忠生中事件
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忠生中事件(ただおちゅうじけん)は、東京都町田市の中学校で発生した傷害事件。忠生中学事件とも。
概要
1983年2月15日の午後、東京都町田市立忠生中学校の玄関にて勃発。同校の三年生の生徒(当時15歳)2人が男性英語教師(当時38歳)に対して、玄関マットを振りかざして威嚇したところ、恐怖心を抱いた教師が所持していた果物ナイフで反撃。生徒一人を刺し、全治数日のケガを負わせて逃亡。当日中に警察に逮捕された。教師は「生徒たちがこわい。もう耐えられなかった」「助けを(学校や同僚教師に)求めたが、何もしてくれなかった」と語った[1]。
逮捕後、教師は正当防衛が認められたが傷害罪などにより八王子簡裁で10万円の罰金刑を受け[2]、後に諭旨退職となる。
事件報道
当初こそ、教師にあるまじき行為として、加害者を糾弾する姿勢として報道が行われた。
しかし、横浜浮浪者襲撃殺人事件の直後であったこと、詰めかけた報道陣に罵声を浴びせる生徒が存在する荒廃した中学校であったこと、さらに翌16日の朝日新聞の夕刊などを通じ加害者が原爆症の患者であり、被害者となった生徒にからかわれていた中で発生した背景が報道されたこともあり、段々と報道の方向性が一転。教師の目が届かないほど肥大化したマンモス校(当時34学級、生徒1,449名)の現状[3]や荒廃する中学生の心情などを通じて、教育行政や社会情勢を批判する報道ぶりに変化した。
関連項目
参考文献
- 朝日新聞(昭和58年2月16日朝刊、夕刊、翌17日朝刊)
- 産経新聞(昭和58年2月16日朝刊、翌17日朝刊)
脚注
- ^ 『文教行政総覧』1983年版、190ページ
- ^ 『世界大百科年鑑』1985年版、244ページ
- ^ 98 参議院・予算委員会 1983/03/18 江田五月ホームページ