村田四郎

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日本基督教団合同前の日本基督教会代表の準備委員 後列左より,熊野義孝三吉務富田満小野村林蔵佐波亘浅野順一飯島誠太堀内友四郎、 前列左より,今村好太郎村田四郎金井為一郎,村岸清彦

村田 四郎(むらた しろう、1887年9月2日 - 1971年2月7日)は、日本神学者牧師明治学院5代目院長。

村田沰冶の四男として山口県吉敷郡山口に生まれる。1911年明治学院神学部を卒業する。卒業後1912年に渡米し、オーバン神学校で学び、1912年に卒業する。卒業後も研究科に留まる。1917年帰国し、大阪南教会牧師に就任する。1918年に明治学院教会牧師に就任し、1919年に明治学院中学部の教師になる。

1948年4月、矢野貫城の後継者として、明治学院第5代目院長になる。1949年には明治大学学長を兼任する。1953年に指路教会の牧師に就任する。1955年には日本聖書協会理事長に就任する。1957年明治学院院長を辞任する。1959年に関東学院大学の学長になる。

参考文献

  • 『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988年