるので、そういう使い方がしたければそういう提示は必要に応じて使う人がやってください、ということになります。--BfDXjJtUZv6q会話2018年6月5日 (火) 05:59 (UTC)[返信]
あなたの編集を差し戻したIP利用者がいるので保護依頼をしておいたほうがいいかもしれません。
本題のほうですが、つまり文中に出典がある例以外の記述は個別の出典が存在せず、BfDXjJtUZv6qさんが読まれた複数の文献から出した見解ということでしょうか。--Jack.51会話2018年6月5日 (火) 06:59 (UTC)[返信]

コメント 横から失礼いたします。Wikipedia:出典を明記するの冒頭部で説明されていますように、Wikipedia日本語版では「参考文献」の節は一般的に「出典として使用した文献」を提示する際に使用されています。混乱を招いてしまいますので、出典以外の文献については「関連書籍」など別の節名を使用していただけると助かります。取り急ぎ用件のみにて失礼いたします。--SilverSpeech会話2018年6月5日 (火) 08:26 (UTC)[返信]

横から失礼 横から失礼 Wikipedia:コメント依頼/Ishutyの方で「それだけ大量の文章だと出典から引用することはまずありません。参考文献として用い~」と記述しておられますが、「たかだか30KB程度の記事で脚注の使用が困難である状況というのは考えづらく、それは文章の書き方、脚注の示し方がもともと拙い状態なのであり脚注をつけない/脚注明示不能なことの正統な理由付けには成り得ない」と考えますし、脚注明示が絶対に出来ないのであれば『その文章に多くの執筆者独自観点(WP:NOR)が混じり、その後数十年にわたって同様の自称軍事専門家・研究家が独自解釈視点から自由に書き換えていく/匿名編集者の独自解釈が混じった低い信頼性の文章と成り果てた内容がウィキペディアから広く発信されてしまう懸念を考えれば、そのような文章は最初から一切ない方が良い(WP:V、全抹消除去処理)』ということになります。

拙立項記事の転生したらスライムだった件(151KB)、2014年の御嶽山噴火(92KB)などの出典脚注の使い方をご覧頂きたいのですけども、これらは履歴で分かる通り20名以上の編集者が共同編集として関わっている記事であり、この点からも「大量の文章に脚注をつけることは不可能」というご主張の論拠は崩れているものと考えます。なお、双方とも「出典脚注をつけられない(匿名編集者の独自解釈が強く疑われる)文章は一律全除去」という処置が為された記事ですが、双方とも大艦巨砲主義の3倍以上の内容規模に成長している記事です。--Nami-ja (会話 / 履歴) 2018年6月8日 (金) 00:46 (UTC)[返信]

