ノート:さらば青春、されど青春。

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内容過剰について[編集]

WP:NOTADVERTISING 他の幸福の科学作品同様、他の映画作品とのバランスを考え内容を剃り落としたいと思います。ご意見お願いします。--Nobuyuki会話2018年5月16日 (水) 10:39 (UTC)[返信]

いちおう、LTA:スターライトも載せておきます。--Nobuyuki会話2018年5月16日 (水) 11:16 (UTC)[返信]

コメント アカデミー賞とかの映画賞を受賞するような映画作品の記事と比較してバランスを見ると、むしろ内容削減より内容拡充に力を入れるべき記事のように思いました。Nobuyukiさんの除去後の記事内容だと記事全体に対してスタッフ(演者・裏方)の人名が主体でバランス悪く感じましたが、除去前の記事内容だと多少は映画そのものについて記述されていてバランスがまだマシに感じます。幸福の科学を広告的に記述しているわけではなく、映画の内容を記述しているので、除去前の方が良いのではないでしょうか。アカデミー賞受賞映画は比較対象として極端ですが、Category:日本の戦争映画に並んでいるような反戦宗教映画に比べても内容は過剰どころか過小ですよね。--やなぎ0会話2018年5月21日 (月) 04:54 (UTC)[返信]
コメント 履歴を確認しましたが、全然内容が過剰だとは思いませんし、他の映画とのバランスは考えるべき量とはいえないと思います。--Camillu87会話2018年5月21日 (月) 13:43 (UTC)[返信]
  • コメント 過剰だった幸福の科学の作品を多々削除・除去してきた者です。見落としがあるかもしれませんが、今のところ特に除去すべき記述は見つけていません(宣伝があればとっくのに昔に私が除去しています)。なお、目的外利用者による問題となる編集があれば投稿ブロック依頼として下さい(ただし、Wikipediaの方針の範囲内での批判・擁護は問題ないと判断しています)。--JapaneseA会話2018年5月21日 (月) 16:25 (UTC)[返信]
  • コメント 過剰な記述はありません。Nobuyuki氏は、どこが過剰なのかの指摘もしていないですが編集除去した部分を見ても、このような記述は他の映画項目では普通に記述されています。なお、私は、LTA:スターライト とは関係ありません。--Dewiki会話2018年5月21日 (月) 17:05 (UTC)[返信]
  • コメント この程度の映画記事を「内容過剰」などと呼ぶのは、明らかに無理があります。今回の 利用者:Nobuyuki の編集行為はアラシの疑いの強いものだと私は思います。記事の内容を意味もなく「>剃り落としたい」というのが彼の本音でありしょう。コメントを頂いた上記の方々の論評内容により、Nobuyuki の「内容過剰という主張」が間違いであることが確定したかと思います。なお、幸福の科学の映画に対する 利用者:Nobuyuki のこのような行為は今回が初めてでなく、2015年の「UFO学園の秘密」でもアラシしています。投稿ブロックの検討をしたい。--Kqa2200会話2018年5月25日 (金) 14:53 (UTC)[返信]
コメント UFO学園の秘密は初版投稿者による「未来への希望を明らかにした映画」のような酷い独自研究が記載されていたので、そっちの方がよほど問題でしょう。--JapaneseA会話2018年5月25日 (金) 15:15 (UTC)[返信]

コメント 確認・総括です。この話題はNobuyukiさんの特別:差分/68589544の除去の是非が論点で、除去するほど広告的ではなく除去前に戻すという合意に至った理解です。Dewikiさんの修正を差し戻し・除去を希望される方は、変更前にコメントをお願いします。ところで、幸福の科学の広告性に関係ないので黙ってましたが、Infoboxの出演者が結構多くて演者の広告的なので少し除去したかったです。片手で指折り数得るくらいの主要演者だけで十分じゃないかしら。--やなぎ0会話2018年5月28日 (月) 12:36 (UTC)[返信]

「ストーリーと史実との違い」の節の追加提案[編集]

総裁の生い立ちから立宗までを描いた映画であり、基本的に実話なわけですが、史実と異なる点もあります。それを節として作ってはいかがでしょう。「中道」じゃなくて「大川」だみたいな役名設定はともかく、私が気づいたのは以下の2点。

