東京都の貝塚の一覧

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東京の貝塚の配置 赤は縄文時代の貝塚、オレンジ色は弥生時代の貝塚 出典は『東京都遺跡地図』第3分冊1988年[1]『都心部の遺跡』1985年[2]『東京の貝塚を考える』2008年[3]および位置情報は東京都遺跡地図情報インターネット提供サービス[4]より。
拡大図はこちら
縄文時代の関東平野
斜線部分は縄文時代には海だった地域-東木龍七 (1926) 地形と貝塚分布より見たる関東低地の旧海岸線 (一) (二) (三). 地理学評論, 2, p. 597-607, p. 659-678, p. 746-773.内の図から

本稿では東京都内の貝塚のなかで、存在が確実な縄文弥生時代の貝塚の一覧を取り上げる。縄文時代、海面は現代より高く(縄文海進)東京の貝塚の分布も当時の海岸線を表している[5]

概要

東京にある貝塚の数は資料によって異なり、1974年の『東京都遺跡地図』初版では東京都内の貝塚として116か所が挙げられている。モースが発見し日本で最初に本格的な調査が行われた大森貝塚は東京都にあり、東京では貝塚の研究は早くから行われていた。しかし、明治時代の大まかな調査では貝塚とされたものの現代では名前だけが残っていて実態がよく分からない貝塚や、歴史時代のもの、後年に自然貝層と判明したものなども含まれる。したがって、各種資料でもその年代によって東京の貝塚の数は増減している。東京都はほぼ全面に開発の手が入り現代では湮滅してしまいもはや調査不能の貝塚や人知れず湮滅した貝塚も多いものと考えられている[6]。本項で取り上げた貝塚には寺社地や公共用地内所在のものが多いが、逆に寺社地や公共用地以外にあった貝塚には人知れず破壊されたものが多いであろうと考えられる[7]。また貝塚の定義も人によって異なるため弥生時代以降のものを資料によっては貝塚一覧に入れたり入れなかったりしている[注 1]。したがってどこからも異論が出ない貝塚の一覧を作成することは困難であるが、本項では東京の貝塚に関する有力な資料、東京都教育委員会編『東京都遺跡地図』2015年インターネット版、東京都教育委員会編『都心部の遺跡』1985年、品川区立歴史館編『東京の遺跡を考える』2008年の3点の資料において共通して記載されている貝塚を一覧化する。

1988年の『東京都遺跡地図』第二版では東京の各区の貝塚の数は以下の通り[8]

千代田区       7
中央区 2
港区 15
新宿区 2
文京区 10
台東区 4
品川区 6
目黒区 1
大田区 25
世田谷区 3
渋谷区 4
豊島区 4
北区 5
荒川区 2
板橋区 9
江戸川区 6

以上105か所である。このなかで先史時代のものであることが明確な貝塚を一覧にした。江戸川区の貝塚6か所すべてが歴史時代や時代不明であり採録しなかったのをはじめ、縄文・弥生時代のものであることが明らかな貝塚以外は取り上げていない。


東京の時代別流域水域別の貝塚分布
流域/水域 縄文時代 弥生時代   計
早期-前期前半 前期後半      中期     後期前半    後期後半-晩期
荒川 1 2 3 5 2 3 16
谷田川 1 3 3 2 2 11
谷端川(小石川)谷 1 1 1 3
神田川 1 2 3
溜池 1 1
渋谷川 1 1 4 1 7
目黒川 1 1 2
立会川 1 1? 2
内川 1? 1
呑川 3 1 1 1 6
多摩川 4 3 1 8
東京湾 1 1 3 2 1 8
合計 7 9 10 23 9 10 68
東京都教育庁社会教育部文化課 編集『都心部の遺跡』、東京都教育委員会、1985年、p.75より引用。 ?は可能性

東京の貝塚の数は縄文後期前半に増えているが、内陸部の縄文遺跡の数は縄文中期よりもむしろ減っている。この時期に海面が後退して陸化した部分に縄文人が進出した結果であろうと考えられている[9]。海から遠いように見える目黒区東山貝塚は目黒川沿い、明治神宮北池貝塚は渋谷川支流沿い、青山墓地内貝塚も渋谷川支流沿いにあり、池袋本町にある貝塚も矢端川(小石川)に面し、海面が高かった縄文時代には海水が近くまであがってきたものと考えられている[10]

