都督
都督(ととく)は、中国の官職または称号。三国時代に現れ、軍政を統轄した。また4〜6世紀には、中国と外交関係を持つ近隣諸国・諸民族の君主・臣下に授与される称号の一部としても用いられた。
概要
三国時代に設置され、本来は監督、統轄の意味で、軍司令官のことをいったが、複数の州に跨る管轄領域を持った都督は長官である刺史を兼ね、都督府を置いて府官を任じ軍事だけでなく民政をも掌握する様になった。その後、六朝時代を通じて都督の官名が使われた。唐代には節度使が置かれたため、その権限は縮小したが、宋代には宰相の出征時に都督の称が臨時に使われたほか、元朝・明朝にも大都督府の名称が見られた(→五軍都督府)。清朝では都督の名称は使われなくなったが、辛亥革命後、地方の軍政担当官として都督が置かれた。また、高句麗や百済・倭といった周辺民族の王に対しても「都督◯◯諸軍事・△△将軍」の称号が与えられ(→将軍)、近隣諸国・諸民族懐柔策に用いられることがあった。
4〜6世紀アジア外交における「都督○◯諸軍事」
西暦 | 王名 | 仮授(自称/中国に請求したもの) | 除正(中国から授与されたもの) | 備考 |
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438年 | 倭珍 | 都督倭・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓六国諸軍事 | n/a[1] | |
451年 | 倭済 | 都督倭・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓六国諸軍事 | 都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍[2] | |
478年 | 倭武 | 都督倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事 | 都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍[3] | |
479年 | 倭武 | 都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓<慕韓>六国諸軍事 | 斉による一方的な陞爵の可能性。[4] |
西暦 | 王名(臣下名) | 都督号(仮授) | 都督号(除正) | 備考 |
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675年 | 金法敏 | 雞林州大都督 | 唐による。王。金仁文の兄。 | |
687年 | 金理洪 | 雞林州都督 | 武周による。 | |
702年 | 金興光 | 雞林州都督 | 武周による。 | |
713年 | 金興光 | 大都督雞林州諸軍事 | 唐による。 | |
785年 | 金良相 | 都督雞林州刺史 | 唐による。 | |
812年 | 金彦昇 | 持節・大都督雞林州諸軍事 | 唐による。 | |
831年 | 金景徽 | 使持節・大都督雞林州諸軍事 | 唐による。 | |
841年 | 金慶膺 | 使持節・大都督鶏林州諸軍事 | 唐による。 |
日本における都督
- 日本人では阿倍仲麻呂が唐朝に出仕し、潞州大都督の官名を贈られている。
- 日本の官制では大宰帥の唐名を都督という。
- 藤原仲麻呂は淳仁天皇に願って「都督四畿内三関近江丹波播磨等国兵事使」に任じられた。(→藤原仲麻呂の乱)
- 明治維新後、天皇直轄軍の司令部として近衛都督府が置かれた。
- 大日本帝国時代、中国関東州に関東都督府が置かれた。
参考文献
- 河内春人『倭の五王 王位継承と五世紀の東アジア』(中公新書2470,中央公論社,2018)ISBN 978-4-12-102470-1