・45才で常務になる

映画では上司に屋上に呼びつけられて、そう言われ、中道は「本当に知りません」と答えるが、実際は入社時にそう教えられている。そう書いてある内部経典あり。

・川島潜水橋を歩いて渡って、実家に帰省

 その近くで父と釣りをしたのは史実のようだが、川島潜水橋を歩いて渡っての帰省は明らかに不自然。実家は国鉄・阿波川島駅のすぐ近くだし、北の徳島自動車道は部分開通(1994年)すらしていない。そもそも、瀬戸大橋も神戸淡路鳴門自動車道もできておらず、船か飛行機が必須。現在みたいに高速バスで帰省するとは考えにくい。

いきなり本文を修正せず、こうしてノートに書いてみました。 --Circodelsol会話2018年6月12日 (火) 06:49 (UTC)[返信]

この映画は「フィクションです」とあちこちに明示されています。利用者:Circodelsolさんの上記の指摘は、独自研究の項目になります。本文への記入は無理でしょう。おやめください。--Dewiki会話2018年6月12日 (火) 12:34 (UTC)[返信]
「フィクションです」の論法でいけば、黒部の太陽 (テレビドラマ)の「考証不足な点」節はいかがでしょう。いかにフィクションとはいえ、史実を基本としているからこそこういう記述が成立するのでは。
それを踏まえるとすれば、「独自研究」の指摘はおかしいのでは。生家そっくりの中道理髪店、阿波川島駅*から上京、川島潜水橋*、トーメン名古屋寮そっくりの(というかそのまま)康豊商事名古屋寮の外観*・自室。これらのうち、*付きのものはネットですぐに検証可能です。--Circodelsol会話2018年6月12日 (火) 12:59 (UTC)[返信]
史実に基づいたフィクションでの本質的な問題になりますが、たとえば中道がNYで働いていたビルの名前は何でしょう。映画内では明言されていません。でも、2001/9/11にテロで破壊された「あの」ビルそっくりです。いや、こんな回りくどい言い方をせずに、「中道はNYの世界貿易センタービルで働いていた」と書いてもよいのではないでしょうか。かつ、史実として総裁がWTCで働いていたことは「太陽の法」などで書かれていますし。NY赴任年月・帰国年月も、映画内字幕と史実で一致しています。
映画内と史実とで年月日まで一致しているものもあります。生誕日・大悟の日・1987/3の第1回講演会。というわけで、「フィクションだから」論法にはやや無理があるのでは。--Circodelsol会話2018年6月12日 (火) 13:44 (UTC)[返信]
その他、中道が青いスーツを来てあっさり門前払いされる会社が「都銀の東都銀行」と本文にあるが、これは独自研究にはならないのか。公式解説本に書いてあるのなら、下にまとめてではなく、この箇所に注記してほしいです。が、ここでは映画内容のみからとして論じます。「東都銀行」と書いたカレンダーが最初に大映しになりますが、これだけでは弱いですよね。カレンダーの会社マークが面接担当者の名札のマークと同じというところまで、押さえるべきでしょう。でも、東都銀行が都銀かどうか映像からは判断できませんね。同じく、公式解説本に書いてあるのなら、この箇所に注記してほしいです。少なくとも「要出典」とすべきでは。公式解説本に記載がなければ、それこそ独自研究です。--Circodelsol会話2018年6月12日 (火) 15:09 (UTC)[返信]
もう1点。三国志は史実の正史と演義があり、後者は史実に基づいたフィクションです。有名なのは後者のほうですね。だから、ウィキペディアの三国志項目では、「史実では」「演義では」の2節が立てられています。
それに、演義を元にした漫画で、将軍たちが掲げて戦う旗の将軍名が、明朝体とか簡体字で書かれていたらおかしいでしょう。ましてや五星紅旗を掲げる将軍が出てきたら、「演義はフィクションだから、そういう指摘は独自研究」では済まないでしょう。--Circodelsol会話2018年6月12日 (火) 16:35 (UTC)[返信]
南理沙のモデルが「太陽の法」旧版の「才気煥発な女性」と書いたら、これは確かに独自研究でしょね。その意味でDewikiさんの主張も理解できますが。
ただ、「才気煥発な女性」へのラブレターは普通の手紙を8通以上ではなくて、「小包にして送っていた」はずです。--Circodelsol会話2018年6月15日 (金) 04:33 (UTC)[返信]

