安武直夫
安武 直夫(やすたけ ただお、1887年(明治20年)6月24日[1] - 1959年(昭和34年)3月21日[2])は、日本の内務官僚、台湾総督府官僚、朝鮮総督府官僚。
経歴
福岡県の田崎家に生まれ、長じて後に安武一(はじめ)の婿養子となった[3]。1913年(大正2年)、高等文官試験に合格し、翌年に東京帝国大学法科大学独法科を卒業[3]。内務省に入省し、山形県理事官、警保局事務官、朝鮮総督府事務官を歴任[3]。さらに社会局書記官・庶務課長となり、臨時震災救護事務局書記官、資源局事務官を兼ねた[3]。1932年(昭和7年)、台湾総督府文教局長に就任し、1935年(昭和10年)には平安南道知事に転じた[3]。台湾総督府文教局長時代には、伝習館中学(現在の福岡県柳川市にある伝習館高等学校)の先輩でもあり親交のあった北原白秋を台湾に招聘している。[4]
1936年(昭和11年)に退官した後は弁護士を開業し、さらにヤサカ金属工業株式会社社長を務めた[5]。
脚注
- ^ 人事興信録 1934, pp. ヤ37.
- ^ 築地本願寺和田掘廟所 安武家墓誌
- ^ a b c d e 人事興信録 1939, pp. ヤ43.
- ^ 「北原白秋の見た植民地台湾」陳萱 著(東京大学学術リポジトリ)
- ^ 人事興信録 1941, pp. ヤ40.
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第10版(下)』人事興信所、1934年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版(下)』人事興信所、1939年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版(下)』人事興信所、1941年。
- 築地本願寺和田堀廟所 安武家墓誌
- 「北原白秋の見た植民地台湾」陳萱 著(東京大学学術リポジトリ)