東京の貝塚の一覧

東京都内の貝塚のなかで、存在が確実な縄文・弥生時代の貝塚の一覧を示す。

東京の貝塚の一覧(縄文・弥生時代の物で複数の文献で確認できる貝塚)
個別に出典を提示した事項以外は『都心部の遺跡』1985年[2]『東京の貝塚を考える』2008年[3]による
名称 場所 貝塚の年代 主な形成期 現状 別名・別称 特記事項
海戸貝塚 板橋区赤塚4丁目20・21 縄文中期-後期  縄文後期(堀之内・加曾利B) 湮滅
赤塚城址貝塚 板橋区赤塚5丁目33-35 縄文前期-晩期 縄文後期 (堀之内2-加曾利B1) 良好 おはやし山、出口
辻山貝塚 板橋区徳丸7丁目14-16,18-19、8丁目17 不明 不明 湮滅
徳丸高山貝塚 板橋区徳丸6丁目25・26 縄文前期・後期 縄文前期 湮滅 徳丸貝塚、高山貝塚
中台馬場崎貝塚 板橋区若木3丁目4・5 縄文早期-晩期 縄文前期(諸磯a) 一部残存 中台、志村中台町
四枚畑貝塚 板橋区前野町4丁目60・61、志村1丁目11 縄文早期-前期 縄文前期(諸磯b) 湮滅
小豆沢貝塚 板橋区小豆沢2丁目25-26、4丁目4-10 縄文中期-晩期 縄文中期(加曾利E) 一部遺存 宮ノ前
袋町貝塚 北区北赤羽1丁目10、2丁目1・6・32 縄文中期-後期 縄文中期(加曾利E)-後期(加曾利B) 一部遺存 袋低地遺跡、窪田、貝島
赤羽台貝塚 北区赤羽台4丁目2 弥生 弥生時代後期 湮滅
清水坂貝塚 北区中十条4丁目13 縄文早期-前期 縄文早期-前期 不明 上十条、中十条
亀山貝塚 北区王子本町1丁目26 弥生中期(宮ノ台) 弥生中期(宮ノ台) 不明
飛鳥山公園内貝塚 北区王子1丁目1 縄文前期(関山)、縄文後期 縄文前期(関山)、縄文後期 不明
大蔵省印刷局内貝塚 北区西ヶ原2丁目1-5,8,11-13 縄文前期-中期 縄文中期(勝坂-加曾利E) 一部残存
七社神社裏貝塚 北区西ヶ原2丁目11 縄文中期(勝坂) 縄文中期(勝坂) 不明 資料によっては大蔵省印刷局内貝塚の一部とする
滝野川八幡社裏貝塚 北区滝野川5丁目25-27付近 縄文後期 縄文後期 不明
西ヶ原貝塚 北区西ヶ原3丁目3-6・12-13 縄文中期-晩期 縄文中期-晩期 一部遺存 西ヶ原昌林寺 都指定史跡[11]
中里貝塚 北区上中里2丁目 縄文中期-後期 縄文中期-後期 一部遺存 国の史跡[12]幅100m、長さ500mに及ぶ日本最大級の貝塚[13]
道灌山貝塚 荒川区西日暮里4丁目2 弥生後期(久が原) 弥生後期 湮滅 開成高校内
延命院内貝塚 荒川区西日暮里3丁目10 縄文後期 縄文後期(堀之内) 一部残存 日暮里
領玄寺貝塚 台東区谷中4丁目4 縄文中期-後期 縄文中期(加曾利E) 一部残存 谷中坂町、領玄寺坂、谷中三崎町寺院内
キリスト教墓地貝塚 台東区谷中7丁目1・12・13 縄文後期 縄文後期(堀之内) 一部残存? 谷中天王寺、谷中 谷中墓地内線路側
新坂貝塚 台東区上野桜木1丁目16、上野公園18番地 縄文後期 縄文後期 一部残存? 鶯谷
湯島切通貝塚 台東区池之端1丁目3 縄文前期-晩期 縄文後期-晩期 一部残存 湯島旧岩崎邸内、最高裁判所書記研修所内
動坂貝塚 文京区本駒込3丁目18 縄文前期-中期、弥生後期 縄文中期 一部残存 都指定史跡[14]
駒込神明町貝塚 文京区本駒込3丁目40・41、4丁目1-5、11-17、5丁目7-13、24-28 縄文中期 縄文中期(勝坂) 一部残存? 神明町貝塚
千駄木貝塚 文京区千駄木1丁目10・11 縄文前期-晩期 縄文中期 一部遺存 林町、太田邸内
弥生町貝塚群 文京区弥生1丁目-2丁目 縄文後期、弥生後期 縄文後期、弥生後期 一部残存 弥生町貝塚、向ヶ丘貝塚、旧浅野邸内貝塚 国の史跡[14] 弥生時代の弥生は当地の地名に由来する。資料によっては弥生町貝塚、向ケ岡貝塚、旧浅野邸貝塚などに細分する[15]。いまだに全貌は明らかではない。
お茶の水貝塚 文京区湯島1丁目5 縄文前期-晩期 縄文後期(加曾利B) 湮滅 東京医科歯科大学内、湯島
元町貝塚 文京区本郷1丁目2・3・6 縄文中期(加曾利E) 縄文中期(加曾利E) 一部遺存?
原町貝塚 文京区白山4丁目15・16・23 縄文 不明 不明
小石川植物園内貝塚 文京区白山3丁目7 縄文中期-後期 縄文中期-後期 良好 白山御殿町、指ヶ谷町