利用者:Circodelsol さんお返事を返さず、遅くなりましてすみませんでした。私なりに考えをまとめてCircodelsolさんの希望に沿う形を考えました。「ストーリーと史実との違い」の節 というあからさまな独自研究の内容の節ではなく、「キャスト・登場人物」の節に追記するという手法があると思います。ここしばらく、他の映画やドラマの項目での記述の方法を色々見てきまして研究していました。登場人物の説明の中に、Circodelsol さんのおっしゃるような話題を記入している場合がたくさんあるのを確認いたしました。この手法ならあまり問題にならないかと思います。ただし、記述には出典や根拠に関する補足も必要かと思いますので。よろしくお願いいたします。--Dewiki会話2018年6月15日 (金) 12:05 (UTC)[返信]

>「キャスト・登場人物」の節に追記するという手法
それだと、既存の文章となかなか折り合いがつけにくいし、加筆も難しいんですよね。その意味では別の節のほうがやりやすいのですが。
>「ストーリーと史実との違い」の節 というあからさまな独自研究の内容の節
独自研究じゃないでしょう、という意図で上の文章を書いたわけです。どうもアプリオリに独自研究とお考えのように感じられますねえ。
というか、こういう意図なのかなと感じます。イエス・キリストでいうなら
・処女マリアから生まれた。
・生誕以降は30才まで考えなくていい。
・生涯独身
・十字架にかけられたのは、人類の罪を贖うため。
に対し、幸福の科学教義では
・普通の男女の営みの結果として生まれた。
・若い頃はインドに行くなりして、修養していた。
・実は妻がいた。相手が誰かは、ウィキペディアにも1つの説として記載されている。
・パウロが立てたこの解釈は強引。生きている時点での伝道に失敗したととらえるべき。
・後世の弟子たちがイエスの神格化に不都合な箇所をどんどん削除していった。
ですよね。
それと同じで、私の挙げた映画内容の具体例は「不都合な真実」だからというのが本音かな、と感じました。まあ、私も主張したいことは主張できたので、ここで終わりにしてもいいですよ。
その他、総裁が実は1浪していることは、字幕の年月をきちんと計算すればわかりますし、「太陽の法」旧版には明示的に書かれていました。ですが、100年もしたら学校制度のことがよくわからなくなって、「小中高とあれだけ優秀だったので、大学も当然現役合格」みたいに神格化されていくのでしょうね。--Circodelsol会話2018年6月17日 (日) 09:44 (UTC)[返信]

利用者:Circodelsolさんへ。「キャスト・登場人物」の節に追記は、いやだと言うのですか。だめですね。私はこの映画を最初はノンフィクションの伝記として捉えようとしていたのですが、ある人から、実は史実とは違う「フィクション」との指摘を受けて、気が付きました。史実とは違う点は、もうたくさんありまして、脚本の検証を行ってみると5や10個ではきかない、100個以上あるようです。フィクションである作品に、これをいちいち指摘してもおかしなことのように思います。 私は、別に「不都合な真実」を隠そうなどと考えているわけでもありませんし、この本文が読んでWikipediaとしての正当な、文章になっていればいいのだという考えです。この「ストーリーと史実との違い」の節の追加提案の前にある節、「内容過剰について」を見ると記事の内容を減らすことで、この映画へのアクセスを妨害しようとする輩がいるようですが、Circodelsolさんは逆に、この映画への批判を書きたいだけなのではありませんか?別に正当な批判が、出典付で書くのなら仕方がないと思いますが、出典も無いままに独自研究での批判は、Wikipediaでのルール違反ですのでおやめくださいということです。--Dewiki会話2018年6月17日 (日) 11:56 (UTC)[返信]