勘違いしないでくださいね。私が書いたのは「引用することはない」ですよ。引用は原則的には一字一句同じ、著作者の意図によっては文字フォントや折り返し位置でさえ同じにしなければなりません。ましてや引用には要件としての主従関係があります。これは質量ともに引用部が従でなければならない、要するに記事あるいは節全体の、少なくとも半分以上は自分の言葉で書かなければならないってことなんです。ですから貴方が提示した事例が引用であるはずはないし、仮に引用だというならそれは法的にアウトです。あとは「自分の言葉」の中に独自研究を如何に織り込まないかだけのことです。貴方が言う注釈だらけの文章にしたって、大半は情報ソースの中身を編者がかみ砕いて自分の言葉に直して書いているはずであり、またそうでなければならないんです。
繰り返しますが、私は大量の文章に脚注をつけることが不可能なんて、一言も書いてません。大量の文章であるならそれは引用であるはずがないから、参考文献としてのソースの提示になる、と言っているのです。それはつまり情報ソースの要約であり、そこから導き出された「独自研究にならない」範囲の合成や考察であります。そもそも細かく注釈でソースをつけているということは、複数のソースに基づく「情報の合成」に他なりません。--BfDXjJtUZv6q会話2018年6月8日 (金) 12:00 (UTC)[返信]
コメント 当方の例示した記事には出典の示し方に異論を差し挟まず編集合意した編集者が20名以上存在し編集コンセンサスが現実に達成されているが、BfDXjJtUZv6qさんのやり方にはコメント依頼含め多数の疑義が出ている、という部分に着目して頂けますか? コンセンサスを得られていない疑義のある編集方法を力づくで推し進めることも妥協なく自身が絶対正義者の立場で進めることもどちらもWP:POINTに該当し早晩ブロックされてしまうことは既知であると思いますので、現状、どちらの解釈にこそ異論が少ないのかを考えて頂けましたら、と思います。/ 蛇足ながら、仰る方法論は2004~2006年頃以前のウィキペディア記事全体で見られた非常に古い書き方で、現時点のウィキペディア日本語版では否定されているものであり、全てのウィキペディア発祥の大本たる英語版ではBfDXjJtUZv6qさんが全否定されておられる逐次ソース付記方法が2001年から継続して推奨されています。--Nami-ja (会話 / 履歴) 2018年6月10日 (日) 00:03 (UTC)[返信]
なんか誤解してますけど、別に私否定なんかしてないですよ? そもそも最初に要出典範囲のTempleteで範囲を明示したら? て書いたの私ですし。6000バイト丸々を一つのソースから引用している(できる)はずがないからそれは参考文献としての提示になるね、と書いたのです。複数のソースから引っ張ってくることもあるし細分化して要出典範囲を限定するべき、とも書いてあるのになぜそういう見方になるのか、正直当惑してます。--BfDXjJtUZv6q会話2018年6月10日 (日) 00:19 (UTC)[返信]
ええ、ですから皆さん異口同音に、WP:POV/WP:V/WP:NOR(全てウィキペディア三大方針)に従い、問題となっている出典範囲明示ができない「6000バイト丸々を一つのソースから引用している(できる)はずがない」記述はウィキペディアでは記載できない記述(要約)である、という点でBfDXjJtUZv6qさんと(当方も含む)他利用者さんたちは完全に対立しているわけです。◆BfDXjJtUZv6qさんは恐らく『大艦巨砲主義に関する優れた知見を有する軍事関係最優秀編集者』であると個人的には思いますが、そのBfDXjJtUZv6qさんが今後ウィキペディア編集から離れ記事内容を監査できなくなった後に、出典がつけられない部分が無数の(優秀な軍事評論家であるかどうかが全くわからない)編集者たちの手によってこういった編集のやり方その編集者の個人解釈が全面的に反映される形で改訂されていく行為が続くことが容易に予想可能であることは自明でしょう。 / こういった編集をBfDXjJtUZv6qさんは「要約」と表現しておられますが、これは「随筆」に該当するもので、全面的にBfDXjJtUZv6qさんの知見に頼ってその思想を反映して記述されている内容で、それはWP:POVで全面的に禁止されている行為であることは前述の通りです。
つまり、匿名編集者の意見、解釈を記事上に反映させるためには、同様の解釈をしている資料名を明示して「自身が持っている思想、解釈が正しいことの裏付け」として併記せざるを得ず、そういった書き方で書くならば:
  • 「戦艦大和・武蔵は大艦巨砲主義に強く影響された結果として46cm3連装主砲を9門搭載するに至った、これは関連書籍の多くに記されている」
  • 吉村昭の著作『戦艦武蔵』によれば、戦艦大和・武蔵が46cm3連装主砲を9門搭載したのは大艦巨砲主義に強く影響された結果であるとしている<ref>{{Cite book |和書 |title=戦艦武蔵 |publisher=[[新潮社]] |author=[[吉村昭]] |date=1966年9月5日 |id={{ASIN|B074JS9ZW6}} |page=167-169 }}</ref>。また同様の解釈は防衛庁(現防衛省)防衛研修所戦史室の執筆となる『戦史叢書95巻 海軍航空概史』の経過概要3章「ワシントン条約とその影響」にも見られる<ref>{{Cite book |和書 |title=戦史叢書95巻 海軍航空概史 |publisher=[[朝雲新聞社]] |author=[[防衛省|防衛庁防衛研修所戦史室]] |date=1976年 |id={{ASIN|B000J9DLNU}} |page=5-6 }}</ref>
片や匿名編集者の随筆(読後感想文)、片や軍事ドキュメンタリー作家として高い知名度を持つ作家の著作内容および戦史叢書からのページ番号まで明確に指定した複数の出典に基づく記述、上記2つのどちらが信頼性を有するか。【1】ソースに辿り着き易く、【2】どのページにそれが示唆されていて【3】読者が「参考文献に列挙された全資料を読み解かずとも、記述付随のソース単独で」更に深く調べやすいか(それが明示出来ない=資料に辿り着けないのなら読者にとって要らない記述)というお話をしているだけです。--Nami-ja (会話 / 履歴) 2018年6月10日 (日) 01:29 (UTC)[返信]
Wikipedia:What SYNTH is not[1]から
>Summary is necessary to reduce the information in lengthy sources to an encyclopedic length -- even when the information being summarized comes from multiple sources.
>(大量の情報を百科事典として適切な分量に抑えるために、要約は必要な手法です。それは複数の情報ソースからの融合であってさえ変わりません)
前回は数的処理だけ挙げましたが、本来は適切な範囲の「情報の合成」として様々な事例が挙げられています。要約はその内の一つです。私は引用でこの分量を書くのは実質的に無理だと書きました。でも本一冊、あるいはその中の章一つの要約としてならあり得る話です。もしかしたら複数の情報ソースからの融合かもしれません。そこを指摘したんですよ。だから、情報ソースを開示するならそれは参考文献としてのかたちになる、と。
念のために書いておきますが、私は当該部分の記述は基本的に不要と判断しています。ただ「書けるか、書けないか」という可否の部分でこの記述を活かすのであれば、そういうかたちで書かれたものになるだろう、という話なんですよ。コメント依頼で私は屡々内容とは別の、可否にのみ絞った話を展開してるからその辺誤解が生じやすいのかもしれませんが。--BfDXjJtUZv6q会話2018年6月10日 (日) 10:11 (UTC)[返信]