池袋東貝塚 豊島区池袋本町4丁目 縄文 不明 不明
氷川神社裏貝塚 豊島区池袋本町3丁目18-20 縄文後期-晩期 縄文晩期 不明 池袋、池袋西
染井墓地内貝塚 豊島区駒込5丁目5、7丁目3 弥生 弥生 湮滅 染井 豊島遺跡調査会[16]
九段坂上貝塚 千代田区九段北1丁目14 弥生後期 弥生後期 湮滅
牛ヶ淵貝塚 千代田区九段南1丁目6 弥生後期 弥生後期 湮滅 九段坂下、旧軍人会館前 九段会館敷地内
旧本丸西貝塚 千代田区千代田皇居東御苑 縄文前期-晩期 縄文後期 一部遺存 皇居内
明治神宮北池貝塚 渋谷区代々木神園町 縄文後期-晩期 縄文後期(加曾利B) 一部残存?
豊沢貝塚 渋谷区恵比寿2丁目27-33 縄文前期-後期 縄文後期 一部遺存
羽沢貝塚 渋谷区広尾3丁目7、4丁目1 縄文後期(堀之内) 縄文後期(堀之内) 一部遺存 羽根沢、宮代町、東京女学館、日赤病院
東山貝塚 目黒区東山3丁目11-13 縄文中期-晩期 縄文後期 一部残存 上目黒
青山墓地内貝塚 港区南青山2丁目32 縄文前期・後期 縄文後期 一部遺存?
西久保八幡貝塚 港区虎ノ門5丁目10 縄文早期-晩期 縄文後期 一部遺存 八幡町、我善坊町 都指定史跡[17]
東京タワー脇貝塚 港区芝公園4丁目 縄文 不明 一部遺存 紅葉館内
丸山貝塚 港区芝公園4丁目8 縄文中期・後期 縄文後期 遺存 芝丸山、芝公園、
元麻布2丁目貝塚 港区元麻布2丁目5 縄文後期 縄文後期(堀之内、加曾利B) 一部遺存? 三軒屋町、宮村町、麻布高校
本村町貝塚 港区南麻布3丁目8、11 縄文前期 縄文前期(黒浜、諸磯) 一部遺存
伊皿子貝塚 港区三田4丁目19 縄文早期-晩期 縄文後期 湮滅
旧海軍墓地貝塚 港区白金台1丁目2 縄文中期(加曾利E) 縄文中期(加曾利E) 湮滅 白金今里町、明治学院内
上大崎貝塚 品川区上大崎1丁目3 [18] 縄文前期 縄文前期 不明
池田山北貝塚 品川区東五反田5丁目5 [18] 縄文前期 縄文前期 不明
御殿山貝塚 品川区北品川5丁目18 [18] 縄文前期 縄文前期 不明
居木橋遺跡 品川区大崎2丁目6・7、3丁目14、西品川3丁目5・6 縄文前期(黒浜、関山、諸磯) 縄文前期(諸磯) 遺存 東大崎、峯原
権現台貝塚 品川区広町1丁目-2丁目 縄文後期 縄文後期 湮滅 JR大井工場内
西光寺貝塚 品川区大井4丁目22 縄文後期 縄文後期 不明
大森貝塚 品川区大井6丁目27 縄文早期-晩期 縄文後期-晩期 一部遺存 国の史跡[19]
望翠楼ホテル内貝塚 大田区山王3丁目30-35 弥生後期(久ヶ原) 弥生後期(久ヶ原) 湮滅
桐里町貝塚 大田区池上1丁目11 縄文前期 縄文前期 湮滅 池上本門寺公園
馬込貝塚 大田区中馬込1丁目9・14-19、3丁目1、上池台5丁目1-4・7 縄文中期-晩期 縄文後期(堀之内) 一部遺存
塚越貝塚 大田区西馬込2丁目35 縄文前期(関山) 縄文前期(関山) 湮滅
雪ヶ谷貝塚 大田区南雪谷5丁目4-7 縄文前期-縄文中期 縄文前期(諸磯b) 一部遺存
庄仙貝塚 大田区北嶺町25・26、久が原1丁目15-19 縄文前期 縄文前期 湮滅 久ヶ原(北)
久ヶ原貝塚 大田区久が原3丁目28-30・40、4丁目14-17 弥生後期(久ヶ原) 弥生後期(久ヶ原) 一部遺存 久ヶ原(南)
千鳥窪貝塚 大田区南久が原1丁目4・7・8 縄文中期-後期 縄文中期(勝坂) 一部遺存
増明院裏貝塚 大田区鵜の木1丁目15・17 縄文時代前期? 縄文時代前期? 一部現存 土器等は出土しておらず貝塚形成期ははっきりしない
下沼部貝塚 大田区田園調布本町37-39 縄文早期-晩期 縄文後期-晩期 一部遺存
丸子多摩川園北貝塚 大田区田園調布1丁目56・58 縄文後期(加曾利B) 縄文後期(加曾利B) 湮滅
上沼部貝塚 大田区田園調布4丁目27-29、5丁目4 縄文前期・後期・晩期 縄文前期(諸磯)・縄文後期 一部遺存
六所東貝塚 世田谷区野毛1丁目25・26、2丁目17・18 縄文前期-中期 縄文前期(諸磯a) 一部遺存?
稲荷丸北貝塚 世田谷区上野毛3丁目3・4・8 縄文早期-晩期 縄文前期(諸磯) 一部遺存
瀬田貝塚 世田谷区瀬田1丁目8・13 縄文前期(諸磯a) 縄文前期(諸磯a) 一部遺存?