>この映画への批判を書きたいだけなのではありませんか
それは否定しません。いみじくもDewikiさんが
>の映画を最初はノンフィクションの伝記として捉えようとしていた
と書いていますね。Dewikiさんはフィクション箇所が相当あることに気づいたようですが、呑気に「ノンフィクションなんですよ」みたいなことを述べたYouTube投稿を目にしたりして不愉快だったので。
ところで、「独自研究」についての認識がどうも噛み合わないですね。
>出典も無いままに独自研究での批判は、Wikipediaでのルール違反です
は一般論として全くその通りです。が、例えば「45才で常務になることは入社時に教えられている」のは独自研究でしょうか?違うのでは。最初に書いたとおり、内部経典にそういう記述があります。ただ、具体的な書籍名は忘れました。ごめんなさい。もう10年以上前なので。総裁はそう教えられて「常務にまでは出世できるのだな。・・・」と思ったことを述べています。この「常務にまでは出世できるのだな」の表現で「ああ、あの本だ」とピンと来る方がいることを期待しています。
「中道がNYで働いていたビルは世界貿易センタービル」と書いたら、独自研究か?違うのでは。
「中道が帰省直前に渡る橋は川島潜水橋」と書いたら、独自研究か?・・・川島潜水橋はWTCほど有名ではないので、意見が分かれそうです。その近くで父と釣りをしていたという内部資料はありますが、「内部資料」では出典にはできないですし。映画冒頭に旧川島町の全景と背景の吉野川が出ますが、その近辺での橋は川島潜水橋だけですし、映画に出てきた橋とそっくりなことはネットですぐに確認できます。
「いや、独自研究だ」と押し切ろうとするなら、「都銀の東都銀行」も怪しいですよと指摘しました。ただし、私は公式解説本を持っていないので、それに記載されているのならごめんなさい。「カレンダー上の会社マークと面接担当者の名札のマークが同じ」と好意的に書きましたが、これとて絶対ではないです。総裁が就職活動された当時は三菱銀行・住友銀行がありましたが、グループ企業と同じマークを使っていましたし。「東城大学生が訪問する会社だから、都銀」と思っているのなら、それこそ独自研究です。「東城大学」という点で1歩譲るとしても、当時は長信銀もありました。
ですが、上でも書いたとおり、これで終わりにしてもいいですよ。--Circodelsol会話2018年6月17日 (日) 12:50 (UTC)[返信]
「生家の畳の向きにまでこだわった」旨の赤羽監督のコメントがありましたね。時代考証にこだわったその努力には敬意を払いますが、「ノンフィクションなんですよ」とのミスリーディングな面は否めないのでは。上記の呑気なYouTube投稿の一因とも言えると思います。--Circodelsol会話2018年6月17日 (日) 13:18 (UTC)[返信]
ソックパペット。昔でいえばダブハンでブロックですか。私はそんな人と議論していたのですね。上のほうでの他者を装った反対意見が空々しい。取消線を引かれているのが、本当に恥晒し。
数年前にもそんな人と議論したことがあります。JapaneseAさんの「尽力」のおかげで、同じくブロックされましたが。人のことは独自研究と批判しながら、幸福の科学に都合のよさそうなことだと独自研究でも書く。この二重基準ぶりに何とも腹立たしく感じたものです。
今回の議論でいえば、「うん?これは史実じゃないだろう。フィクションでは」と思った箇所はもっとたくさんあります。たとえば、大学で友人2人に講義室で「出会う」場面。「平野和彦。よろしく」と名乗って握手したりしているが、憲法の授業は「そんなとこ勉強しても、試験には出ないぞ」ということで、ある程度進んでいたわけで。
不自然な場面だけれども、きちんと検証可能性を満たすのが難しいと思って言及しなかったのです。検証可能性が担保されそうな場面に限定して書いたにも関わらず、「不都合な真実」だからか、こちらの提示した具体例には言及せず、「独自研究はいけません」の一般論を唱えるだけ。
誰が正しいかではなく、何が正しいかの視点で議論すべきではないでしょうか。誰が正しいかで議論していると二重基準に陥るのです。ブーメランで有名な某政党にも当てはまるでしょうが。--Circodelsol会話2018年7月12日 (木) 00:18 (UTC)[返信]
kqa2200さんの「会話」ページを見たところ、dewikiさんと何度も会話しています。この2人がソックパペットというのが事実なら、かなり悪質です。
「さらば青春・・・」ノートページだけを見ると、何らかの事情でハンドルネームを使い分けていたのに、間違えて自作自演のようになってしまったかのようにも見えますが、そうではありません。確信犯です。
ウィキペディアではないところで、ダブハン・自作自演やりまくり。決して反省しない信者がいました。とある正心館で直接会ったこともあるので、アンチが信者を偽装していたのではありません。私は「おかしな人だな」と思い、距離を置きました。
その後、自宅でお金を取って祈願をやったり、「総裁に反省を迫る」などとどこかの施設に押しかけたりして、除名になりました。
kqa2200・dewikiさんに対し、「一生懸命、幸福の科学記事を充実させようとしたのだから」のような心情シンパもROMっている人の中にはいるでしょうが、やっていることはただの逆伝道でしょう。逆伝道を続けた挙句、本当に転落する事例があったことをよく汲み取るべきでしょう。--Circodelsol会話2018年7月12日 (木) 02:31 (UTC)[返信]