横浜浮浪者襲撃殺人事件

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横浜浮浪者襲撃殺人事件(よこはまふろうしゃしゅうげきさつじんじけん)とは、1982年12月半ばから1983年2月10日にかけて、横浜市内の地下街や公園などでホームレス(浮浪者)が次々襲われ殺傷された事件。いずれも集団で執拗な暴行を加えられた結果である。

逮捕された犯人は横浜市内に住む中学生を含む少年のグループで、少年たちによる人権軽視の“浮浪者狩り”は社会に大きな衝撃を与えた。

概要[編集]

以下は全て1983年に起きた出来事である。

このグループについては特定できたのは横浜スタジアムでの傷害事件と山下公園での殺人事件のみである。 被害者の証言によると逮捕されたグループ以外にも複数の浮浪者狩りグループがあり、他に2人の浮浪者が殺害されているが未解決のままである。

動機[編集]

「おまえらのせいで横浜が汚くなるんだ」と叫びながら浮浪者に暴行を加えていたことや、警察の取調べに対しても「横浜を綺麗にするためゴミ掃除しただけ」と自供、対立グループとの喧嘩の練習のため、また「浮浪者が逃げ惑う姿が面白かった」、「退屈しのぎに浮浪者狩りを始めた」とも自供している。

なお、作家の澁澤龍彦はこの事件について「なんという弱く育った連中だろう」「私の意見では、映画『E・T』を見て涙をこぼす中学生と、弱い老人を集団で袋だたきにする中学生とは、まったく同じメンタリティーをあらわしている。両者とも、強さを美徳とする風潮が完全に失われてしまった世の中に育った、あわれな子どもたちの短絡的な反応を示しているといえるからだ。強さへの志向がなければ、弱者に対する思いやりも失われるのだということを、私はここで特に強調しておきたい」と発言している[1]

裁判[編集]

犯人グループは1983年3月4日に少年10名を家裁に送致。検察官の処分意見は、保護観察処分が1名、教護院が2名、残りの7名が少年院に送致する保護処分が相当と判断した。

横浜家庭裁判所は同年の3月30日横浜地方検察庁から傷害致死、傷害暴行容疑で送致されて審判中だった14~16歳の少年10名に対し、9人を少年院に送致し、1人を教護院に送致する保護処分を決定した。

関連項目[編集]

関連図書[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『私の戦後追想』(河出文庫)所収「花電車のことなど」