時代の( )内は時代細分。例えば縄文後期(加曾利B)は縄文時代後期のなかで加曾利B式土器期の意味。関山式期はおよそ6700-6450年前(1950年起点、以下同じく)、黒浜式期は6450-6050年前、諸磯式期は6050-5600年前(そのなかで諸磯aは6050-5950年前)、勝坂式期は5380-4900年前、加曾利E式期は4900-4420年前、堀之内式期は4240-3820年前、加曾利B式期は3820-3470年前、いずれも1950年起点[20]

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ たとえば参考文献『東京都遺跡地図』では歴史時代のものも貝塚とし、『都心部の遺跡』p.15-16や『東京の遺跡を考える』p210-213などでは縄文時代と弥生時代のものしかとりあげていない

出典


参考文献

  • 『東京都遺跡地図』第3分冊 遺跡一覧、東京都教育庁社会教育部文化課 編集、東京都教育委員会、1988年。
  • 『都心部の遺跡』東京都教育庁社会教育部文化課 編集、東京都教育委員会、1985年。
  • 『東京の貝塚を考える』品川区立品川歴史館 編集、坂誥 秀一 監修、雄山閣、2008年。
  • 東木龍七「地形と貝塚分布より見たる関東低地の旧海岸線 (一) (二) (三)」『地理学評論』第2号、日本地理学会、1926年、 312-319頁。
  • 東京都教育委員会. “東京都遺跡地図情報インターネット提供サービス”. 東京都教育委員会. 2016年1月10日閲覧。
  • 小林謙一「縄文土器の年代(東日本)」『総覧 縄文土器』小林達雄 編、アム・プロモーション、2008年。